Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

信用度ゼロの「お墨付き」

2020-07-24 22:18:00 | 時事
東京都の感染者数が初の300人台、と身構えたら366人と300に乗せたというようなレベルでない増えっぷりです。大阪も3桁が連続し、愛知も100に迫る勢いと、日本全体の感染者数が爆発的に増加しており、検査数が増えているからといったエクスキューズが通用しない状態ですからね。

さてすっかりお馴染みになった「三密」ですが、海外も含めると「Social Distance」の用語が一般的ですね。
ところがその運用となると各国ともいい加減というのが実情で、だから感染拡大が止まらない、収束しない、というしかない状態です。

特に飲食店は感染源となるケースが多いのに有名無実化しているわけで、克服宣言をしたタイでも、現地タイ人に人気の焼き肉、しゃぶしゃぶ食べ放題店で、真面目な店は対角に座らせたり、「ひとり焼肉状態」の席にしたりしているそうですが、不真面目な店だと、もともと4人で座るような席を6人鰍ッ扱いにして、3人鰍ッの真ん中を空けました、として扱っている店もあるようです。

カウンター席は衝立を立てたり1席おきにしたりしていますが、テーブル席が、という構造は日本と同じですが、テーブル席に4人フル、とはしていないのがまだマシと言えます。

その意味では万事が緩いタイと比べても緩すぎる日本なんですが、行政の示したガイドラインを遵守しているお店を使いましょう、という指針で何とか対応しようとしています。
ところがそのガイドラインを遵守している、という「お墨付き」の信頼性が全くないわけです。以前ニュースショーで出ていたのは、東京都の「お墨付き」、つまり店頭に掲出するシールですが、ウェブでの申請となっており、いくつかの質問に回答したら、その場で発行されてプリントアウト、という流れになっていました。

そう、だれも検査、確認をしていません。あのシールの信頼性があると信じている人がいたらお目出たいにも程があります。百歩譲って申請方式しかないとしても、じゃあモニタリング(監査・確認)はしているのか。していなかったらどんな店でも発行できる無意味なシールですよ。
その程度の対応ですから、感染拡大が決定的、致命的になるのも当然でしょう。


保健所が諸悪の根源

2020-07-24 22:14:00 | 時事
同じ番組で感染者への対応に疑義を呈しているというのもご都合主義ですよね。
大したことがない、という「新仮説」を局として推すのであれば、特に軽症者や無症状者を収容する施設が足りないなんてことは無問題ですし、無症状が一定期間継続したから無検査で解放、というのも全然OK、と主張すればいいのに、こちらは不安を煽る。まあ「不安」というより現実にある「問題」ですから、こちらはしっかり検証すべき話題です。

新規感染者数が過去最大、と発表するのはいかがなものか、という疑問が常々提示されており、例の「新仮説」の教授も発症者と死亡者が重要、と言ってましたが、無症状者が感染力を持つ以上は発症者に限定すること、発症しないと無問題という感じを与えることはかえって危険です。

そしてそもそも行政側によるこれらの定義、すなわち発表時のカテゴライズが正確でない、というかご都合主義、恣意的な運用という大問題があるわけです。上記の解放要件もまさにそうですが、検査を受ける受けないのフィルタリングもそう。はっきり言えば保健所が最大のガンになっています。

感染者数をコントロールしてました、とさいたま市の保健所がゲロッたように、保健所が悪さをしているわけです。はっきり言ってしまえば、今出ている数字の信頼性が全くないと言っても過言ではなく、まさに小役人が国難の対応を壟断しているのです。

定義がこうだから、と極力該当しない方向で運用する。検査の条件の運用による検査数極小化の「水際作戦」は有名ですが、解放要件でも一定期間継続の起算点となる症状消失の「症状」を限定して味覚異常などを外すことで、味覚異常などの顕著な症状があっても解放への時計が進行する、という状況です。つまり回復していない、安全でない、本来は未だ「感染者」である人がどんどん解放されているわけで、市中感染が減らない原因は保健所の恣意的かつ杜撰な運用が原因と言ってもいいでしょう。

保健所を無くすわけにはいきませんが、機能や権限を抜本的に見直して、解体的な出直しは必要でしょう。特に恣意性の介入は極力排除する体制にすることが急務です。それこそ足元は「弱毒」になっているからまだよかったようなものの、これが急変したりしたら、抑え込むべき時に抑え込まなかったことが感染拡大だけでなく死者の激増などの原因となるわけで、小役人の対応が国を滅ぼしかねなかったわけですから。


局として「新仮説」を推すのか

2020-07-24 22:13:00 | 時事
フジテレビは例の国際医療福祉大の大学院教授の「新仮説」を局として推すわけですね。
Mr. サンデーに続き、朝のとくダネで取り上げたということは、影響力という意味では段違いの番組で取り上げたわけで、「覚悟」を決めたということですね。

病院経営が専門の教授が生出演して、番組常連の感染学が専門の昭和大教授がなぜか欠席する中で垂れ流されたという意味は大きいですよ。「新仮説」を紹介するだけでも勇気がいるのに、せっかく専門家が「常駐」しているのですから検証してもらえばいいのに、なぜか欠席ということで検証を回避しているのはどうなのか。おそらく瞬殺されるからなんでしょうが、専門家の検証をしないで垂れ流したということの意味は大きいですよ。今後専門家の出席も望めませんよね。そんな局、番組に出ると自身の信用にかかわりますから。

ウィルスが肺に入るまでは「コロナは風邪」ということですよね。あの楽観論は。風邪状の症状でとどまり、自己免疫力で自然治癒する、とのことですが、肺炎を併発するのではなく始めから肺炎を引き起こすウィルスですよね。前提がおかしいです。

そして感染(力)についての言及が全くないわけで、「感染者」が無症状や風邪状だから大丈夫、というのは、他人に感染させるリスクを全く考慮していません。しかも卑劣なことに、口頭で「感染力は強いんですよ」と逃げの布石はしっかり打ってる。感染しても重篤化する確率は低いから、というつもりなんでしょうが、無症状や軽症から感染して重篤化、死亡に至らない保証はないわけです。

少々の重症者、死者はやむを得ない、という政治的決断としてこの手のロジックを使うのであれば、それは「政治判断」としてリーダーのあるべき姿ですが、「専門家」としては最低ですね。エビデンスも満足でなく、素人目にも矛盾する現実の数字がゴロゴロしている、要は孫引きして「医療系の専門家がこう言っていた」というエビデンスで使われるための文字通り「為にする」意見に過ぎません。