Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

自分さえよければ、と言っているに等しい

2021-11-10 22:19:00 | 時事
COP26の開催地に各国の「若者」が乗り込んでいますが、まあ国際間移動が極小化してLCCも飛ばず、移動コストも馬鹿高くなっているこの御時世に海外に行けるというだけでも恵まれているとしか言いようがないですが、そういう層からこれ以上の発展は望まないとか言われても乾いた笑いしか出ませんね。

国内のこの手の運動、活動も意識高い人やその団体は総じて東京の山の手を中心としたエリアの人が多いように見えるわけで、エネルギー問題というある意味生活の基盤ともいえる部分で「これ以上は」ということがどれだけの欺瞞かを認識してないんでしょうね。いわゆる「ウエメセ」どころでない話です。各国の活動家もオンラインで集結、とならないのですから、欺瞞もいいところです。自分の移動は良い移動、ということなんでしょう。

電力が安定して十分に供給されている、という社会しか知らないんでしょうね。停電が頻繁に起きる、電圧が不安定、さらには給電時間が限られる、とか、途上国では普通にある話です。先進国ですらもし化石燃料ガー、といって電源構成を変えたら同じ問題が発生するリスクが高いわけで、電気に頼っている社会に安住して電気の安定供給を否定することがいかに愚かしいか。本来は「大人」がきちんと指導すべき事項でしょう。その考え方は間違っている、と。

温室効果ガスの排出が世界一の中国がこの問題に対し、エネルギー効率を評価基準の一つにしていますが、単に排出量で評価したらエネルギーの消費そのものが悪となるわけで、それは欧州お得意のルールを変えて足を引っ張る、という陥穽にほかなりません。日本なんかはエネルギー効率では先端を行くわけで、絶対量は少なくとも効率が悪いと無駄に温室効果ガスを排出している、と批判しないといけません。だのに絶対量での評価となり、乾ききったタオルを絞る破目になっています。

前も批判しましたが、代替肉の推進理由に家畜が排出する温室効果ガスを真顔で掲げているわけです。生物は光合成をおこなわない限り酸素を吸って二酸化炭素を排出するしかないわけで、生物由来の温室効果ガスを批判するというのは、命の否定にも等しい話です。じゃあこの手の意識高い人たちは、地球のために呼吸を止めます、と出来ますか、という話です。結局電力の恩恵を受けながら「これ以上は」というのと同じ欺瞞ですよ。自分だけよければ、というスタンスですから。