Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

インチキマンション

2005-11-22 18:33:23 | 時事
構造計算書を偽造していた設計事務所の問題で、国や自治体の責任が問われていますが、一方で欠陥住宅と同じで、業者との関係だけで救済は必要ないと言う声もあります。
ただ、今回は欠陥住宅と同じというわけには行かないでしょう。工事で手を抜いたことが原因の欠陥住宅は、純粋な瑕疵担保の世界ですが、今回は設計そのものにインチキがあったわけです。
建築確認と言う制度があり、法律では自治体が確認すると言う規定になっているわけで、自治体もまあ騙された部類に入りますが、それでも責任は免れないでしょう。
さらに、「規制緩和」が話をややこしくしており、自治体がすべき確認を民間の指定機関に任せているのです。つまり、指定機関経由であれば自治体が介在する余地はないのです。その代わりに、そういうインチキ業者に指定機関というお墨付きを与えてしまった側の責任が厳しく問われるわけです。

「官」があれこれ介入すべきでない、と様々な法令に基づいた許認可や確認、検査を民間に委託したり、受ける側の自主的な検査に任せるようになって久しいですが、それを認める前提としての審査があり、かつ何かあった際の最終的な責任は、「官」が委託者責任として、問題を起こした業者と分担しないと、任せっぱなしで責任はないと言うモラルハザード状態を引き起こします。

そういう意味で、交通においても、JR東日本が中央線の複々線化工事の仮線切り替え時に大チョンボをしたり、先日も山手線で架線トラブルを起こすなど、官庁検査を省略出来るとお墨付きを受けながら、計画や施工、メンテナンスで問題を起こしているように、無縁ではないのです。

「民」としては、規制は無いに越したことは無いですが、利用する側、購入する側からしたら、規制ではなく第三者チェックという色彩が強いわけです。実質的にどこまでチェック出来るのか、という問題はありますが、融通の利かない、そして権力を持つお役所が見るということは、不正や手抜きに対する有形無形のプレッシャーとなるのです。

今回、もし「民」の話だからと「官」がケツを捲くってしまったらどうでしょうか。
不正をしてもばれたらさっさと「梼Y」してしまえば、実質的な救済は全く受けられなくなります。施工の手抜きならまだ補修の余地はありますが、設計の手抜きとなると手の打ちようがないわけです。
取引における「暗黙の了解」を崩しかねない事態であり、また消費者のリスクが極めて高くなる今回の不正、その救済と、今後の再発防止を徹底することが「官」に求められます。

インフルエンザ

2005-11-21 11:56:55 | 時事
急に寒くなってきました。
風邪のシーズン、というか新型インフルエンザの流行への警鐘が現実味を帯びており、非常に不安です。特に今年は露払いともいう感じで10月頃から風邪が流行ってますが、これがなかなか治らないシロモノで、先が思いやられます。
風邪をひいていて症状がそれなりの場合、インフルエンザの予防接種が受けられないのですが、新型インフルエンザの流行を確実にしようとする自然界のプログラミングなのかもしれません。

さて、最近一部メディアと医療関係者がインフルエンザの薬「タミフル」の批判を強めています。いわく、副作用での死者や異常行動が多発、また日本が突出して使っている、など、タミフルになにか恨みでもあるのか、という感じです。
これでタミフルが効かないというのであればまだしも、薬効があることは確かであり、新型インフルエンザへの効果も期待出来るという薬ですから、もっと普及するように確保せよと訴えるのならともかく、なぜ「シーズンイン」を目前に控えたこの段階でネガティブキャンペーンを張るのか、その真意を疑います。
新型インフルエンザは「新型」ですから従来のワクチンでの対応が出来ません、と言うかわかりません。しかし、ウィルスの型に応じて対応するのではなく、ウィルスを活性化させないと言うタミフルなら対応が可能とされているわけです。その意味で新型インフルエンザが最初に流行した時、人類が持つ唯一の対応策といえるのに、なぜそれを否定するのか。

インフルエンザは「流行性感冒」と言われて来たように、風邪(感冒)の一種と思いがちですが、全く違います。風邪は治せませんが(発熱、鼻水、咳への対症療法を超える治療は無い)、インフルエンザは「治せます」。逆に、風邪をひいたら暖かくして安静に、と言うのは治療法が無いがゆえに正解ですが、インフルエンザの場合は適切な対応をしなければ重篤化するだけです。
タミフルが効くのはひきはじめの48時間以内であり、それを過ぎるとブロックが不可能になり効きません。それでも完治はしなくとも、重篤化することを防止することは期待出来るわけです。

インフルエンザは甘く見ると命を落とします。それなのに予防接種にしろ今回のタミフルにしろ、なぜか対応を否定して罹患可能性を高めようとする勢力が出てくるのが非常に不思議です。
予防接種についても、接種チームと非接種チームの結果に差が無かったとして、副作用だけが強調されて94年に集団接種が廃止されましたが、97~98年の大流行を経て、各家庭で予防接種をするようになっているのはなぜでしょう。予防接種の効果と、大流行時の悲劇の体験により、「予防接種は意味が無い」という公式見解の胡散臭さを身を持って感じているからでしょう。

おりしも最近、その当時の大流行の原因が、集団接種の廃止により罹患、流行しやすくなった学童が各家庭に持ち帰り、家庭内で感染し、老人や乳幼児に重篤化が顕著に表れたと言う調査結果が発表されています。当時、「上の子が罹って、家中が罹った」という話は曹「て捨てるほど聞いていますが、この調査結果はその「事実」を証明した格好です。
脳症に対する意識が低かったこともありますが、あの大流行時、乳幼児が脳症になると、1/3が死に、1/3が後遺障害を得るという悲惨な結果だったことは忘れられません。それだけの危険性を秘めた病気でもあるわけで、完治せずとも症状を和らげるだけでもタミフルには意味があるのです。
ましてや、他の薬で対応出来ない「新型」の流行の危険性があるのであれば尚更です。

ここまでタミフルを叩くのを見ると、国民がインフルエンザで落命するのを望んでいるのか、それともタミフルの確保が政府などの不手際で遅れまくっているのに、使用量を抑制させることで誤魔化そうとしているのか、いずれにしても「為にする」話以外の何物でもないように感じます。



おわび(苦笑)

2005-11-20 00:01:46 | お知らせ
この週末、更新を全くしませんでした。
どうも体調が悪かったことと、木曜日の出張の疲れが取れなかったこと、さらにそんな中、ゴルフの練習だけはしちゃったこと(爆)もあり、手が着きませんでした。

というわけで、おわびというか、言い訳をさせていただきました。yellow22

強行軍

2005-11-19 00:32:00 | ノンジャンル
木曜日に東京に日帰りで出張してきました。
なかなか日程が決まらず、水曜日に決定と言うドタバタでしたが、仕事のほうはまあまあうまく行きました。

伊丹では前日までのブッシュ大統領訪日の後片付けなのか、米軍のC5AやC17、さらにヘリコプターなどがいましたが、会談が大阪市内ならともかく、京都だったら関空でもいいはずなのに、あえて街中の伊丹にするあたり、関空の不人気?ぶりが露呈した格好です。

帰りは関空最終便でしたが、どうもこの日は大阪行きが混み合っていた様で、私も一本前が取れず最終にしたんですが、その最終にキャンセル待ちが大勢おり、相当数がこぼれたようです。
最終便でキャンセル待ちの声を聞いたのは記憶がなく、よほどだったんでしょうね。ただ、関空からの三宮行きリムジンは普段以上に空いており(梅田行きもさほどでなかった)、約200人の乗客の大半はどこに消えたのか、気になります。

※画像はC-17



適正な手続きと正義について

2005-11-16 01:08:27 | 時事
野田線の運転士は結局解雇されたようです。

まあこの件で問題視したいのは、適正な手続き、罪刑法定主義というような概念のことです。
確かに運転士の行為は「危険」であり、安全を脅かす危険性は充分にありました。
しかし、それが非難に足る事象であっても、懲戒解雇という処分が妥当であるかはまた別の話です。

茶m塚では踏切の違法操作をしたが事故には至らなかった、つまり安全違反の行為に対する責任は問われたが事故という結果が発生しなかったことで責任がない係員が厳重注意だったのに、今回は安全違反だが事故には至らなかった運転士が5段階特進で懲戒解雇です。
これは量刑についての規定がないに等しく、量刑は規則ではなく主観に委ねられているということです。

こういう罪刑専断主義は日本ですら徳川吉宗と大岡越前の公事方御定書で終焉したように、中世から近世初期で消えていってます。もっとも、旧ソ連で復活しており、それが昂じると人民裁判になるわけです。

確かに行為は危険だ、そこには正しさが確かにあります。
しかし、正しいからといって法律、規定(先例及び慣習もそれに入る)を無視してはいけません。何があっても運転室に入れてはいけない、と規定の絶対的遵守を訴えながら、規定にない処分を求めるのは自家撞着です。

正しければそれが正義、確かに言いたいことは判りますが、正しい、というのも突き詰めればその時々の気分ということに他なりません。
正しいからといって、法律は破ってはいけないのです。

これはそのうち述べますが、道路財源の問題で、法律で規定された料率を大幅に超える暫定料率をどうするか、そもそも目的税である道路財源を一般化できるのか、という論点に対し、環境問題があるから、ガソリン値下げは環境破壊につながるから、財政が逼迫しているから、と「正論」を繰り出して、「違法」な暫定税率や、一般財源への流用を正当化する向きが多いです。

のどから手が出ている財務省はともかく、社会正義云々を振り回すマスコミまでが与しているのですから笑えません。
「正しい」から何をやってもいい。これが当たり前になってくると、人民裁判の道が見えてきますね。
毛沢東という絶対の「正義」を基準に、三角帽をかぶせてなぶり殺しにした文化大革命。極端な例えのようですが、根底は一緒です。

「正義」は成文法でも慣習法でもない。時分によって変わる危険性があるのです。いつ何時、ブーメランのように戻ってくるかを考えたら、その危うさが分かるかと思います。