Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

主権者の義務と責任

2015-06-06 02:55:00 | ノンジャンル
安保法制が議論されているさなかの憲法審査会で、与野党が招致した憲法学者が揃いも揃って集団的自衛権を違憲と表明しました。特に与党推薦の参考人までが違憲と断じてしまったこともあり、大きなニュースになりました。

これは安保法制に関する参考人招致ではなく、「別件」だったのですが、まあ「飛んで火にいる」じゃないですが、議論がそっちに行くことは容易に想像がつく話だけに、与党内でもあまりのタイミングの悪さに批判が出ています。

安保法制反対派は勢いづいていますが、確かに軽視できない結果です。しかし一方で、そもそもアカデミズムの中においては、憲法9条の文言から集団的自衛権、特に他国軍の防衛まで容認できると読み説く人はほとんどいないわけで、それどころか字義通り解釈したら自衛隊の存在すら意見になると説く人もいるわけです。

一方で日本国と国民を守る「自衛権」は、国家の第一の義務でもあるわけで、「赤旗白旗論」でもない限り、そこまで否定するというのはあり得ませんし、憲法の字面をピュアに解釈すれば違憲と読めても、「さすがにそこまでは」ということで「個別的自衛権」と「自衛隊」の存在までは否定しないというコンセンサスは確立しています。

まあこれとてかつては「違憲合法論」なるロジック(詭弁?)を編み出した当時の社会党のようなスタンスでしぶしぶ容認していた「護憲勢力」が一定の勢力を占めていたことを思えば進化であり、いまではストレートに今の9条で個別的自衛権と自衛隊を容認する格好になっていると言えます。

この手の解釈改憲でどこまでいけるのか。今回の安保法制の議論は、解釈改憲に他ならないのですが、さすがにコンセンサスがまだ十分でない状態で憲法学者がyesと言うはずがありません。でも実際には一定の範囲内で集団的自衛権や支援活動(参戦)を容認しないと、国際社会で通用しないという局面に来ているわけです。

自民党はそもそもこういう事態に対応できないのだから憲法を改正すべき、と主張してきたわけで、もし今回のような解釈改憲で対応できるのなら憲法改正の必要性は遠のきます。
ですからある意味矛盾した行動であり、従来の本線としての活動である憲法審査会で学者から「違憲」と言わせたのも本来活動からすれば正解なのです。

今回の結果を受けて、ではどうすればいいのか。
「他の憲法学者は」と言い出す足下の弁明は下策でしょう。現時点で「合憲」と言うのはアカデミズムにとって相当勇気がいる話であり、指名しても色よい回答を得ることは難しいでしょう。

憲法改正が難しい現状、喫緊の課題は主権者の負託を受けた立法府の中でコンセンサスを構築していくことで対応するしかない、というロジックで進めるしかないのですが、どこかで「違憲立法審査権」との衝突を覚悟する必要はあります。

結局事の本質は何か。性急な政権与党の対応も確かにありますが、結局は現実に見合っていない「憲法」「法律」を改正したり、新たに整備する必要があるのに、それが出来ていないということです。
それは議員(政党)の怠慢でもありますが、突き詰めるとそれを発議する議員を選出する有権者が必要と認めていないことになるのです。

これが民主主義のリスクであり、主権者の責任である部分です。
金曜日には警察のGPS発信器を勝手にこっそり装着しての捜査を令状なしに実施することは不法行為と認定する判決が大阪地裁でありましたが、これもこの手の捜査を令状の申請をして、交付を受けないと開始できないのでは捜査にならないと言う現実に刑事訴訟法などの制度があっていないわけで、これも法律が改正(あるいは新設)されていない点で主権者の責任になります。

主権者がこの問題に真っ向から取り組まないことで憲法や法律は変わらず、あるいは生まれず、従って現実に見合っていない憲法や法律を原則にせざるを得ない。それによって被る国際社会における我が国の不利益が主権者に降りかかるのです。(あるいはGPS捜査の問題なら、犯罪の検挙が減り、主権者は「やられ損」になると言う不利益が降りかかります)
それは「責任」として甘受するしかない部分ですが、そこまでの覚悟をもって「憲法改正」などを受け入れない、としているのか。

その結果も受容しているのであれば当然ですし、もし気づいていないとしても、それを受け入れる義務があります。そこまで含めての話が民主主義なのです。




悪いのは自衛隊、と言う記事

2015-06-06 01:55:00 | 交通
那覇空港での重大インシデントですが、どうも鍵を握るのは管制の反応やタイミングのように思われます。自衛隊ヘリの「無断離陸」も、へり側が誤認とはいえ復唱して、「特に何もなければ離陸できる」と言うルールに従って離陸したのですから、形式的には責任を問えないレベルです。

ANA機の復唱と錯綜、と言う原因が示されていますが、このケース(複数機から復唱を受けるケース)は誤認等のイレギュラー発生としては十分想定されるケースであり、受信が1機からしかできないのであれば、受信できなかった側が復唱してそのまま、というステップに進むことは想定しないといけません。

要はイレギュラー事案やアクシデントの発生に伴うリスク回避の手法が十分であったかという話です。
あるケースだと今回のように「すり抜け」が発生する、という「穴」がなぜ塞げなかったのか、という議論に持って行くべき話でしょう。

そしてJTA機の着陸です。今回の「事象」では、JTA機の着陸がリスクを大きく高めています。
JTA機に対しての管制の指示が適切だったのか。交信タイミングの問題は微妙かつ重大な問題であり、管制が適切な指示を適切なタイミングで出せていたのか、という検証が必要です。

一方でJTA機の方も、ANA機が離陸していなかったのを進路上に見ているわけで、構図としては4月に徳島空港で発生した作業車回避のための着陸復航と同じです。
徳島空港ではJAL機が作業車を発見してゴーアラを鰍ッましたが、今回のJTA機は着陸可能と判断して着陸したわけです。

結果的に問題はありませんでしたが、ルール上はNGな行動だったわけで(滑走路上に別機がいる場合の最低間隔は定められている)、これも目視と機長判断、という「穴」の発生が十分予測できる局面であり、滑走路に別機がいても着陸OKのラインを引き、それより向こうに機影があるときのみ着陸してよい、というような、管制の指示がなくても判断が可能なバックアップが必要です。

さて、今回の重大インシデントですが、発端が自衛隊機と言うことで、「悪いのは自衛隊機」「自衛隊機が我が物顔」「自衛隊機の無謀飛行」という趣獅フ紙面が目につきました。
端的に言うと神戸新聞ですが、他メディアが概ね管制トラブルの線で論調をまとめているのに、上記のような自衛隊機が問題だ、と言う煽情的な記事を何本も掲載し続けました。

神戸新聞は地方紙とはいえ有力紙ですから沖縄の事件とはいえ独自取材で記事にしているのか、あるいは通信社の記事をそのまま配信しているのか、そこら辺は判りませんが、少なくともある意味「的外れ」な自衛隊批判を繰り返したことに変わりはありません。