今日の朝日夕刊は1面トップに「撮り鉄問題」を据えてきました。
「北陸」「能登」への警戒が骨子でしたが、こういう記事が頻繁に出るようになると、折角「鉄道ブーム」で社会的に認知されてきた、と思ったところが高転びになってしまった感じです。
そうした中で、この改正で消えるものと言えば房総の新聞電車です。
月曜~土曜の昼頃に両国から千葉まで113系の4+4連で走り、分割して内房線、外房線の普通電車となって(千葉で待ってる4連にそれぞれ連結して)両方とも安房鴨川に向かいます。
道路事情が劣悪な房総半島固有の事情が、国鉄時代の1986年11月改正で廃止になったはずの荷物輸送の例外として今日まで存続していましたが、館山道、富津館山道の整備やアクアラインの値下げなど、トラック輸送への移行の基盤が整ったことからついに姿を消します。
かつては総武本線、成田線方面にも存在し、クモユニ74の4連で両国を出て、千葉で分割して房総各線の普通電車に連結してましたが、その後クモユニ143の時代を経て、現在の113系の1両締め切りになっています。
(1986年当時、クモユニ74の4連。列車番号が2331Mというのは今と同じ!)
まあ見慣れた電車であり、油断していて写真が無いことに気付き、慌てて撮りに行ったのですが、これでは下で批判した葬式鉄、撮り鉄そのものですね(汗)
とはいえまずは津田沼で送り込みの回送を見たんですが、ホーム端部で数人が狙っているくらいで、ホーム上はひっそり。そのあと両国へ行くと、さすがに下総中山とか市川とか、有名ャCントは悪天候にもかかわらず鈴なりでした。
両国で総武線ホームから俯瞰していると、信じられない内容の放送が流れました。
新聞輸送列車の廃止に伴い、本日は3番線を開放します、と言うじゃないですか。一瞬耳を疑いましたが、半信半疑で3番線への通路に行くと、確かに開いており、イベント列車対応のレッドカーペットを踏んで3番線に向かいました。
これはまさにゲリライベントで、こうなると下総中山や市川で寒空で待っている撮り鉄には気の毒ですが、延べで50人くらいでしょうか、まさかのシチュエーションを堪能しました。
ちょうど通りすがりでケータイで撮影している程度の人も少なくなく、電車周りもそのうち人出も減り、思い思いに新聞電車と3番線ホームを堪能できました。
察するに、総武線ホームからの俯瞰が多く、5分ヘッドで「後ろ側」から高速進入するところで身を乗り出されるくらいなら、開放して隔離したほうが安全面でも得策という大人の事情なのかもしれません。実際、総武線ホームには当初警備員が出てましたし。
車内の新聞をドア越しに見ると、内房線、外房線の駅名が並ぶ中、小湊鉄道やいすみ鉄道の駅名も目に入りました。JRの関連会社の人が添乗しており、各駅でホームで待つ販売側の人に引き継ぐんでしょうが、「乗り換え」となる五井や大原での様子を見てみたかったですね。
中には蘇我の紙を掲げた東スモ烽?り、意外なところも鉄道輸送を残していたんですね。ただ、この電車で送ると言うことはかなりの早版ですが。(両国13時頃に積み込み)
「北陸」「能登」への警戒が骨子でしたが、こういう記事が頻繁に出るようになると、折角「鉄道ブーム」で社会的に認知されてきた、と思ったところが高転びになってしまった感じです。
そうした中で、この改正で消えるものと言えば房総の新聞電車です。
月曜~土曜の昼頃に両国から千葉まで113系の4+4連で走り、分割して内房線、外房線の普通電車となって(千葉で待ってる4連にそれぞれ連結して)両方とも安房鴨川に向かいます。
道路事情が劣悪な房総半島固有の事情が、国鉄時代の1986年11月改正で廃止になったはずの荷物輸送の例外として今日まで存続していましたが、館山道、富津館山道の整備やアクアラインの値下げなど、トラック輸送への移行の基盤が整ったことからついに姿を消します。
かつては総武本線、成田線方面にも存在し、クモユニ74の4連で両国を出て、千葉で分割して房総各線の普通電車に連結してましたが、その後クモユニ143の時代を経て、現在の113系の1両締め切りになっています。
(1986年当時、クモユニ74の4連。列車番号が2331Mというのは今と同じ!)
まあ見慣れた電車であり、油断していて写真が無いことに気付き、慌てて撮りに行ったのですが、これでは下で批判した葬式鉄、撮り鉄そのものですね(汗)
とはいえまずは津田沼で送り込みの回送を見たんですが、ホーム端部で数人が狙っているくらいで、ホーム上はひっそり。そのあと両国へ行くと、さすがに下総中山とか市川とか、有名ャCントは悪天候にもかかわらず鈴なりでした。
両国で総武線ホームから俯瞰していると、信じられない内容の放送が流れました。
新聞輸送列車の廃止に伴い、本日は3番線を開放します、と言うじゃないですか。一瞬耳を疑いましたが、半信半疑で3番線への通路に行くと、確かに開いており、イベント列車対応のレッドカーペットを踏んで3番線に向かいました。
これはまさにゲリライベントで、こうなると下総中山や市川で寒空で待っている撮り鉄には気の毒ですが、延べで50人くらいでしょうか、まさかのシチュエーションを堪能しました。
ちょうど通りすがりでケータイで撮影している程度の人も少なくなく、電車周りもそのうち人出も減り、思い思いに新聞電車と3番線ホームを堪能できました。
察するに、総武線ホームからの俯瞰が多く、5分ヘッドで「後ろ側」から高速進入するところで身を乗り出されるくらいなら、開放して隔離したほうが安全面でも得策という大人の事情なのかもしれません。実際、総武線ホームには当初警備員が出てましたし。
車内の新聞をドア越しに見ると、内房線、外房線の駅名が並ぶ中、小湊鉄道やいすみ鉄道の駅名も目に入りました。JRの関連会社の人が添乗しており、各駅でホームで待つ販売側の人に引き継ぐんでしょうが、「乗り換え」となる五井や大原での様子を見てみたかったですね。
中には蘇我の紙を掲げた東スモ烽?り、意外なところも鉄道輸送を残していたんですね。ただ、この電車で送ると言うことはかなりの早版ですが。(両国13時頃に積み込み)