首相主催の「桜を観る会」が、予算規模の拡大への批判に始まり、出席者選定への疑惑まで噴出しています。後援会など「関係者」の出席は疑いのない事実ですが、主催者でありながら選定は知らない、というのは通りませんよね。選定基準が問題なのに答えない。いつもの首相のやり口です。
そして逃げ込もうとしているのが、「桜を観る会」は民主党政権でも実施していたからブーメランだ、という主張や、こんな些末なことで時間をつぶすなという主張。すでにシンパがあちこちで吹聴していますが、逆に主催者側の内情を知っている立民など野党は、「自分たちはこうだった」という事実を示せばいいのです。あるいは自分たちも後援会を優遇したという暴露でもいいでしょう、そういう風習だったというのを明るみに出せば、これまでなかなか得られなかった国民の支持を得られるでしょうね。そしてスルー推奨はよほど触れれたくない話ということを自白しているようなものでしょう。
そもそも「桜を観る会」自体が必要なのか。
戦前の外交を志向した観桜会を、主権在民の世の中だからと首相主催にした経緯はありますが、園遊会が復活し、内外の功労者を招待するという場はそちらになっています。
類似の行事を天皇陛下と首相の主催でそれぞれ行うことに何も感じないのか。
一般的に君主と同じ、あるいはそれを凌ぐイベントを開くことは、その主催者が自身の権威は君主を凌ぐことを世に示す目的や効果があるわけで、それを主催したのは二重権力状態か、のちに簒奪者になるかのどちらかというのが歴史が示しています。
日本では皇室がずっと統べて来た伝統があるから気が付きにくいですが、摂関政治や秀吉にその傾向が若干みられる程度ですが、中国であればそういう挙に出る存在は「皇帝一歩手前」であり、やがて瑞兆が見られたというようなごますりが始まり、禅譲に至るのが通例です。
そんな大それた発想ではないでしょうが、それくらい不遜な行動なんですよ。
そして逃げ込もうとしているのが、「桜を観る会」は民主党政権でも実施していたからブーメランだ、という主張や、こんな些末なことで時間をつぶすなという主張。すでにシンパがあちこちで吹聴していますが、逆に主催者側の内情を知っている立民など野党は、「自分たちはこうだった」という事実を示せばいいのです。あるいは自分たちも後援会を優遇したという暴露でもいいでしょう、そういう風習だったというのを明るみに出せば、これまでなかなか得られなかった国民の支持を得られるでしょうね。そしてスルー推奨はよほど触れれたくない話ということを自白しているようなものでしょう。
そもそも「桜を観る会」自体が必要なのか。
戦前の外交を志向した観桜会を、主権在民の世の中だからと首相主催にした経緯はありますが、園遊会が復活し、内外の功労者を招待するという場はそちらになっています。
類似の行事を天皇陛下と首相の主催でそれぞれ行うことに何も感じないのか。
一般的に君主と同じ、あるいはそれを凌ぐイベントを開くことは、その主催者が自身の権威は君主を凌ぐことを世に示す目的や効果があるわけで、それを主催したのは二重権力状態か、のちに簒奪者になるかのどちらかというのが歴史が示しています。
日本では皇室がずっと統べて来た伝統があるから気が付きにくいですが、摂関政治や秀吉にその傾向が若干みられる程度ですが、中国であればそういう挙に出る存在は「皇帝一歩手前」であり、やがて瑞兆が見られたというようなごますりが始まり、禅譲に至るのが通例です。
そんな大それた発想ではないでしょうが、それくらい不遜な行動なんですよ。