Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

二枚看板どころか三枚看板

2023-10-18 21:35:14 | 交通
高速道路ナンバリングはある意味複雑化していた各種路線番号を整理するいい機会だったはずですが、かえって複雑怪奇にしてしまいました。今回「放置」された都市高速にしても、「○○高速1号線」というように日本語部分が無いと識別不能ですし、環状線は須らくCと思えばそうでもなく、阪神高速の環状線は1号線だしCircleではなくRoopです。まあ名高速はR(Ring)だったのをC1にしていますが、東名阪で環状線の英語表記が異なっていた時点で外国人への案内への配慮など無かったということです。
都市高速の環状線は福岡にもありますが、もう一周はないと踏んでかC1ではなくCですが、全国の統一性という意味では、1つしかなくてもC1にしたかったですね。阪高の環状線も1ではなくC1でしょう。

首都高は環状線にC1とC2を充てていますが、普通は「都心環状線」「中央環状線」と呼ばれますし、湾岸線もBが充てられていますが、通常は「湾岸線」「湾岸道路」です。あと番号でも言われますが、6号線は中環を挟んで向島線から三郷線に名称が変わるし、埼玉と神奈川のSとKも浸透しているかは怪しいですね。K1というよりも横羽線、K2というより三ツ沢線ですし。6号線の件は名高速のように名二環を越えると+10とすれば分かりやすかったですが、中環が区切りになるのは6号線くらいだし、西側は都心から近すぎて区切りになりません。湾岸線の浦安以東同様「都外」なのに都内料金としてSやKと一線を画しているとはいえ、三郷線を別番号にしたほうが気が利いていました。

いずれにしても、首都高、名高速、阪高に加え、広島高速、北九州高速、福岡高速がそれぞれ独自に番号を持ち、視覚的識別も盾形で一緒と、記号だけでの識別が困難な状態のままですし、高速道路ナンバリングの対象外なので改善の可能性もありません。まあ番号は法則性というよりも慣れということを示す証左として、阪高のナンバリングがあり、環状線だけど1号線、環状線に接続する放射方向は基本11号(池田線)から16号(大阪港線)まで10番台で、1桁は都市間流動など都市内高速とは違う性格の路線に充てられています。(2号淀川左岸線、3号神戸線、7号北神戸線、8号京都線(NEXCOに移管)など)
あと六甲山を抜ける路線が30番台とか(31号神戸山手線、32号新神戸トンネル)、我が道を行きますが、利用者はあまりそこには気にしていません。2009年に西船場、東船場が、そして2018年に残る未命名JCTが命名されるまで、都心部を中心にJCTに名称が無くて「どこで分岐する」という表現が人それぞれだったことに比べれば些末な問題ですから。

なおインバウンド対応という意味であれば、首都高日本橋付近から福岡高速までアジアハイウェイ1号線(AH1)にも指定されていますが、それを活かすこともしていませんね。アジアハイウェイは連続性も重視しているのか、福岡港までの一般道も実はAH1ですが、「高速道路」が整備されていない国も合わせての指定、整備ですから、ルートが続くことが第一なんでしょう。とはいえ、広島岩国道路区間のようにE2、R2、AH1と3つの顔を持つ道路ともなるとややこしいで
なおAH1はあくまで東名と名神経由(さらには山陽道経由)であり、走りやすく誘導すべき新東名、伊勢湾岸道、新名神は入っていないというのもおかしな話です。そこまで酷くはないですが、国道だからという理由で悪路に誘導するカーナビの如き指定ですね。こうなったら山陽道ではなく中国道を指定していたら完璧でしたが。

まあAH1はインドシナ半島を回り込んでタイも通りますが、バンコクまでの支線を設定してはいますが本線は中部を東西に横断してミャンマーに抜ける格好になっており、バンコク起点で放射状に各国境までを結ぶ国道をつまみ食いする格好なので、AH1として認識されることは多くはないようです。タイを通り抜けてカンボジアからミャンマーに抜ける流動がいかほどか、という話ですし。
もちろんそれぞれの国境はポピュラーな国境で、アランヤプラテートでのカンボジア(ポイペト)、メーソートでのミャンマー(ミャワディ)との行き来は多いですが、タイとの行き来、というのが原則です。(出稼ぎなど人の流動も多い)

国際ルートとしてはタイ国内ではインドネシアからマレー半島を北上し、バンコクを通りチェンライまで縦断してミャンマーに抜けるAH2のほうが分かりやすいです。ただし「高速道路」の整備がほとんどないので一般道の指定に過ぎないですし、AH2はミャンマー国内でAH1と出会ってからはイラン国内までAH1と付かず離れずの別ルートで西に進む格好なので、AH1の横断に対してAH2の縦断ともいえず、中途半端です。シルクロードルートはAH5、シベリア鉄道ルートはAH6とか、流動に即した東西幹線ルートにAH1が充てられているでもなく、東は日本から西はトルコまで、中国やインドを経てアジア主要国にもれなく顔を出しているのがAH1というイメージですから、実用路線とは程遠いのかもしれません。



混乱とやっつけ仕事の高速道路ナンバリング

2023-10-18 21:33:45 | 交通
高速道路ナンバリングが導入されて久しいですが、法則がありそうでない、それどころかやっつけ仕事のような付番すらあるという状態です。それこそ全国に統一的に付番されている国道番号を下敷きにしてExpwyのEをつければよかったのに、2桁にこだわったため3桁国道に並行する区間においては「全く違う番号」となり、ドライバーがおぼろげながら感じていた関連性を打ち壊してくれるから、あの番号っていったいなに、という話になり、結局は「○○道」のままです。

その「○○道」も案内上の名称と法律上の名称が泣き別れで、法律上の名称を使う官庁などの発表資料を何も考えないで使ってしまったメディアの記事に当惑することもしばしばです。これは鉄道で言えば頑なに「本四備讃線児島駅」とか「東海道本線甲南山手駅」「東北本線戸田公園駅」と言っているようなものですから。

ナンバリングはインバウンド対応として有効という主張も、インバウンドは3桁以上の数字が読めないなんてことはないんですから、高速道路はE、国道はRとか単純な決めごとさえ守れば3桁でも4桁でもいいんですよ。一般道は総てRとして、都道府県道や市町村道は4桁とするとか、数字の重複を回避するほうが有効です。高速道路は(広域で)並行する一般道路のバイパス的存在なので逆に数字が揃うほうが分かりやすい半面、都道府県道などは国道とのそうした関係にないから、同じ番号の道路が国道と県道で別々に存在するとか混乱の下です。

世間では国道をR、都道府県道以下はrとして番号の重複や道路種別を識別していますが、千の位を地方別に割り振れば重複も早々出てこないでしょうから、少なくとも一般道はRで示すことも可能になります。そうなると番号が変わるケースも出てきますが、平成以降でも国道昇格や新道開通による格下げや経路変更、また重複区間のルール変更での変更例は数多くあるわけで、結局は慣れの問題ともいえますし、体系だってわかりやすい付番への変更であれば歓迎でしょう。
ちなみに船橋市から我孫子市に抜ける千葉県北西部では例外的な南北方向の幹線道路であるr8船取線は、かつてr21であり、平成に入ってもr21のヘキサが残っていました。

もっと深刻なのが高速道路のナンバリングで、はっきり言えばご都合主義の塊です。2桁にこだわったことでわずかな欠番を除き99まで(99は欠番)が事実上埋まっており、新たな高速道路(高規格道)は作らないという宣言なのでしょうか。
既にナンバリングが定着している都市高速はそのままとしたため、アルファベットもなく国道と重複するとか、都市高速同士で重複するとか、都市高速は別物、というのであればまだしも、環状道路に関しては都市高速の追番で外縁部の環状高速が付番されているわけで(首都高のC1、C2に続いて外環道のC3、圏央道のC4がある。名古屋も名高速の環状線(R=Ring)をC1とし、名二環がC2、東海環状道がC3になる。なお名高速環状線がRからC1になったのはGood)、まさにつまみ食いです。

並行する一般国道との関連性についても、十字交差しないで一定区間縦貫方向を利用する横断方向の両方とも同じ番号にしたため、名称は別なのに番号が一緒という意味不明な事態も発生しています。あるいは名称も番号も一緒ですが、片方の区間にその番号は関連性の欠片もない、というケースもあるわけです。北関東道は途中縦貫方向(東北道)との重複はありますが名称も番号(E50)も変わりませんが、並行する国道もR50なのでこれはいいんですが、中部横断道は南部区間こそR52に並行するという意味でE52ですが、北部はR141に並行するのに2桁縛りもありE52と無関係の番号です。

播磨道と鳥取道に至っては中国道を挟んで名称は違うし分岐地点も違うのですが、ナンバリングはE29と姫路鳥取間のR29をイメージしていますが、佐用から志度坂トンネル経由のルートはR373として認識されており、これは戸倉トンネル経由のR29とは違うという識別にもなっているだけに、それは違うという感じです。だいたい広域流動で鳥取に行くのに播磨道経由という人はごく少ないですし。また同様に山形道はE48ですが、ルートは笹谷トンネル経由のR286に並行しており、これも関山トンネル経由のR48と違うルートとして認識されているのに、「48」はどうなのか。山形から先庄内へはR112として定着しているルートでもあり、R48とは全区間で無関係です。なおE48は仙台南部道路にも与えられていますが、宮城県道路公社からNEXCOに移管された際にR6になっているとはいえ、R48とは無関係です。E6も仙台東部道路はまだしも、仙台都市圏の環状道路を構築する三陸道、仙台北部道路も含んでいますが、これこそ仙台南から富谷まで環状高速であるC1でも名乗らせるべき区間でしょう。常磐道(E6)、三陸道(E45)はそれぞれ仙台若林JCT、利府JCTまでとして。

岡山道と米子道も混乱しており、岡山口では岡山から津山を経て鳥取に向かうR53をイメージしたいところ、真庭方面から米子に抜ける米子道と番号を一緒にしたことで、米子道が並行するのが3桁国道のR181となり、R53だと米子ではなく鳥取ということで、国道番号には無いE73を名乗っており、関連性の欠片もない状態です。
同様に尾道道と松江道も、これは三次で中国道と十字交差するとはいえ、ナンバリングは通しでE54となっています。確かに松江道はR54並行ですが、尾道道はR184並行なので無関係ですが。

さらに高速道路も高速自動車国道であれば無料の新直轄区間も含めて国道番号を持たずにナンバリングだけですが、一般有料道路になると国道番号を持ちます。京葉道路のようにR14とR16で、E14を名乗るのであればまだ許容範囲ですが、千葉東金道路(R126)のように3桁国道のバイパスというケースが多いです。なおE14はそのまま館山道、富津館山道路まで続きますが、これも千葉以南はR127ですからイメージに合いません。

しかも高規格道が国道指定された1993年の昇格組やそれ以降の開通組は、並行する一般国道などとは別に400番台後半の国道番号を持っています。「○○道」が一般的で国道番号を意識することは少ないとはいえ、国道番号で案内されるケースもあるわけで、それなりに認識する人もいましたが、これらがナンバリングにより「二枚看板」になっています。第三京浜は1993年に国道となりR466となっていますが、ナンバリングではE83となっており、全く関連性はありません。舞若道から分岐する北近畿豊岡道も実質山陰道ですが、E9が割り当てられた山陰近畿道は宮津経由で京都縦貫道に至るため、E72となり、さらにR483にも指定されています。朝来から日高まではR9が並行していますが。

また高速自動車国道の途中に一般国道区間があるケース。上記の鳥取道は志度坂トンネル区間がR373となっていますし、伊勢湾岸道もE1Aのナンバリングですが名港トリトン区間は一般有料道路としてR302の国道番号を持ちます。これらは極力国道番号での案内は少なくとも高速道路側ではしていないので混乱はほぼ無いとはいえ、難しいところです。
さらに山陽道はE2のナンバリングを持ちますが、山口県内で山口JCTで中国道に合流する「本線」とは別に山口南ICから宇部経由で下関JCTで合流するルートが用意されており、こちらにE2のナンバリングが与えられています。

なおこの区間はR2の高架バイパスである小郡道路、山口県の有料道路から無料化されて県道になった山口宇部道路を含んでおり、広域流動がこちらを経由することもまずないでしょうから、なんで別番号にしなかったのか。山陽道関係は広島岩国道路が途中挟まりますが、伊勢湾岸道と違い地上側で「広島岩国道路」を強調しているのも不案内ですし、神戸淡路鳴門道と瀬戸中央道の接続部分はJCTから1区間だけ山陽道を名乗り、しかもE2としています。会社またぎだからというかもしれませんが、NEXCO同誌では会社またぎで名称や番号は分けていません。それこそ岡山道は当初岡山総社ICまで山陽道の支線でしたが岡山道開通時に岡山JCTを起点にしていますよね。一方で西瀬戸道は山陽道福山西ICにつながるR2松永道路、松山道(E11)につながる伊予小松道路を含めてE76にしていますから、これもご都合主義の対応です。

その山陽道と東名、名神、さらに東北道は、並行する高速道路のナンバリングを統一しています。山陽道のE2に対し、中国道はE2Aとなり、東名、名神のE1に対し、新東名、伊勢湾岸、新名神はE1Aです。これは小牧ICで名称が変わるが「なんで小牧」という状況でもあり、通しでE1は合理的です。まあ一方で小牧ICではなくJCTで変わる中央道との微妙な違いもモヤりますが。
東北道のE4もE4Aがありますが、これ、常磐道ではなく八戸道からバイパス群を経て青森道といういわば末端の別ルートに充てられています。これなんかなんで別番号にしなかったのか。青森県道の一般有料道路そのものであるみちのく有料道路もE4Aですし。新東名や新名神はともかく、山陽道と中国道をグルーピングするのであれば、東北道と常磐道は当然そうなるべきだったんですが、常磐道に並行するのが1桁国道のR6ということを尊重してE6になっています。これもご都合主義でしょう。

1970年代、高速道路黎明期ともいえる時代、数少ない高速道路に国道のような番号を付ける試みがありました。実際に緑色六角形(ヘキサと違い頂点は横方向)の番号表示が立ちましたが(「高速国道」の補助標識付き)、当時は高速道路も少なく名称だけで足りたこと、またインバウンドも少なかったこと、さらには国道との関連性もないナンバリングではかえって紛らわしいこともあり、本格的な展開には至りませんでした。
逆に国道番号も300番台までだった当時、高速道路は500番台とか統一性、法則性を持って付番していれば、並行国道との関連性が無くても定着した可能性はあります。R2の福山西からR505(山陽道が名乗ったと仮定)に入り、広島でR54に行く、という感じで。



毎度の誰得の自作自演説

2023-10-18 21:24:13 | 時事
イスラエルとパレスチナの紛争ですが、暫定自治政府ではなくガザ地区を実効支配している武装勢力が戦端を切ったというのが話をややこしくしています。いきなりロケット弾を打ちかけて来たハマスが悪い、とは簡単には行かないことは先刻承知の話とはいえ、パレスチナ政府の意向に即した行動であるかというと疑問であり、イスラエルのパレスチナ圧迫が問題であるとはいえ、住民を代表する主権国家ではないハマスの行動を無条件では首肯できないわけで、なんとも厄介です。まあ積もり積もった迫害を理由に一定の理解を示すのを見ると、じゃあナントカ大隊による迫害や人権侵害は無視して理解を示すことも許さないというのは見事なダブスタでしょう。

それはさておき、イスラエルが誇る「アイアンドーム」に対して廉価なロケットなどでの攻撃で「無駄弾」を撃たせるという飽和攻撃、この手があるとは思いませんでした。盛大に弾幕を張って防御するというシステムですが、迎撃する側も無尽蔵ではないという弱点を突かれた格好です。その意味ではウクライナ紛争も含めて、兵站や補給の重要性がこれほどまでに明らかになるとはさすがに思わなかったわけで、正面装備だけ立派でも消耗戦になれば無能力化するというリスクを目の当たりにして、専守防衛という建前で戦う前提の我が国は、補給が続くのか。先の対戦ではそこが全くダメだったことで、戦線を維持できないばかりか餓死や戦病死の多発という「戦わずして負け」となりましたが、ここまであまり教訓を得ていないようでもあり、ますます心配です。

イスラエルはガザ地区北部を侵攻する模様ですが、多くの死者を出した手前、国内向けに相当な損害を相手に与えないとおさまらないという空気が読み取れます。要は報復ですが、こうした報復の連鎖を断ち切らないと和平は遠いわけで、そこを指摘、指弾できるか、受け入れられるかが鍵でしょう。「報復」にしても長い歴史(とは言ってもイスラエル建国からの70年程度という「短い」年月ですが)の中では、パレスチナ人への迫害はどうなんだという相対化の批判は当然ありますし、それを考慮しないといけません。イスラエルは確信犯的に切り取って被害者を演じしていますが、イスラエルのシンパは他国や多民族に対して居丈高になりがちなのに、自分たちが攻撃されたら被害を強調して報復を叫ぶ、という傾向が見て取れます。戦後我が国もそういう切り取りで欧州や豪州から批判を浴びていますよね。自分たちの傷は人一倍痛いというミーイズムですから。

こうした中で発生した病院への攻撃ですが、「爆発」とするメディアは何を考えているのか。戦地とはいえ、「爆発」ではガス漏れか何かのような扱いです。病院が武装しているでもなく(赤新月社がいますから、そういう工作はまずあり得ません)、誰かが攻撃して被弾したからこその被害です。しかも500人といった単位での死者が出ていると報じられており、ビルへの攻撃で一気にそこまでの死者が出るだけの破壊に至る攻撃がどのような「兵器」なら可能なのか、普通に考えたら答えは自明の域です。

ところがメディアもネット界隈も腫れ物に触るかのような論調で、ハマスの誤爆説が出るとそれに飛びついています。
鉄パイプ爆弾の親戚レベルのロケット弾が何発着弾したら500人からが死ぬくらいの爆発になるのか。それこそ誤爆どころか故意にロケットランチャーごと突っ込まない限り無理でしょうし、それが荒唐無稽の域というのも常識で考えればわかるはずです。
そしてハマスになすりつけるのは無理筋と悟ると「第三勢力」による攻撃というのもどうなのか。現状存在を示せないレベルの勢力がここまでの兵器を持っているのか。ちなみにロシアがウクライナを民間アパートを攻撃、という際の被害を見れば、いったいどのようなロケット弾なのか。こうしている間にも間断なく空爆して「避難回廊」を有名無実化したり、ハマスの最高指導者を爆殺しているのを見ると、それが病院を誤爆したという見立ての方が素直でしょう。
このあたりは結局「国際社会」と言いながら欧米に忖度しているわけで、特にイスラエルのシンパというか庇護者である米国がシロと言えば黒いカラスも白くなる現実を踏まえて「滅多なこと」を言わないようにしているんでしょうね。

あるいは世論の誘導を図っているか。
こうした流れには既視感があるわけで、ロシアへの攻撃を自作自演だという主張がしきりになされましたよね。冷静に考えたら自作自演だと誰得になるのですが、なぜかそういう方向に誘導しようとしていました。
で、しばらく経つとウクライナによる非正規戦の結果だったというすっぱ抜きがあり、ウクライナもそれを否定しない。それ見たことかデタラメな主張をしやがって、と批判が出ると、ロシアの侵攻が悪い、と話を逸らすわけです。

そう考えると、パレスチナ迫害が悪いとも言わずに「爆発」とする動きは、なんか既視感あるシーンの悪いところ取りですね。
まあ芸能プロダクションの問題でもそうでしたし、10月から規制が厳しくなったステマもそうですが、ネットの流れはまず疑ってかからないと高い確率で誘導される、騙される、というリスクが高いようです。そうした情報戦はネットが普及する遥か前から「お馴染み」であり、我が国も日中戦争当時に米誌による「切り取り写真」で致命的ともいえる「良識派」の反発を招いたことで、国際的に孤立して枢軸国に全振りするしかなくなったという苦い過去もありますし。

なお、民間人の犠牲を理由に和平を促すという点については実は期待薄です。
ガザ地区ではなくヨルダン川西岸地区ですが、預言者が都市に侵攻して住民のみならず家畜に至るまで皆殺しにしたという伝説があり、それはその都市が「約束の地」であり、神が命じた正義の行いとされていますから。正義であれば何をしても許される、いわんや自分たちに多大な犠牲が出たのであれば、鏖殺することも厭わない、良心も咎めないという懸念があります。病院への攻撃もまた良心なんてなにそれ美味しいの、というレベルの信念でしょうね。その意味では「異教徒」である日本人にとっては、犠牲がどうのというナイーブな議論ではなく、明日は我が身のリスクとして考えるべき素材です。