「クマグスの森 南方熊楠の見た宇宙」松居竜五編(新潮とんぼの本)を読みました。
表紙は冬の山中、腰巻一丁で煙草をふかす怪しげな男の姿。
彼こそ、紀州和歌山が生んだ先駆的エコロジスト、南方熊楠42歳の姿。
博物学者として、また生物学者、民俗学者として広く知られる熊楠。
研究対象は粘菌、キノコ、藻、昆虫から男色、刺青、性、夢まで、この世あの世のすべて。世界を放浪、原生林を駈け巡り、果て無き大宇宙の謎を追い、森羅万象の本質に迫るため、生涯その目で見たままを詳細に記述しまくりました。
本書では、奇才が遺した膨大で不思議な資料が公開されています。
写真満載で見やすく、熊楠を初めて知る人向けに、彼の全体像が見渡せる導入書ともいえる一冊。
少年時代は和漢三才図会を模写し、毘沙門天の申し子といわれます。
青年になりイギリスへ。フロリダへ、キューバへ。時にサーカスの団員を務めることも。孫文と交わり、「ネイチャー」誌に論文を発表して認められ、帰国の後も神社合祀反対運動、新種ミナカテルラ菌の発見、昭和天皇へのご進講などエピソードには事欠かない人物だったそうです。
写真を見てもがっちりしたたくましい大男の風貌。さぞや破天荒な人物だったのだろうと思ったら、十四の頃から精神的な病を発していた兆しがあり、十八の時にはてんかんの発作を起こし、予備門を退学することになったそうです。
病の自覚が深ければ深いほど、学問への集中力が増し、結果として創造性の源となっていたのだろうと。熊楠のその内面の光と影の深いコントラストに思いをはせます。
なかで興味をひいた記事は飯沢耕太郎さんのエッセイ。
「だがなぜ菌類だったのだろうか。彼ほどの記憶力と語学の才能があれば、学問の世界で華やかな活動を展開することは十分に可能だったはずだ。」
「精密かつ正統的な学の体系とは別に、いわば「キノコ的思考」とでもいうべき奇妙な王国が広がっており、そこに無限の可能性が胚胎しているというこではなかっただろか。」
セクソロジーやカニバリズムなど、民族史の陰の部分を研究していた熊楠。
「隠花植物」という存在にまさに惹かれていったのでしょうか。
熊楠の数あるエピソードの中でも、好きなのが家の柿の木から珍種のミナカテルラ・ロンギフィラという粘菌を発見した話。
「その気になれば自分の足許で世界的発見ができる」
表紙は冬の山中、腰巻一丁で煙草をふかす怪しげな男の姿。
彼こそ、紀州和歌山が生んだ先駆的エコロジスト、南方熊楠42歳の姿。
博物学者として、また生物学者、民俗学者として広く知られる熊楠。
研究対象は粘菌、キノコ、藻、昆虫から男色、刺青、性、夢まで、この世あの世のすべて。世界を放浪、原生林を駈け巡り、果て無き大宇宙の謎を追い、森羅万象の本質に迫るため、生涯その目で見たままを詳細に記述しまくりました。
本書では、奇才が遺した膨大で不思議な資料が公開されています。
写真満載で見やすく、熊楠を初めて知る人向けに、彼の全体像が見渡せる導入書ともいえる一冊。
少年時代は和漢三才図会を模写し、毘沙門天の申し子といわれます。
青年になりイギリスへ。フロリダへ、キューバへ。時にサーカスの団員を務めることも。孫文と交わり、「ネイチャー」誌に論文を発表して認められ、帰国の後も神社合祀反対運動、新種ミナカテルラ菌の発見、昭和天皇へのご進講などエピソードには事欠かない人物だったそうです。
写真を見てもがっちりしたたくましい大男の風貌。さぞや破天荒な人物だったのだろうと思ったら、十四の頃から精神的な病を発していた兆しがあり、十八の時にはてんかんの発作を起こし、予備門を退学することになったそうです。
病の自覚が深ければ深いほど、学問への集中力が増し、結果として創造性の源となっていたのだろうと。熊楠のその内面の光と影の深いコントラストに思いをはせます。
なかで興味をひいた記事は飯沢耕太郎さんのエッセイ。
「だがなぜ菌類だったのだろうか。彼ほどの記憶力と語学の才能があれば、学問の世界で華やかな活動を展開することは十分に可能だったはずだ。」
「精密かつ正統的な学の体系とは別に、いわば「キノコ的思考」とでもいうべき奇妙な王国が広がっており、そこに無限の可能性が胚胎しているというこではなかっただろか。」
セクソロジーやカニバリズムなど、民族史の陰の部分を研究していた熊楠。
「隠花植物」という存在にまさに惹かれていったのでしょうか。
熊楠の数あるエピソードの中でも、好きなのが家の柿の木から珍種のミナカテルラ・ロンギフィラという粘菌を発見した話。
「その気になれば自分の足許で世界的発見ができる」