はじめてのマンドリン

ある日突然、マンドリンの音色に恋をした
初めて手にした時から、ささかやかな感動を綴っています

おばあちゃんへの贖罪の気持ち

2010-12-06 18:34:54 | 日々あれこれ
もうすぐ逝ってしまうかもしれない、おばあちゃんに、一言伝えるとしたら・・・

“ありがとう”だろうか。
それとも、
“ごめんなさい”だろうか。

そんなことを、少し考えていた。

おばあちゃんのことを思い出すと、必ず思い出すことがある。
まだ、子供の頃、おばあちゃんに投げつけた、とてもひどい言葉。

・・・おばあちゃんは、憶えているだろうか?

いくつくらいの出来事だったのか?記憶は定かではないが、おそらく、
小学1年生か、2年生くらいの出来事だった。

当時、母は、働いていて、私は、いわゆる“おばあちゃんっ子”だった。
おそらく、甘やかしすぎないように、厳しく躾けようとしてくれていたのだろうと、
大人になると理解ができる。
でも、当時は、うるさくて、嫌で、たまらなかった。ただそれだけだった。

何故そんな言葉を言うことになったのかも、今では、全く憶えていない。

でも、言ってしまった。
「おばあちゃんなんか、早く死んだらええねん」と。
父に、こっぴどく怒られながら見た、おばあちゃんの悲しそうな顔が、
脳に焼き付いて、忘れられなくなった。

たぶん、それから・・・なのかもしれない。
私が、“いい子ちゃん”になろうと頑張り始めたのは。(それだけじゃないかもしれないけれど)
実際には、いい子ちゃんなんかには、程遠く、いい子を演じていただけだったような気もする。

・・・その習性は、今も抜けないまんまだから。

大人になって、結婚する時だったか、何かの機会に、おばあちゃんが、
「ayaは優しい子だから」って言った。
“ちがうよ。私、ちっとも優しくなんかない”と、言いたかったけれど、
言えなかった。

小学4年生くらいの時に、当時タバコを吸っていた父が病気になり、
大きな手術をして、退院してきた後、
たぶん、TVで、タバコを吸うと、肺がんになって死ぬなんてのを知ったのだろうか、
「死んじゃ嫌だ~。タバコ止めてよ~~~~」と、父に大泣きして、訴え、
父は、それをきっかけにタバコを止めたことがあった。

もしかしたら、そういうことがあり、“ayaは優しい”と、イメージが修正されたのかも
しれない。
(父が、そのエピソードを持ち出して、ayaは優しいと言ったことがあるので)

でも、自分のことは自分が一番よく知っている。
私は、優しくなんかない。

大人になってから、おばあちゃんに、謝りたかった。
でも、なんて切り出せばいいのかもわからなかったし、
おばあちゃんが、当時のことを覚えているのかどうかも、よくわからなかった。
私は、ずるい。
おばちゃんが忘れてくれているなら、謝る必要もないなんて考え、
ずるずる機会を逃して、今に至ってしまった。

おばあちゃんは、憶えているのか忘れているのかわからない。
でも、私は、しっかり覚えている。
謝れば、忘れられるのだろうか?なんてことはわからない。

もしかしたら、これからの人生で、
人を傷つけるような言葉は、言わないようにしなさいと、
おばあちゃんが、私に残してくれた、最後の躾けなのかもしれない。


はは^^;
“かもしれない”ばっかり書いてる^^;
そりゃ、想像の中でのことばかりなので、仕方のないことだけど。

もちろん、おばあちゃんの思い出は、楽しいこともたくさんある(^^)

今週は、時間もあるので、おばあちゃんのこと思い出す時間が多くなりそうだ。

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死とは・・

2010-12-06 17:56:51 | 日々あれこれ
友達のお母様が、3日、急逝された。
そう聞いたときには、身震いがするような感覚になった。
お会いしたことはないけれど、想像もしなかった事故に遭ってというのは、
さぞかし、ご無念だったことだろう。

と、思う。

お母様の心中を思っても、友達の心中を思っても、“突然”という経験がある私には、
自分の昔の出来事と、気持ちがかぶるものがあり、心が痛いのかもしれない。

突然というのは、心の準備ができていないから、なかなか、現実を受け入れられない
ような気がする。
亡くなられて数日、お通夜とか、告別式とか、慌しい中で、“しっかりしなくちゃ”と
自分を奮い立たせて頑張っているんじゃないかと、友達の姿を思い浮かべつつ、
告別式の今日、遠くから、ご冥福をお祈りしています。

ちゃんと泣いてるかな?
まだ、受け入れられなくて、心が凍りついたようになって、涙も出ないなんて状態じゃないといいけどな。
なんて思いつつも、心の中は、そんなに簡単には整理がつかないかもしれないとも思う。

女性にとって、母親の存在は、父親とはまた違って、特別な存在のように思えるから。
私は、母を亡くした経験は、ない。
だから、想像の域は出ないのだけれど。
心の中がぽっかり空いたような、空虚な気持ちに襲われそうな、そんな気もする。

いろんな思い出を偲んで、ゆっくりお母さんと向き合う時間がもてますように。。
と祈っています。

一緒に居ても、何もしてあげられないけれど、もし、必要なら、いつでも飛んで行けるので、
遠慮なく、言ってね。
なんて、直接言うのは、照れくささもありで、言えそうにないので、ここに書いてしまいました^^;

(ごめん)



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携帯からFAX

2010-12-06 12:15:42 | 日々あれこれ
私は、一度もFAXなるものを使ったことがなかった。

もちろん、お仕事では、普通に使っていた。
自宅で・・という意味である。
特に必要も感じていなかったので、三重に住んでいた時は、
FAX機も持っていなかった。
メールで事足りていた。

岡山へ来て、新たに電話機を購入する際に、電話機自体、
“邪魔だし、携帯があるから、要らない”と思った私だったけれど^^;
相方さんが、
「電話は要る。ついでだから、FAX機能のついたのにしておく」って言うので、
別にいいけど・・・と、購入した。

住んで半年以上になるけれど、FAX機能は一度も使ったことがなく、
“ほら~買っても使わないじゃん!”って思ってのだけれど、
ついに、使う機会ができて、FAX初体験(笑)してしまいました(^^ゞ

先日、マンドリンの合奏練習に行った際に、次のコンサートで演奏する曲目が
決まり、3曲ばかし、“楽譜持ってないんで、見せてください~”と、
隣の人に見せてもらいつつ弾いていたら、
「今夜にでもFAXしようか?」と言ってくださったので、
“ありがとうございます!”と、ありがたく送っていただくことにしたのだった。

コンサートの当日、楽譜もらっても、うまく弾ける自信ないなぁと思っていたので、
とても嬉しかった。

で、その日の夜になり、受信してみて、印刷して、嬉しいなぁ^^と思って、ふと
気づくと、携帯の番号からの送信だ~って、驚き、
そういえば、私、FAXのこと、何も知らないかも~なんて、調べてみてびっくり。
世の中には、すごく様々な方法があるのね~なんてことに、今頃気づいた私。

完全に、世の中の動きに取り残されている(苦笑)

いろいろ知る機会になったのも、ラッキーだった。

必要ないから要らない!なんて言わずに、あれこれ知っておくくらいのことは
しなくちゃね~と、反省した出来事でした。

さて、せっかく送ってもらったんだから、練習しなくちゃ(^-^)
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食事の時に会話しないの?

2010-12-06 09:39:36 | 日々あれこれ
朝、目覚めた瞬間から、昨日の、帰省のどよ~んとした気分を引きずっている。
いや、眠っているときも、嫌な夢を見ていた気がする(憶えてないけど^^;)

で、忘れようとしても、忘れられないなら、とことん、原因を追求してみようと思った。

帰省して、滞在していた時間は、7時間半くらい。
考えてみれば、そのほとんどが楽しい時間だった。

久しぶりに帰ったから、父が、パソコンの使い方教えてくれというので、
教えてあげていた2~3時間。
その後、母と妹家族が合流して、おばあちゃんのお見舞いに出かけた1時間。
甥っこくん(6歳)が「ラウンドワン行きたい」って言うので、
ボーリングに出かけた2時間くらい。
父も母も、「ボーリングなんてしない」と言うんじゃないかと思ったけれど、
「行くよ」と、とても楽しそうに、投球していたし、
誰かの1投ごとに、盛り上がったり、残念~とか言ったりして、なんとも、
楽しそうな笑顔炸裂の時間だった・・・のだ。

そのまま帰ればよかった。。

問題は、夕食にと、みんなで焼肉を食べに行ったのだけれど(甥っこくんの希望で)
会話もなく、黙々とひたすら食べる。焼けるかたっぱしから。
ま、それでもいいのかもしれないけれど、その迫力と、久々に会ったんだから、
いろんな話しようよ~と気遣う私は、それぞれの人に話しかけているうちに、
焼肉3キレ、エリンギ1キレ食べただけで、食事は終っていた。

焼肉なんていうと、ゆっくり焼いている間に会話して、のんびり食べるという
イメージがあった私なのだけれど、まるで、嵐のよう・・・・だった。

そういえば、むか~し、食欲旺盛だった年頃に、大勢集まって焼肉なんぞすると、
1キレも食べれないうちに、終ってしまったという経験を、何度もした・・・苦い
記憶が蘇ってきた(苦笑)

焼肉は、生存競争が激しい食べ物なのかもしれない^^;
でも・・・家族なんだし・・・会話楽しみながら、他の人がおいしそうに食べてるかとか
気配りしながら食べるもんじゃないの????

なんて思って、悲しかったのかもしれない。

こんなんじゃ、会話を楽しんで食事・・・というよりは、エサを食べている動物・・・
じゃないのよ!と思った。

どんなにおいしいものを食べに行っても、会話がないと、味なんて感じられない。
みんなで食べても、会話がないなら、一人で味わって食べる方がマシ。

年配の人は、昔・・・子供の頃に、“しゃべりながら食べるのは行儀が悪い”とか
躾けられたんだろうか?
という気がしなくもないのだけれど、でも、子供の頃は、みんな揃って、
学校で何があったとか、話しながら食べてたような記憶があるんだけどな。
記憶は、私の希望で塗り替えられてしまっているのかしら??

無言で食べる・・・という環境の中に、どっぷり浸かっている、両親や妹家族には、
慣れた風景なのかもしれないけれど、
人と無言で食べる経験が、皆無な私には、とても居心地の悪い時間だった。

食後、一旦家に戻り、30分ばかし、甥っ子くんと遊んで、こっちに戻ってきた
のだけれど、無言で食べた衝撃が、尾を引いてしまったのかもしれない^^;

とりあえず、分析してみたから、すっきりできそうな気がする。
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おばあちゃんに会いに行く

2010-12-06 00:07:11 | 日々あれこれ
104歳の祖母が、数日前から、肺炎を起こし、容体が悪いと、昨日連絡があったので、
三重帰りで、ややお疲れが溜まり気味だったんだけれど、
日帰りで、兵庫県へ行ってきた。

昨日、妹が行った時には、ずっと起きなくて、話しかけても、無反応だった・・・らしい
のだけれど、今日は、比較的調子がよかったようで、
肺炎による熱はあるものの、うっすら目を開けては、耳元で話しかける声に頷いたり、
喜んだりしてくれていたようだった。
帰り際は、「また、来れたらくるからね」って言う私に、悲しそうな顔を向け、
何も言わないけれど、涙していた。

次はいつ会いに行けるのか?なんて思うと、今回、会えたのが最後かも?
なんてことが頭をよぎり、私も涙が出そうだった。

子供の頃、厳格で厳しい祖母が、苦手だった。

祖母は、40代で、夫に先立たれ、ずっと一人だった。
定年まで勤め上げ、退職後も、いつも背筋をぴんと伸ばし、孫の私たちにも、
口うるさく躾けるような人だった。

明治生まれの祖母は、どんな時代を、どんな思いで生きてきたのか?
できれば、語ってみたいと思うこともあった。
でも、、いろんな要素が重なって、その思いは叶わなかった。

祖母に会いに行き、思ったよりは、元気そうなその姿に、嬉しく感じつつも、
両親や、妹家族と会って、過ごしたひと時は、私の心の中に暗い陰を落とした。

(ちょいと、ここで吐かせてもらうことで、今夜少しはぐっすり眠れそうな
気がするから、お許しあれ)

例えば・・・
祖母の病室で、お葬式の際は・・・なんて平然と話す母。
妹が居ないところで、妹の悪口を吐く母。
両親がいないところで、両親の悪口を吐く妹。
自分のことと、世間体しか考えていない父。

表面的には、いい家族であるような、“家族ごっこ”を演じ、
実のところ、そうじゃない・・・間に挟まって、心が疲弊してしまう私。

そんな風だから、結婚後、実家から足が遠のき・・・親孝行しなくちゃね~とは
思いつつも、よほどのことがない限り、帰省する気になれなかったりする。

私が、避けているということに、気づいているのか、いないのか。
わからないけれど、戻ってきた翌日は、誰もいないところで、
半日くらいは、涙し、心の中に溜まったものを洗い流そうとしているのか?
何もする気が起きなくなって、1日、ぼぅ~っとして、過ごしてしまうことが
なんと多いことか^^;

どんなに疎ましく思ったところで、私は、あの人たちの娘なのだ。。という
事実が、心に重くのしかかってくるのだろう。

逃れたくても逃れられない関係なのだとは、認識している。
だからこそ、いつも、帰省の後は、思い切り、気分がどよ~~んとしてしまう。

明日が、何の予定もない1日で・・・・よかった^^;
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