『御馳走帖』 内田百著 (中央公論社)を読みました。
食べ物、嗜好品をテーマにした随筆集。
鰻やらおからやらライスカレー、シュークリーム、
そして何より大好きな酒・煙草などについて、百先生が自由自在に語ります。
私が好きなのはこの作品の「菊世界」の中の一節。
「蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。
日がたつに従って、益うまくなる様であった。
うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。
うまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違ふ点で、まづい。」
また、同著作内「酒光漫筆」の中でも同じようなことを語っています。
「時々飛行機で灘の蔵から持って来たといふ酒を貰ふことがあるが、
味利きをする段になれば、うまい事は確かにうまいと思っても、
私の飲み料と云ふことになると、その、うまいと云ふ点が結局口に合はない
欠点となるので、勿体ないと思ひながら、つい人にやったり、煮酒に下ろしたり
してしまふ。」
この感覚、よくわかります。
百先生は食いしん坊ですが、美食家ではない(?)ようなので、
うんちくなしで、好きなものを語る姿が楽しめる一冊でした。
食べ物、嗜好品をテーマにした随筆集。
鰻やらおからやらライスカレー、シュークリーム、
そして何より大好きな酒・煙草などについて、百先生が自由自在に語ります。
私が好きなのはこの作品の「菊世界」の中の一節。
「蕎麦屋は近所の中村屋で、別にうまいも、まづいもない、ただ普通の盛りである。
日がたつに従って、益うまくなる様であった。
うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまいのである。
うまい蕎麦は、ふだんの盛りと味の違ふ点で、まづい。」
また、同著作内「酒光漫筆」の中でも同じようなことを語っています。
「時々飛行機で灘の蔵から持って来たといふ酒を貰ふことがあるが、
味利きをする段になれば、うまい事は確かにうまいと思っても、
私の飲み料と云ふことになると、その、うまいと云ふ点が結局口に合はない
欠点となるので、勿体ないと思ひながら、つい人にやったり、煮酒に下ろしたり
してしまふ。」
この感覚、よくわかります。
百先生は食いしん坊ですが、美食家ではない(?)ようなので、
うんちくなしで、好きなものを語る姿が楽しめる一冊でした。