Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「青青事故」の背景は

2015-06-25 00:21:00 | 交通
神戸市東灘区の魚崎浜(第三工区)にある信号交差点で、トラックと軽乗用車の衝突事故がありましたが、業務上過失致傷に問われていたトラックの運転手に無罪の判決が出て、確定しました。
無罪がでた理由は、注意義務の問題ではなく、交差点の信号に不備があったという理由であり、今回の判決確定は警察もその問題を認めたと言うことです。

この交差点、Kの字になっており、トラックは縦棒の下側(南側)から交差点に入り、Kの字の右下方向に進もうとしていました。信号の表示は青で、対向車が来る縦棒の上側からのクルマはいませんでした。
ところが交差点内で、Kの字の右上方向(厳密には右90度に交差)から縦棒の下側に向かう軽乗用車が進入してきて衝突したのです。

直進方向が青なので、Kの字の斜め方向からの信号は赤と思いきや、軽乗用車が来た側の信号機は左矢印を表示していたのです。
この位置だと左折は縦棒方向と斜め下方向の両方向に進めると看做せるわけで、事実今回の裁判でも縦棒の下方向に向かうことにつき信号無視とはされていません。

これはおかしな話であり、青信号ではなく矢印信号の場合、基本的に矢印信号に従った進行を阻害する流動を容認する信号が現示されないはずです。同じ方向に合流する格好での現示はありますが、多車線道路で右折矢印での合流先に向けて対向車線からの左折矢印が現示されるようなケースであり、今回のようにKの字の右上→真下と、真下→右下のように流動が交差する格好で矢印信号が現示されることは「想定外」です。

裁判で認定された「信号の不備」はまさにその「想定外」であり、信号交差点に交差方向からも同時に入れる、というのは信号が無いのと同じ、つまり十字路で全方向青信号というのと同じ事態ということです。

神戸新聞の記事で言う「青青事故」とは言い得て妙ですが、神戸市内ではかつて私が住んでいた時代にもっと危険な矢印信号がありました。
神戸市灘区、ハーバーハイウェイの高羽ランプを降りて、製鉄所や発電所の前を通って摩耶交差点のほうに向かう臨港道路と、六甲道駅、新在家駅方面から下りてくる道が交差する灘浜東町のT字路がそれで、高羽ランプ方面からの西行きから六甲道駅方面への右折用に右折車線と右折信号が用意されています。

基本は直進矢印で、対向側は青信号です。(ただし対向側の東行きは左折禁止なので直進しか出来ない)
一定時間が経つと右折矢印が直進矢印とともに点灯するのですが、(【2015/7/12訂正】現示されるのは青信号です)このとき最初の数秒間、対向側は青のままなのです。そこから黄色を示して赤になるのですが、右折矢印は無条件で進行できる、という全国共通の認識で発進すると時差式で青になったら無条件で右折出来ると思っていると右直事故が発生します。

まあ両方向とも交通量が多く、右折矢印青信号が出ても対向側が途切れないので、異常な現示を身体で覚えるのですが、こういう異常な信号が同じ市内、しかも隣同士といっていい位置関係のエリアに存在するというのは偶然でしょうか。

ついでに言うと、今回の事故現場の北、「本土」側に渡って東に向かう臨港道路を進むと、十二間道路(の延長線)と交差しますが、形式上T字路になっているものの、すぐ北側(山側)で青木方面から来る道路との逆向きのT字路になっており、クランク上の変則十字路と言える構造ですが、なぜか2つのT字路と信号を別物に扱っているため、臨港道路から十二間道路に左折しても信号が赤。停車できるスペースは普通車でも1台程度では、事実上進めないわけで、1本山側の道路に生活道路を伝って移動するクルマが絶えない迷惑かつ危険なスャbトになっています。

そしてさらに東、R43の青木交差点では、芦屋側から来る西行きから左折するためには、交差点のかなり手前にある阪高深江ランプ入口の手前でランプ路の左側側道に入らないといけません。かつてのフェリー乗り場、今では大型商業施設があるエリアへの左折ですが、青木交差点の左折分岐がはるか手前とは案内にありません。そして青木交差点でR43本線から左折すると、往々にして側道に潜んでいる白バイやパトカーがお出迎え、という「入れ食いスャbト」というわけで、不可解な信号は放置され、あまつさえ不可解な交差点構造でネズミ捕りという体質が問題でしょう。



悲劇は文官が招くのか

2015-06-25 00:19:00 | 時事
その沖縄県知事は米国を訪問して普天間の移設問題についての持論を主張してきたわけですが、米政府、議会等の要人は面会こそしましたが、面会後にこぞって知事の意見に与するものではない、政府間で決定された方針を進めるのみ、という趣獅フ発信をしているあたり、「外交辞令」すらする気が無い、という厳しい姿勢であり、県による「独自外交」が全く相手にされていないことを知らしめた格好です。

県知事寄りのメディアは「成果あり」としきりに報じていますが、面会者が相手の持論に与しない、と言うことを積極的に発信している時点で、強い意思を持って否定された、と考えるのが自然であり、相手方を強硬にさせた、態度をはっきりさせてしまったと言うことで、かえってマイナスだったと言う評価が妥当ですし、中央のメディアの評価は概ねそのあたりで一致しています。

こうなると県知事の姿勢というのは、本当に県民のためなのか。日本国全体での視点では、いまや「最前線」となっている沖縄の「弱体化」はありえず、「人質」である駐沖米軍の県外移転は、沖縄本島をも戦場にしかねない愚策です。
このあたりは沖縄戦の直前に転出した県知事(官選)が、軍部との反目もあり、住民の疎開といった住民と戦闘との分離策をほとんど実施しなかったことが、結果として住民を戦闘に巻き込み多数の犠牲を出した原因とされている構図と似ています。

沖縄戦の時、軍部の南部での持久戦略に反対し、住民の県外疎開や中部、北部への避難が遅れたのです。軍部の戦略自体を本土防衛の捨石、と批判することは容易ですが、「日本」全体として考えれば、沖縄で出血持久することも戦略です。不謹慎な例えと批判されそうですが、「王より飛車を可愛がり」はありえないのです。

それから70年。我が国の防衛戦略として沖縄に米軍部隊を配置することが不可欠と判断している時に、県知事がそれに異を唱えているわけです。
確かに沖縄の負担は突出していますが、現在のパワーバランスを見れば、沖縄は「最前線」であり、ここの守りが日本全体の運命を左右するのです。県知事が「独自路線」を貫くことで、一朝有事あった際に、沖縄県民が晒されるリスクは高まるのか軽減されるのか。
「敵国」へ誤ったメッセージを発信し続けていることも含めて、県知事の行動は評価できません。


「慰霊の日」を貶めているのは

2015-06-25 00:13:00 | 時事
6月23日は沖縄戦における組織的抵抗が終結した「慰霊の日」です。
帝国陸軍32軍司令官の牛島中将とその司令部が「玉砕」したこの日をもって沖縄戦での戦闘指揮者は消滅し、25日に大本営が沖縄戦の終了を発表しています。

県の休日と定められているこの日は、70年前の悲劇に思いを馳せ、犠牲者を悼む神聖な日といえます。
そして全戦没者追悼式が県により執り行われますが、今年のそれは例年になく異様なものだったと聞いています。

県知事が普天間の辺野古移転問題に言及し政府批判を行い、参列した首相に対する非難やシュプレヒコールで騒然とするなど、およそ慰霊の趣獅ニかけ離れた光景が繰り広げられたのです。
政治的スタンスの違いや、激しく対立している問題点があるのは承知していますが、でもこの日はどういう日なのか。ということを考えたら、県知事や反政府勢力の対応は「慰霊の日」に相応しい振る舞いだったか甚だ疑問です。

8月6日の「広島原爆の日」でも同じような問題が起きていますが、広島市側が当座の政治問題に絡めて平和宣言を行うことはなく、政府側も民主党政権時代に脱原発の持論をぶった首相がいましたが、あくまでそれは例外であり、その日その場の趣獅ノ従った言動に徹しており、会場での反政府行動も若干は見られますが、まず地元においてあの行動はいかがなものか、という批判が起きるなど、あらゆる当事者が節度を持って行動しているのと対照的です。

このあたりは「反核・非核」という全世界へのメッセージ発信の場でもあり、ただでさえ核保有国の「壁」が厚いのに、そこに余計な、よこしまな主張を紛れ込ませる余地などなく、純粋な主張を繰り返すべき、という使命感がある広島に対し、「内向き」の式典という面が強い沖縄の違いでもありますが、純粋な慰霊から遠ざかれば遠ざかるほど、そこで主張されるテーマは「今」の価値観による批判の対象となるわけで、それを「慰霊の日」に重ねることは、沖縄県側からすれば歴史的経緯への配慮を求めているのかもしれませんが、県外から見れば、「歴史的経緯」が駆け引きの材料に過ぎない存在になってしまい、配慮する必要があるのか、という突き放した空気が醸成されると言う不幸な経緯に陥りつつあります。

司令部玉砕の10日前、海軍の司令部では大田少将が自決しました。その直前に発信された海軍次官宛の電文の「沖縄県民斯く戦へり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」という結びは、住民を巻き込み、甚大な犠牲を招いた沖縄戦に対する後世国民の「十字架」でもありますが、今の沖縄の対応は、大田少将の想いを素直に引き継いでいけるものなのか。残念ながらそこに疑念が生じています。