もうすぐ逝ってしまうかもしれない、おばあちゃんに、一言伝えるとしたら・・・
“ありがとう”だろうか。
それとも、
“ごめんなさい”だろうか。
そんなことを、少し考えていた。
おばあちゃんのことを思い出すと、必ず思い出すことがある。
まだ、子供の頃、おばあちゃんに投げつけた、とてもひどい言葉。
・・・おばあちゃんは、憶えているだろうか?
いくつくらいの出来事だったのか?記憶は定かではないが、おそらく、
小学1年生か、2年生くらいの出来事だった。
当時、母は、働いていて、私は、いわゆる“おばあちゃんっ子”だった。
おそらく、甘やかしすぎないように、厳しく躾けようとしてくれていたのだろうと、
大人になると理解ができる。
でも、当時は、うるさくて、嫌で、たまらなかった。ただそれだけだった。
何故そんな言葉を言うことになったのかも、今では、全く憶えていない。
でも、言ってしまった。
「おばあちゃんなんか、早く死んだらええねん」と。
父に、こっぴどく怒られながら見た、おばあちゃんの悲しそうな顔が、
脳に焼き付いて、忘れられなくなった。
たぶん、それから・・・なのかもしれない。
私が、“いい子ちゃん”になろうと頑張り始めたのは。(それだけじゃないかもしれないけれど)
実際には、いい子ちゃんなんかには、程遠く、いい子を演じていただけだったような気もする。
・・・その習性は、今も抜けないまんまだから。
大人になって、結婚する時だったか、何かの機会に、おばあちゃんが、
「ayaは優しい子だから」って言った。
“ちがうよ。私、ちっとも優しくなんかない”と、言いたかったけれど、
言えなかった。
小学4年生くらいの時に、当時タバコを吸っていた父が病気になり、
大きな手術をして、退院してきた後、
たぶん、TVで、タバコを吸うと、肺がんになって死ぬなんてのを知ったのだろうか、
「死んじゃ嫌だ~。タバコ止めてよ~~~~」と、父に大泣きして、訴え、
父は、それをきっかけにタバコを止めたことがあった。
もしかしたら、そういうことがあり、“ayaは優しい”と、イメージが修正されたのかも
しれない。
(父が、そのエピソードを持ち出して、ayaは優しいと言ったことがあるので)
でも、自分のことは自分が一番よく知っている。
私は、優しくなんかない。
大人になってから、おばあちゃんに、謝りたかった。
でも、なんて切り出せばいいのかもわからなかったし、
おばあちゃんが、当時のことを覚えているのかどうかも、よくわからなかった。
私は、ずるい。
おばちゃんが忘れてくれているなら、謝る必要もないなんて考え、
ずるずる機会を逃して、今に至ってしまった。
おばあちゃんは、憶えているのか忘れているのかわからない。
でも、私は、しっかり覚えている。
謝れば、忘れられるのだろうか?なんてことはわからない。
もしかしたら、これからの人生で、
人を傷つけるような言葉は、言わないようにしなさいと、
おばあちゃんが、私に残してくれた、最後の躾けなのかもしれない。
はは^^;
“かもしれない”ばっかり書いてる^^;
そりゃ、想像の中でのことばかりなので、仕方のないことだけど。
もちろん、おばあちゃんの思い出は、楽しいこともたくさんある(^^)
今週は、時間もあるので、おばあちゃんのこと思い出す時間が多くなりそうだ。
“ありがとう”だろうか。
それとも、
“ごめんなさい”だろうか。
そんなことを、少し考えていた。
おばあちゃんのことを思い出すと、必ず思い出すことがある。
まだ、子供の頃、おばあちゃんに投げつけた、とてもひどい言葉。
・・・おばあちゃんは、憶えているだろうか?
いくつくらいの出来事だったのか?記憶は定かではないが、おそらく、
小学1年生か、2年生くらいの出来事だった。
当時、母は、働いていて、私は、いわゆる“おばあちゃんっ子”だった。
おそらく、甘やかしすぎないように、厳しく躾けようとしてくれていたのだろうと、
大人になると理解ができる。
でも、当時は、うるさくて、嫌で、たまらなかった。ただそれだけだった。
何故そんな言葉を言うことになったのかも、今では、全く憶えていない。
でも、言ってしまった。
「おばあちゃんなんか、早く死んだらええねん」と。
父に、こっぴどく怒られながら見た、おばあちゃんの悲しそうな顔が、
脳に焼き付いて、忘れられなくなった。
たぶん、それから・・・なのかもしれない。
私が、“いい子ちゃん”になろうと頑張り始めたのは。(それだけじゃないかもしれないけれど)
実際には、いい子ちゃんなんかには、程遠く、いい子を演じていただけだったような気もする。
・・・その習性は、今も抜けないまんまだから。
大人になって、結婚する時だったか、何かの機会に、おばあちゃんが、
「ayaは優しい子だから」って言った。
“ちがうよ。私、ちっとも優しくなんかない”と、言いたかったけれど、
言えなかった。
小学4年生くらいの時に、当時タバコを吸っていた父が病気になり、
大きな手術をして、退院してきた後、
たぶん、TVで、タバコを吸うと、肺がんになって死ぬなんてのを知ったのだろうか、
「死んじゃ嫌だ~。タバコ止めてよ~~~~」と、父に大泣きして、訴え、
父は、それをきっかけにタバコを止めたことがあった。
もしかしたら、そういうことがあり、“ayaは優しい”と、イメージが修正されたのかも
しれない。
(父が、そのエピソードを持ち出して、ayaは優しいと言ったことがあるので)
でも、自分のことは自分が一番よく知っている。
私は、優しくなんかない。
大人になってから、おばあちゃんに、謝りたかった。
でも、なんて切り出せばいいのかもわからなかったし、
おばあちゃんが、当時のことを覚えているのかどうかも、よくわからなかった。
私は、ずるい。
おばちゃんが忘れてくれているなら、謝る必要もないなんて考え、
ずるずる機会を逃して、今に至ってしまった。
おばあちゃんは、憶えているのか忘れているのかわからない。
でも、私は、しっかり覚えている。
謝れば、忘れられるのだろうか?なんてことはわからない。
もしかしたら、これからの人生で、
人を傷つけるような言葉は、言わないようにしなさいと、
おばあちゃんが、私に残してくれた、最後の躾けなのかもしれない。
はは^^;
“かもしれない”ばっかり書いてる^^;
そりゃ、想像の中でのことばかりなので、仕方のないことだけど。
もちろん、おばあちゃんの思い出は、楽しいこともたくさんある(^^)
今週は、時間もあるので、おばあちゃんのこと思い出す時間が多くなりそうだ。