Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

NYの事故

2007-07-19 23:38:23 | 時事
NY・マンハッタンの爆発事故のニュースを見ました。
レキシントンの41丁目ということですから、グラセン(グランドセントラル駅)の1本南、東南側になるわけで、住んでいた当時はそれなりに徘徊していたエリアです。

原因は蒸気配管の爆発ということで、類型としては「よくある事故」の規模が相当大きかったものですから、死者も出る惨事とはいえ、そうそう大騒ぎをするものでもない話だと思います。
実際住んでいた当時は小規模なこの手の事故は日常茶飯事で、わざと蒸気を逃がしているような部位もあり、街角から立ち上る蒸気も街の風景でした。

ちなみにNYでは蒸気と言うか温水の供給もあり、各家庭でガス湯沸し、ということはありません。
イーストリバーを挟んだ対岸にある蒸気「工場」で生産された蒸気が配管で供給されている、街ぐるみのセントラルヒーティングと言う感じです。

結局、話が大きくなったと言うか、パニックを引き起こしたのは9.11のせいなんですよね。
冷静に考えれば類似例が過去にあり、事故と分かるようなものでも、すぐテロと考えてしまう。
テロのトラウマが、水鳥の羽音に驚いて浮き足立つような現象を招いたわけです。

あの事件が与えた傷跡の深さを改めて感じます。




地震と電力

2007-07-17 20:53:32 | 時事
この連休は台風に始まり中越沖地震に終わりました。
3年前の中越地震、昨年の能登半島沖地震と北陸エリアの地震が急増していることは気になります。その前は1964年の新潟地震まで大きな地震がなかっただけに。

この地震で震源に近い東電刈羽原発が非常停止しましたが、その際のトラブルが明るみになるにつれ、早期再開は難しい様相です。
今朝のメディアでは、刈羽の発電量は実に821万KWhに達することから、夏のピーク時に電力を融通しないといけないようなことを言っており、ピーク時だけあって地域によっては余っていると言うこともないでしょうから、休止中の旧型火発などの起用など、大変そうです。





さて、夏場に電力需要がピークを迎えるのは、冷房需要が大きいことは論を待ちませんが、ピーク時の最ピークがどのタイミングになるのはいつでしょう。

これは俗論であり、実際には違うと言われますが、高校野球の決勝戦と言う説があります。
電力需要の太宗は事業系であり、家庭需要は少ないからそれは俗論と言われますが、そうはいっても高校野球シーズンには普段は外出していても、テレビにかじりつくとか、飲食店その他で高校野球をサービスで流すと言うようなケースもあるわけで、あながちウソとも思えません。

刈羽原発の停止で夏場のピーク需要に応えきれない、というのであれば、高校野球を止める、と言う選択肢もあながち無理筋ではないでしょう。
特に「特待生制度」が問題になり、その問題解決が先送りになっているという状況下でもあり、一度ここで頭を冷やす意味も込めて、社会貢献として中止するのです。

ピーク需要云々は俗説だとしても、予選からの全大会を中止すればこれは確実に省エネです。
そもそも照明を消すとか、さまざまな省エネ、温暖化対策のイベントを大きく取り上げている主催者が、夏のピーク時に殊更に電力需要を押し上げるイベントを続けているのも妙な話です。
発電所の確保も、このピーク需要を乗り切る数字が元になってますから、それこそ原発と言うとどんな些細なトラブルでも大きく取り上げる新聞社にとって、そういう設備を必要としない方向に働くのですから、社是?にも適うはずです。

まあ実際には、お決まりの「被災地を勇気付ける」という謳い文句で継続するんでしょう。
数年前の福井豪雨で、家が泥流に飲まれグチャグチャになった球児が試合に出たのを「美談」仕立てで取り上げてましたが、これとて野球をやってる間があったら、体力的には申し分のない高校球児のパワーを自宅や地域の復興に役立てるほうがどれだけ有益か、と少し考えれば分かりそうなものですが、主催者の考えは違うようです。

今回も、同じような「球児」が出てくるんでしょうね。





灘駅北口駅舎

2007-07-14 23:51:37 | お知らせ
今日の大阪朝日夕刊を見て迂闊にも気が付いたんですが、今日間もなく、正確には15日1時過ぎの最終列車をもって、JR神戸線灘駅の北口駅舎が84年の歴史に幕を閉じるそうです。

自由通路が無く、東側の跨線橋と西側のガードまで数百メートル通り抜けが出来ないことから、橋上駅舎化への要望が高く、このほど立て替えられることになったからです。

間もなくつとめを終える駅舎に敬意を表し、トップの写真を差し替えました。
夜に気付くくらいですから撮影は2月。街路樹の枝が裸であるのはご愛嬌と言うことで。

セーフティネット

2007-07-14 14:34:38 | 時事
北九州で生活保護を「辞退」した男性が餓死しているのが発見されたニュースを見ました。

生活保護に関しては、まず申請を受け付けない、相談の段階で申請させないようにする、という「テクニック」が有名ですが、さらに申請を受理した後も辞退させるように仕向けているわけです。

下で給与と雇用の問題について少し書きましたが、雇用保険も期間がある中、最後の砦、つまりセーフティネットとなるのが生活保護のはずです。
それが機能していない。特に北九州の場合、毎年のように生活保護の申請を受けられないなどの理由で餓死者が出ているのは問題です。

もちろん予算に限りがあるとか、不正受給の問題があるということは承知していますが、セーフティネットと言う性格である以上、受給を拒んで死者を1人でも出すことのほうが、不正受給を見逃すよりも罪が重いのです。救済側がザルであれば、セーフティネットの意味を成さないからです。

そこを勘違いしているうえに、あまつさえ不正受給に関してはメスを入れる気配する無い。
厳しく問われるべきはその二面性であり、真っ当な困窮者を救わないシステムです。
今回の件でも、不正受給の精査をしてもいないであろう市が取った措置は、まだ職が確保できていない段階で、「働けるでしょう」と辞退させており、収入を確認しないで受給させる半面で、収入の確保を確認しないで放り出すという対応には、怒りすら覚えます。
そしてメディアに実名で出ている当局のコメントに至っては、自主的に辞退したから関係ない、というわけで、そういう感性でこの手の仕事をしていることに問題はないのでしょうか。





こうしたニュースが出てくると必ず聞かれるのが生活保護なんて無駄だ、自己責任だという「勇ましい」ご意見です。
働く気があれば何とかなる、といいますが、健常者でも中高年になれば職がないわけです。若者がネットカフェを転々として生活しているご時勢です。

そもそも病気や事故その他、人間いつ転落するか分かりません。
保険にしても包括的な生活まではカバーしませんし、保険に入れる余裕が無い人も多いのが現実です。
同様に障害者への支援や措置も槍玉に上がりやすいですが、自分がそういう境遇になることを想定していない、いわんや自分の子供たちの頃にはどうなっているかを考えていない様子には、滑稽さと哀れさすら感じます。

特に今の制度は身内が支えると言うといえば美談になる体制を前提にしていますが、その実はどうでしょう。老老介護の問題を例に出すまでも無く、金銭的、肉体的、精神的負担で一家一族全滅状態になるケースも少なくありません。生計が独立している身内を頼らされるから、ある日突然幸せな家庭に想定外の経済負担がのしかかり、破滅することもあるのです。本来余裕が無い親族に負担を負わせるというのは、近代国家ではありえない「一族連座」の発想ですが、見捨てて親兄弟を死に至らせることなどできない人間の倫理を「悪用」しているといえるわけです。
ただでさえ問題が多い「福祉」をさらにきり下げることを自ら望んで、どうするつもりでしょうか。

自分たち、さらには子孫のことを考えたら、不利益になることを賛美することが本来ありえないわけなのに、なぜかそういう主張をすることは良くないという「妙な」「歪んだ」公徳心が多々見られます。
自分たちの主張を抑えたら、自分たちが、また、子孫がメリットを受けるのか。同じ公徳心でも、大戦末期、次代の国民の誇りと名誉を考えて死んでいった特攻隊員のそれと全く異なる、マゾヒスティックなものに過ぎません。





他山の石

2007-07-10 15:41:02 | 交通
ウチのサイトのリンク先でもある交通総合フォーラムにちょっと濃い話題を書きました。

賃金、雇用の問題という、交通論において、事業者を考える時に本来避けては通れない論点に突っ込んでみました。
話のマクラが公務員の高給批判なんですが、それはそれで一面の真実であり、実際に何じゃこりゃと言うようなケースが多々あることも事実なんですが、だからといって「安いほうにあわせろ」となった時、その「安いほう」が果たして妥当な水準なのか。そこの検証をした批判と言うのは実はほとんどないでしょう。

ワーキングプアの問題、さらには「マックジョブ」に代表される単純労働の問題。今の社会が成立している陰の部分は、交通論にも密接に関係してきます。
例えばコミバスが「低需要」「低運賃」で成立している理由の一つが「低賃金」ではないかという疑念があるわけで、大半のコミバスが自治体主導で開設されているなか、自治体の支出を極力抑えることで「低賃金」を推進しているのでは、という「公のあり方」が問われます。

議論では触れませんでしたが、例えばある地域でLRTやバスといった交通機関を確保しようと言う時、労務費としてどの程度計上する必要があるのか、ということを理解して議論している人がどれだけいるのか。

昨今、各地でLRTの研究が盛んですが、人件費を従業員額面ベースで考えてるような論外のケースも見られるわけです。
人件費は、額面のほか、法定福利、つまり厚生年金や健康保険における事業者の負担分があるわけで、総支出を額面で考えていると、実際の額面は最低賃金を大きく割り込むような話になるわけです。
賃金や雇用の問題を避けているだけならまだしも、ありえない前提で語るケースに至っては害悪ともいえます。

さらに議論で書いた通り、メディアや専門家、趣味者は、それまで賞賛してきた第三セクター鉄道による再生や、バス会社などの地域分社の裏には、OB再雇用による人件費抑制(=代替わり時の雇用水準もそれに引きずられる)や、独自の雇用体系の採用による人件費抑制という「メリット」がありますが、それを適切に評価してきた気配がありません。

労働環境の問題を批判するのは簡単ですが、同時にその流れを大筋で許容してきた我々の過去もまた問われているのです。