『きれい』 と 『こぎれい』は、
たかが『こ』が付いているかどうかで、偉い違いがある。
ボクは『花』や人の『振る舞い』・『表情』に対して、
感動した瞬間に、『綺麗』と表現するが、
(注;ヒトの顔やスタイルのみで評価はしない)
本当は『小綺麗』という表現を口にしたり、
その状況に遭遇するほうが好きである。
いつしか人生が進むにつれて、
『小綺麗』という言葉自体の響きが好きになってしまったようだ。
これら二者の形容詞は、美に対する物理的な量を意味するわけではない。
『小綺麗』とは、
「きちんと整っていて気持ちのいい感じのする様子」を意味する。
『こざっぱり』という形容詞に近い。
それは、本能や一瞬で感じるのではなく、
文化レベルや歴史的背景を考慮して、
小綺麗だと評価しているんだと想う。
かたや、『綺麗』という言葉は、瞬間的な感動。
つまり時と時の狭間に起こる一瞬の感情表現であろう。
綺麗なものは、時間的経過により、綺麗という感動が衰え、
やがて綺麗なもの、綺麗な表情、
ましてや、しぐさでさえも『老い』や
『老朽化』するように思えてしかたがない。
(人間国宝と呼ばれる方々は別格だが。)
ちなみに、
綺麗は『奇麗』とも書き、「綺(あや)のように麗しい」こと。
花やかに美しいこと。
『小綺麗』とは異なり、複数の意味がある。
「濁り・汚れをとどめないさま」をいう。
このなかには、
「澄んで清らかなさま」、
「いさぎよいさま」、
「さっぱりしているさま」、
「あとに余計なものを残さないさま」 などを含むようだ。
とどのつまり、
綺麗なものは、例え一瞬であっても、『きれい』と大いに評価したい。
それが時間が経って、老いにより朽ち果てそうになっても、
ちゃんとお世話して小綺麗にしてあげたい。
これは植物・動物たちに対して想う気持ちだ。
無生物であっても、
お気に入りのグッズに抱く気持ちは同様であろう。
さらに、
自分を含め、人も老えば老うほど、小綺麗にしてあげたいと切に願う。
青春が終わったとしても
ちゃんと自分自身を見つめ、メンテナンスして、
こざっぱりした衣装に身を包み、
まわりの人々に『気持ちのいい感じ』を与えたい。
この気持ちは死ぬ間際まで、気丈に持ち合わせたいものだ。
そして我がご先祖のように、綺麗さっぱり、潔く、綺麗に死にたい。
とりあえず、気持ちのよい笑顔ができるよう、
悪い気や邪気など持たず、
「いい人であろう」とする自己暗示を唱えよう。
ではまた。
追記、
■綺麗に『小』ではなく、『大』をつけると、
大綺麗(だいきれい)→関西弁?だいきれいだあああ~→大嫌い
う~ん、あまり綺麗すぎると、嫌われるのかも???
しょうもない親父ギャグに、妙に、自分自身納得した日でした。
■今日もちゃんとカリスマ店員やってきましたよ。
番組を見て下さっている奥様方に、またまた驚かれちゃいました。
『テレビで見るより、スマートでカッコイイ』
ありがたいですね。
素トミーの現実より、とても多大によく評価してくださって。
ボクはいつも『いい人であろう』って、心に念じていますよ!
奥さんっ!
トミーのニコニコ顔、どうでしたか???
たかが『こ』が付いているかどうかで、偉い違いがある。
ボクは『花』や人の『振る舞い』・『表情』に対して、
感動した瞬間に、『綺麗』と表現するが、
(注;ヒトの顔やスタイルのみで評価はしない)
本当は『小綺麗』という表現を口にしたり、
その状況に遭遇するほうが好きである。
いつしか人生が進むにつれて、
『小綺麗』という言葉自体の響きが好きになってしまったようだ。
これら二者の形容詞は、美に対する物理的な量を意味するわけではない。
『小綺麗』とは、
「きちんと整っていて気持ちのいい感じのする様子」を意味する。
『こざっぱり』という形容詞に近い。
それは、本能や一瞬で感じるのではなく、
文化レベルや歴史的背景を考慮して、
小綺麗だと評価しているんだと想う。
かたや、『綺麗』という言葉は、瞬間的な感動。
つまり時と時の狭間に起こる一瞬の感情表現であろう。
綺麗なものは、時間的経過により、綺麗という感動が衰え、
やがて綺麗なもの、綺麗な表情、
ましてや、しぐさでさえも『老い』や
『老朽化』するように思えてしかたがない。
(人間国宝と呼ばれる方々は別格だが。)
ちなみに、
綺麗は『奇麗』とも書き、「綺(あや)のように麗しい」こと。
花やかに美しいこと。
『小綺麗』とは異なり、複数の意味がある。
「濁り・汚れをとどめないさま」をいう。
このなかには、
「澄んで清らかなさま」、
「いさぎよいさま」、
「さっぱりしているさま」、
「あとに余計なものを残さないさま」 などを含むようだ。
とどのつまり、
綺麗なものは、例え一瞬であっても、『きれい』と大いに評価したい。
それが時間が経って、老いにより朽ち果てそうになっても、
ちゃんとお世話して小綺麗にしてあげたい。
これは植物・動物たちに対して想う気持ちだ。
無生物であっても、
お気に入りのグッズに抱く気持ちは同様であろう。
さらに、
自分を含め、人も老えば老うほど、小綺麗にしてあげたいと切に願う。
青春が終わったとしても
ちゃんと自分自身を見つめ、メンテナンスして、
こざっぱりした衣装に身を包み、
まわりの人々に『気持ちのいい感じ』を与えたい。
この気持ちは死ぬ間際まで、気丈に持ち合わせたいものだ。
そして我がご先祖のように、綺麗さっぱり、潔く、綺麗に死にたい。
とりあえず、気持ちのよい笑顔ができるよう、
悪い気や邪気など持たず、
「いい人であろう」とする自己暗示を唱えよう。
ではまた。
追記、
■綺麗に『小』ではなく、『大』をつけると、
大綺麗(だいきれい)→関西弁?だいきれいだあああ~→大嫌い
う~ん、あまり綺麗すぎると、嫌われるのかも???
しょうもない親父ギャグに、妙に、自分自身納得した日でした。
■今日もちゃんとカリスマ店員やってきましたよ。
番組を見て下さっている奥様方に、またまた驚かれちゃいました。
『テレビで見るより、スマートでカッコイイ』
ありがたいですね。
素トミーの現実より、とても多大によく評価してくださって。
ボクはいつも『いい人であろう』って、心に念じていますよ!
奥さんっ!
トミーのニコニコ顔、どうでしたか???