Straphangers’ Room2022

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文化への理解が問われる

2009-07-02 23:50:00 | 時事
国立メディア件p総合センター(仮称)に対する風当たりが強いです。

この政局の季節にまたぞろ民主党批判となって恐縮ですが、鳩山代表の「国営マンガ喫茶」という判りやすい?フレーズによる批判が独り歩きしていること自体が、そもそもこの施設のコンセプトを全く理解していないとしか言いようがないのです。

「マンガ」と切って捨てるのはあまりにも単純化しすぎであり、いわゆるメディアアートというジャンルに関する拠点と言う認識をしている人がどのくらいいるのか。民主党だけでなく自民党側にもこの手の批判に同調する議員が多いあたり、そもそもこれを審議する国会議員が根本的に勘違いをしているか、理解できていないかのいずれかを疑わざるを得ません。もしくはマンガをはじめとするメディアアートを理解していないと言うより、文字通り「一段低く」見るという蔑視のスタンスが見え隠れします。

確かに不況の中、予算執行の優先順位の問題は傾聴に値するものではありますが、しかしながら民間や篤志家に任せるだけだったこの手のサブカルチャーの体系的な保管や収集の現状がどうなのかを考えると、これでも時すでに遅し、なのかもしれないのです。

評価の固まった伝統文化か、「舶来」の文化といった「お件p」をありがたがる風潮がどうしてもあるわけですが、今回の一件は、そうした「折り紙」を見て安心できる「お件p」だけでなく、現代の文化をきちんと評価できるかどうかというセンスが問われるのです。

先に臓器移植法案につき、党議拘束をかけることなく各党は各議員個人の考えで投票したことで、臓器移植と脳死に関するスタンスや理解を推し量ることができたことは有意義でしたが、この問題も各議員個人の考え方で審議させていれば面白かったですね。彼らがこの手の文化をどう理解しているかが判りますから。

さて、そうした「現代の」日本件pに対する無理解と蔑視は何もこの現代だけでないわけで、江戸期から明治期の浮世絵に対する「件pとしての評価」が今日どういう結果を招いたか。同時代に早くも世界的に評価されていた浮世絵の本国では、その体系だった研究や保存が欠落しているという取り返しのつかない事態になっていたのです。

同様に「国営マンガ喫茶」と言う批判だけを良しとしているうちに、日本のメディアアート、コンテンツ産業の「歴史」を後世に残す機会がどんどん失われていくのです。浮世絵同様、あれこれ推理を交えた「野史」はあっても「正史」がないままでいいのか。浮世絵の失敗を繰り返してはいけません。







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