Straphangers’ Room2022

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大楠公に何を学ぶのか

2016-05-15 15:20:00 | ノンジャンル
公共心を忘れた日本人、と言うのは国士様系が喜ぶフレーズで、国士様御用達新聞も3日と空けずにそのフレーズを多用しています。

で、最近そのフレーズとともに楠木正成、尊称で言えば大楠公を賞賛している連載があるのですが、これ、わかって掲載しているんでしょうかね。

確かに当時の武士は「御恩と奉公」のフレーズの通り、「公」の精神どころか、相応の恩賞が無ければ奉公しない、という「私」の権化のような存在です。まあその時点で、中近世の武士を精神的支柱にして足下の個人主義を批判することがいかに愚かしいかですが、その程度の「歴史認識」で歴史教育に対して大上段から批判しているのがああいう勢力です。

それはさておき、確かに当時の主流派に対し、大楠公の発想は「七生報国」の辞世に代表されるように、主君への忠義をまず置いており、その意味では個人主義ではなく忠臣愛国の美しい国にふさわしい思想だ、という面もあります。

しかし、その「報国」はどうだったのか。もともと大河ドラマ「真田丸」の昌幸のように、正々堂々と言うよりもゲリラ戦で数々の戦果を上げた戦略、戦術家であり、尊氏に押されてくる朝廷側にいろいろな献策をしているわけです。手段はどうであれ勝つことが大事、というのもかなりアレですが、では献策をことごとく退けられ、このままでは座して死を待つだけ、と言う状況で討って出たのが湊川の合戦ですが、これとて大阪夏の陣の幸村のように敵の総大将の本陣を脅かしたような「一発逆転」には程遠く、稀代の戦略家が犬死した格好です。

それでも忠義を尽くすのが正しいのか。君主の条件に血統を第一とし、徳目など能力を優先しなかった我が国の伝統には則っていますが、21世紀の今日に道徳の教材として使うにふさわしい思想なのか。
極端な例を出せば、敵の砲列が縦横に敷かれている敵陣正面にバンザイ突撃をするようなものです。そしてそれに異を唱えたり、逃げることなく見事に死ね、というのでしょうか。

公共心にしても、愛国心にしても、そういうものではないでしょう。
江戸時代の諸藩では、主君が「暴走」したら家臣が「押し込めて」家督相続を迫ると言ったケースが多々あったわけですし、それこそ大楠公の時代でも、書物に「主上御謀反」の記述があるように、「藩」などの公共に対する忠誠心は、その「藩」などがとる行動が正しいかを判断した上での話なのです。

そう考えると、大楠公を持ち上げてもいいのですが、最後は批判しないと「道徳」になりません。
そこまでわかっての連載なのか。まずわかっていないだけに、暗澹とします。









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