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“集団自決”62年目の証言 クローズアップ現代

2007-10-12 02:08:24 | 沖縄戦

“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~ 
NHKクローズアップ現代 2007年6月21日(木)放送
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0706-4.html

<導入部>
(導入ナレーション)太平洋戦争末期の沖縄戦、激しい地上戦で20万人以上が犠牲になりました。追いつめられた住民たちは手榴弾などを使って自らの命を絶ちました。「集団自決」です。日本軍によって自決に追い込まれた、というのがこれまでの通説でした。ところが今年国は教科書の「集団自決」に関する記述に、初めて検定意見をつけをつけ、日本軍に強いられたという記述が削除されました。
(集会の様子)今地元沖縄から抗議の声があがっています。「集団自決」の現場で何が起きたのか体験者からの聞き取り調査が始まっています。『捕虜になってはいけないよ、これで死になさいてね』『アメリカ-に捕まるよりは自決しなさいと言うことでね』日本軍によって住民が追い込まれていった状況が浮かび上がってきました。沖縄戦から62年、「集団自決」をめぐって揺れる現地からの報告です。

(タイトル:“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~)

(国谷裕子、平和祈念公園碑の前)62年前太平洋戦争末期、沖縄ではアメリカ軍との激しい地上戦が3ヶ月以上に渡って繰り広げられ、沖縄では軍民合わせて20万人以上の方がなくなりました。私がいます沖縄本島南部糸満市摩文仁の丘、平和祈念公園。ご覧のようにここには幾重にも黒い御影石の石碑が並んでいまして、戦争で亡くなられた方の名前が刻み込まれています。刻み込まれた名前の半数以上が住民の方々、沖縄戦で住民の実に4人に1人が亡くなったのです。沖縄戦の被害を最も象徴しているとされているのが、いわゆる「集団自決」です。

追いつめられた住民が崖から飛び降りたり、、日本軍によって渡された手榴弾で命を絶ったり、それでも死にきれなかった人々が斧や剃刀で互いを殺し合う、こうしたいわゆる「集団自決」が起きたのです。これまでこうしたいわゆる「集団自決」は日本軍に強いられた、とするのが通説で実際20年以上に渡って歴史教科書にもそのように記述されてきました。しかし文部科学省による教科書検定で、今年住民の「集団自決」に意見がつき、日本軍が直接関与したという記述が全て削除されたのです。

教科書からの削除は「集団自決」が将来正しく記憶されなくなるおそれがある、体験者の多くの証言が否定されることになるとしまして、沖縄では41ある市町村のうち既に36の市町村で修正の撤回を求める意見書がほぼ全会一致で可決されています。教科書検定がもたらした大きな波紋、今日はここ沖縄から、沖縄でまきおこっている戸惑い、怒りの声をお伝えします。

 

<教科書はどう書き換えられたか>
(ナレーション)来年春から使われる高校の日本史の教科書です。「集団自決」に関する記述に検定県意見がつきいずれも書き換えられました。
(画面:検定前「日本軍に集団自決を強制された人もいた」→検定後「集団自決に追い込まれた人々もいた」)この教科書の場合、日本軍に強制されたという言葉が削除され「集団自決に追い込まれた人々もいた」と修正されました。
(画面:検定前「日本軍に「集団自決」を強いられたり」→検定後:「追いつめられて「集団自決」をした人々や」)この教科書も日本軍に強いられた、という記述が消され誰によって自決に追いつめられたか判らない表現に変わりました。

(集会の様子、今月9日)『教科書検定意見を撤回せよ!』突然の書き換えに沖縄の人達からは激しい怒りの声があがっています。『自決をせよ!、これが日本軍そして国の命令だったのです』『日本軍による命令が教科書から消えてしまえば沖縄戦の真実が判らなくなってしまう』
(渡嘉敷島)300人を超える住民が自決した渡嘉敷島の現場です、金城重明さん。「集団自決」の際自らの手で家族3人を殺しました。誰もがけして自ら進んで自決したのではないと、今回の検定に憤りを感じています。(金城重明氏)『進んで死んだ、殉国美談ですよ、大きな間違いです。殺したくて殺した、死にたくて死んだんじゃないんです。私は一生加害者として自分を責める続ける。しかしそれは国の大きな被害者ですよ』

<文科省は検定でなんと説明したか>
(ナレーション)なぜ文部科学省は突然書き換えを求めたのか?取材によって、文部科学省と教科書の出版社とのやりとりが明らかになってきました。(文科省・会議室)去年12月出版社の担当者がこの会議室に呼ばれました。検定の説明にあたったのは教科書調査官と呼ばれる2人の職員でした。(意見書)調査官から渡された意見書です、問題とされた教科書の記述「日本軍は…日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいをさせた」この記述に対して調査官は「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と指摘したのです。
(石山久男)教科書を執筆した石山久男さんです。出版者側の1人としてその場に立ち会っていました。『びっくりしましたですねえ、今までずっと、この記述がずっと何の問題もなく通ってきた記述ですから』具体的に何が問題なのか、石山さん達の質問に調査官はこう答えました。(調査官)『このままでは軍隊からなんらかの強制力が働いたような受け取られ方をされてしまいますので、それはちょっとお避けいただければ』(出版社側)『日本軍の手榴弾で、というのはいいのでしょうか』『ええ』『では日本軍が配った手榴弾で、というのもいいのでしょうか』『はいそれも事実かと思います』調査官が強調したのは日本軍と自決が直接結びつく部分の表現を弱めて欲しいというものでした。(石山)『特にこの「させ」という所が問題だと、つまり日本軍がさせたという事は困る、というのが検定意見の説明の一番中心でした』なぜこのような検定意見がつけられたのか?


<検定意見の根拠>
(元隊長の会見おととし8月)文部科学省がその大きな根拠にあげたのが、日本軍の元隊長の証言でした。(梅澤裕さん)『お前達死ねなんてね、そんな兵隊は一兵たりともおりません』この元隊長は「集団自決」の命令を下したとされてきました。本人がそれを全面的に否定し一昨年裁判を起こしたのです。
自由主義史観研究会)裁判を支援してきた団体です。元隊長本人が命令を出した確かな証拠はないのに、教科書に軍の命令があったかのように書くのはおかしいと主張しています。

藤岡信勝)『集団自決でですねえ、悲劇についてそれが特定の軍人の命令によるものだというフィクションが、今までまかりとおって信じられてきましたから、教科書の記述を是正するためにも、この裁判をきっかけにして、歴史の真実が広く明らかになる』

(本:沖縄戦と民衆)文部科学省は検定意見をつけたもう一つの根拠として1冊の本を示していました。6年前に出版された「沖縄戦と民衆」。この中に隊長による自決命令は出されていないという1節があります。(調査官)『「沖縄戦と民衆」これを見ても軍の命令があったというような記述はないわけです、最近「集団自決」に際して軍の正式な命令というのはなかったと、ほぼ固まりつつあるように私どもは考えているわけです』
(林博史)この本の著者林博史さんは長年住民の側から沖縄戦の研究を行ってきました。自分の本が検定意見の根拠とされた事を知り驚いたと言います。

(林博史)『どこをどう読めば、そんな検定意見が出るのかまったく理解できない』この本では様々な資料や証言から自決が日本軍によって強制・誘導されたと結論ずけています。文部科学省が引用したのはある隊長について書いた部分に過ぎなかったと言います。断片的な事実によって教科書の記述が変えられることは、あってはならないと林さんは考えています。『けしてたまたま部隊長がいて命令したから起きたという問題ではなくて、まさに日本軍という組織全体が、あるいは日本軍に指導された当時の日本の国家体制全体が、住民をそこに追いやったのだというその事を見なければならない』
(ナレーション)「集団自決」に関して日本軍に強制されたという記述が消された教科書。文部科学省は専門家の指摘を受けて検定意見をつけたものであり、検定は適性に行われたとしています。

 


<「集団自決」とは何か?>
(国谷裕子、平和祈念公園碑の前)今日は沖縄戦の体験者から証言を集め続け、そして沖縄県史の編集にもたずさわっていらしゃいます大城将保さんにお越しただいています。この南部は最後の激戦地といわれ、手榴弾で命を絶った方もいらっしゃった訳ですけれども、この教科書から日本軍の直接的な関わりの部分を削除する、その事が沖縄の人々の心に強い反発をもたらしているのはなぜですか?
大城将保)大変なショックですね、沖縄戦というと4人に1人亡くなったとか、沖縄本島だと3人に1人は死んだというに、大変な激戦地だと言われていますが、

一番の傷は日本軍から裏切られたという記憶なんですよね。最初は飛行場や陣地作りに大人から子どもまで根こそぎ動員して、軍のために一生懸命協力した。その間に沖縄の人はみんな軍の機密を知ってしまうんですよね。今度は米軍が上陸してくると、米軍に捕まったら日本軍の秘密を全部敵に流してしまうから、お前達はスパイと同じだと、だからスパイになっちゃいけないと、強く言われます。でアメリカ兵というのは鬼のように怖くて、捕まったら男は股裂きにされちゃうとか、女性は乱暴されちゃうとかさんざ言い含める訳ですよね。

もう怖くてとても米軍の所に手を上げて出ていく勇気も出ないのに、でも米軍と日本軍の谷間に追いつめられていますから、どこに行ったらいいかわからない。そういう時に軍の方から、日本軍の方から大事に保管されている、手榴弾とか青酸カリとか爆雷とか、ずっと下に降ろしてくるわけですよ、で防衛隊から皆に配られる。で手榴弾を見た瞬間に、あ、これは自決命令だなと、そうすると右を見ても左を見てもどこにも逃げ道がないわけですから、最後は手榴弾だけが逃げ道になってしまう

そういう悲劇なもんですから、これは心の傷なんですね、で家族の中で自分だけが生き残ったという負い目があるです、罪悪感が強いんです。この心の傷をひっかきむしる、かきむしったのが教科書問題だったと思うんです。だからもの凄い怒りがわいてくるのは当然だと思いますね。

(国谷)ただ実際に軍命が正式にあったかどうか、文書としては残っていない、乏しいと言われていますよね
(大城)乏しいどころかない、始めから米軍がきたら口頭で伝えるとして、始めから文書何もない訳なんですよ、結局唯一の証拠は体験者の証言となる訳ですよね、ですから私たちはずっと復帰後、沖縄県史や市町村史でそういう証言記録を集める作業をやってきた、今でも続けているという所ですが。私があっちこちで「集団自決」のいろんなケースをみた結果、結局これは軍隊と住民との間に起きた事件なんですよ。だから軍隊のいない島ではほとんど集団自決が発生していない。
(国谷)そうしますと沖縄側からすると、命令があったかどうかではなくて全体状況を見て欲しいと?
(大城)そうです。始めからそういう風にセットされてる訳ですよ。軍の作戦ですから逆らえない、逃げ場がない。島としても逃げ場がないし、命令系統からしても逆らうわけに行かない。結局「集団自決」に追いつめられる。これを強制・誘導と言わずして、何が強制だと言うことになりますよね

 


<掘り起こされる証言>
(国谷)さて「集団自決」がおきた島の一つが座間味島です。座間味島では積極的に住民の方が体験を語ることはこれまであまりなかったのですが、今その体験を残そう、証言を残そうという試みが始まっていまして、住民が重い口を開き初めています。
(ナレーション:座間味島)沖縄本島から西へ40キロにある座間味村、「集団自決」でおよそ200人がなくなりました。村の教育委員会は今年「集団自決」の記録を掘り起こそうと聞き取り調査を始めました。体験者の多くは70歳を越えています、このままでは「集団自決」の悲劇が埋もれてしまうと、ねばり強い説得が続いています。

調査の中心になっているのは元教師の宮城恒彦さんです。宮城さん自身も「集団自決」を体験しました。(写真)生き残った宮城さんと母ウタさんです。一緒にいた姉は亡くなりました。姉だけ死なせてしまった負い目を感じながら宮城さん親子は戦後を生きてきました。島でおきた事実を語り継ぐのが生き残った者の責任だと考えています。
(宮城恒彦)『悲惨な体験をしているからずっと隠してきたのね、隠している内に風化というか、埋もれてしまって、今話さないとあと10年たったら立ち消えというか、誰も話さないのじゃないかな』

この日宮城さんは「集団自決」の一部始終を目撃したという人を訪ねました。記憶が薄れる前に体験を語って欲しいと宮城さんが説得したのです。宮平輝重さん84歳です。宮平さんが目撃したのは知り合いの男性が家族と共に焼身自殺をはかった現場でした。
(宮平さん)『男性は家族を焼き殺し自分も毒薬を飲んだ、家では家族全員がヤギのように焼かれていた、男性の妻と子ども、祖父母、叔母、5,6人はいたのでは』(草むら)自決があった現場です。宮平さんによれば家族を殺した男性は自分も死のうとしましたが、死にきれず戦後島を離れていったといいます。

(村の集会所)村の教育委員会が進める聞き取り調査。この日集まったお年寄りからは日本軍の兵士によって「集団自決」に追い込まれていった当時の状況が語られました。
(お婆)『うちなんか逃げている時に兵隊さんが、もう捕虜になってはいけないよ、これで死になさいと言って、手榴弾をくれた
(おじい)『アメリカーに捕まったら耳切られる鼻切られる、女は強姦されて殺されるとなんとかね、そう言う悪宣伝なもんだから捕まるより死んだ方がいいという事
(上洲さん宅)体験者の中には実の母親に殺されかけたという人もいます。上洲幸子さん85歳です。上洲さん達も日本軍の兵士から自決をうながされたと言います。アメリカ軍が上陸し上洲さんは母親と山の中に逃げ込みました。そのとき日本兵が現れました、一緒に避難していた住民を集め次のように呼びかけたと言います
(上洲さん)『敵は入り込んでいるから、もし捕まったら舌噛んでも死になさいと日本兵は言いよったんだよ』母親は上洲さんに死のう死のうと何度も言いました、そして上洲さんに鼠を駆除する毒を飲ませようとしたといいます。
(上洲さん)『これ薬飲んでからよ、猫いらず飲んでからよ、溶かさんそのままだ、これ飲んだら眠るからと私に言うから、これだけ飲んだら死なないよアメリカーに捕まるだけだよ、と言った訳さ、そしてこっちに捨てた、それで助かったよ』上洲さんと母親は生き残りました、戦後親子の間でこの体験を語ることは一度もなかったと言います。

聞き取り調査で集められた数々の証言、その一つ一つを積み重ねることで「集団自決」の実態を歴史に残していきたいと宮城さんは考えています。
(宮城さん)『はっきり言えることは日本軍がおっところで「集団自決」がおきたと言うこと。体験した人の言うことに耳を傾けてもらいたい、その真実を読みとってもらいたい

 


<教科書検定の影響・意味>
(国谷)大城さん、明後日は慰霊の日、人々が62年たってようやく語ることが出来るようになった証言というのは本当に重いですね。
(大城)いわゆる「集団自決」というのは沖縄戦の極限だと言われていましてね、人間が人間でなくなる状態、これが戦争だとよく言われるんですよ。そこを生き残った人達はなんで自分だけが生き残ったんだといつも罪の意識を抱えていて、普段はじっーと黙っていて、家族にも語らないのが普通なんですよね。それが教科書なんかでですね、当たり前の軍の強制で「集団自決」があったという事、沖縄では常識なんですよね、それを書き換えろだなんて、どんな人だって沖縄だったら怒りが湧いてきます。だから最近でも集会なんかでも初めて自分の体験を語る、そう言う人が出てきたんです

(国谷)実際市町村レベルの調査も進んでいますね
(大城)ええ、今は県史から市町村そして字でも、末広がりに広がってこれでも足りないって位進んでいますね。戦場体験をきちんと残しておこうという地道な運動で、今もずーっと続いているわけです。
(国谷)今回教科書検定で日本軍に強いられたという短い部分ですけど、それでおきたこの沖縄の反発、どうとらえて何を考えるべきですか?
(大城)これは大きな問題でしてね、たったこれだけの文句が消されることで、逆に沖縄の人は自ら進んで、崇高なる犠牲精神で自ら死んだと、軍隊の論理が蘇ってくる可能性がある。そうしますとね、また軍隊と国民の間にそういう関係が復活して、再び「集団自決」のようなああいう悲惨な悲劇は繰り返されないとも限らない。そういう事でこれは沖縄だけの問題じゃない、教科書は全国に共通しますから、また子どもたちにそういう殉国美談ね、戦争や軍隊を美化するようなそういう教育がもしも広がった時、再び悲劇が繰り返されるんじゃないかと、私なんかはそういう危機感を今もの凄く持ってるんですね。
(国谷)本当に沖縄であったことをきちんと記憶して欲しいと
(大城)そうです、全世界で訴えたいためにこうして平和の礎というのは、沖縄のキーワードである「ぬちどぅ宝」命こそ大事なんだという、昔からの言葉をみなさんに伝えていきたいなという気持ちなんです。
(国谷)ありがとうございました、大城将保さんと共に今年の教科書検定が沖縄にもたらした波紋、戸惑いと怒りの声を今日沖縄からお伝えしました。



3 コメント

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山田さんのコメントにおいて (木村)
2008-01-21 10:16:03
私もそう思います。
沖縄の歴史 (山田太郎)
2008-01-21 10:12:42
集団自決する位なら戦って死ぬほうが立派だと僕は
思う。なんか天皇のためだとか言って戦うことから
逃げていると僕は感じる。
Unknown (わたなべ)
2007-11-22 00:00:12
衝撃的でした。自決という直面下にあったその時の民衆だった方々、現在に残るいろいろな深い心境。戦争での恐怖を通り越した恐怖、不安を通り越して精神が不安定だったであろう心情などは今の若い世代の人には想像しただけで耐えられないようなものだったと思います。しかし戦争全体で言えば、あの時代特有の国のためという考えの元、もしかしたら今私が考えている精神や考え方とは違う精神、考えだったのかもしれません…。戦争という時代を生き抜いた世代の方々はこの先少なくなってしまうのが事実であり、だからこそ今その事をお話していただけないと、若い世代からまたその若い世代は戦争の悲惨さを忘れ、そして知らない世代が生まれるかもしれません。戦争は繰り返してはなりません。一番大事なものとは命だと思います。この先何十年かしたら直々に戦争体験をお話していただけない時がくるのです。そしてそれはすぐそこにあります。今だからこの次の命のために語り継がなければいけないと思います。そしてそれは今までも、そしてこれからも…たったこの今も…。とても大事なお話でした。命とはなにか、戦争とはなにか…かんがえさせられました。  24歳・女