Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

69回目の原爆忌

2014-08-06 23:37:00 | 時事
広島は69回目の原爆忌を迎えました。
43年ぶりとなった雨中の式典。予定稿だったのか平和宣言で炎天下を想定した表現があったのは何でしたが。

今年の平和宣言では集団的自衛権への言及があると言う声があり、左翼のシンパ系メディアが期待してようですが、言及はありませんでした。
左翼系メディアはよほど悔しかったのか、言及がなかった、とわざわざ見出しを立てていましたが。そもそも原爆忌に別の話題を持ち込んで抱き込む姿勢が不純であり、被爆者や犠牲者をダシにしているようで不愉快です。

その平和宣言ですが、絶対悪としての核兵器に対する批判を軸に、当時の記憶に耳を傾けて欲しい、という切実な思いが、生々しい証言を語ることで伝わってきました。

どうしても政治的産物にならざるを得ないとはいえ、こういう「事実をきちんと伝えていく」という基本に立ち返った平和宣言は重みがあります。そして左翼系メディアの想いとは逆に、いろいろと取れるとはいえ、ある意味左翼系のお花畑的、自虐的発想とは一線を画した表現に感じました。

厳しさを増す安全保障体制と言う表現は、言及すると言われていた集団的自衛権を肯定すると言う受け止め方も可能であり、未来志向という表現も、過去にこだわり関係改善に背を向ける中国、韓国への牽制とも取れる面があるわけで、それを基調にしてなお平和と核兵器廃絶を追及していく、という姿勢は、うすら甘い「平和主義」にはない重みがあります。

原爆投下から来年で70年。あの日のことを直接聴くことが出来なくなる日が近づいている中で、イデオロギーで粉飾されたものではない、真実をどう伝えていくのか。残された我々の課題と言えます。



唐突な検証が開く扉

2014-08-06 23:33:00 | 時事
朝日新聞が唐突に掲載した従軍慰安婦の検証記事ですが、これまで朝日の報道内容を批判してきた勢力の中でも、一定の評価をする動きと、見せ鰍ッだけとする動きに分かれています。

まあ一読して感じたのは、秦郁彦氏の「一勝一敗を狙った」と言う評価が妥当であると言うこと。
捏造と証明されている「慰安婦狩り」証言の記事で譲るが、他では譲らない。もともと勝ち目が無い部分、決着がついている部分で譲ってるから、足下の影響はない、というところでしょうか。

ただ全体的に言える事は、今後は論点をすりかえます、ということでしょうね。
人権問題にシフトすると明言することで、軍の関与や強制連行と言った論点を超越して考えるべき、としていますから。

これは巧妙な手口で、批判してきた勢力も、「慰安所」があり「慰安婦」がいたと言うことまでは否定していませんから、そこでの境遇を殊更に論う事で、日本(政府にとどまらない日本全体をターゲットにしている)は極悪非道、と言う流れに持ち込もうとしています。

あの当時は公娼制度があり、女性が「商品」になっていたと言う、今の価値観で見たら許されない話ですが、それで過去を裁くというわけです。ならば公娼制度全体を批判するのならまだ筋も通りますが、なぜか外地の、植民地出身の女性だけをターゲットにして論じるのですから、為にする議論です。

まあそうしないと全面敗北、となるからでしょうね。
「慰安婦狩り」の記事を取り消し、戦時徴用としての挺身隊と混同を図った部分も否定したわけです。
あまり今回の記事で指摘している人がいませんが、軍関与についての部分も、その真否ではなく、記事化したのは政治的意図があるタイミングではない、という結論にスライドしており、ここでも「広い意味では」と言う苦しい言い訳に終始しているように、論拠が半ば崩れています。

そうなると「従軍慰安婦」とは何か、と言う話になるわけで、「慰安婦狩り」は無かった、挺身隊として強制的に集めてもいない、軍関与も軍が自ら管理売春に手を染める、と言うレベルではなく、出入り業者の管理程度の関与でしかない、となると、売春が合法で公娼制度があった当時、戦地で軍隊相手に営業を行った売春業者、という話になってしまうのです。

苦界に身を置く女性たちの悲惨な境遇は同情すべきところが大きいですが、それは公娼制度の問題であり、それを温存してきたことに限定して批判することは可能ですが、一方で絶対悪とまでは言い切れなかった時代であり、当時の政府の施策をなで斬りに批判することはできません。

もともと「慰安婦」は日本人のほうが多かったわけで、なぜ特定の国の女性だけが悲劇のヒロインのようになるのか、と言う批判があったわけです。それを正当化してきたのが、植民地の女性を国家が強制的に、というもはや朝日新聞ですら依拠できない「虚構」となると、特定の被害者だけに厚巻きに対応するように求められた、他の被害者が軽んじられてきた、という新たな論点が発生します。

なぜ政府はそういう「差別的待遇」を許したのか。これはまさにパンドラの箱であり、それを開けるように至ったのが、「特定の被害者」が所属する国家等の執拗な行動というのは、なんとも皮肉な話です。