Stahlgewitter2016

ベルリンでの日々

競合する過去と忘却④

2017-04-24 00:30:51 | 忘却の政治
 クロアチアについての結論は、セルビアにも該当する。
 共産主義時代のユーゴスラヴィアが、超民族的なティトーのカリスマと国家アイデンティティによって多民族を統合していたとすれば、ユーゴスラヴィア解体後のセルビアにはそうした超国家性の片鱗さえ残ってはいなかった。独立したセルビアは、共産主義ではなくいわばナショナリズムをもってその建国神話としたのである(クロアチア出身のティトーも反セルビア的な政治家と位置づけられた)。そのナショナリズムは、旧ユーゴスラヴィアの歴史はセルビアとその周囲を包囲するクロアチア人やボスニア人、アルバニア人などの諸民族との間の民族間闘争の歴史とみなし、セルビア民族は歴史上、常に他の民族から脅かされ、場合によっては甚大な困難を被り続けてきたという、セルビアが犠牲者であることを強調するものであった。「ミロシェヴィッチ時代には、セルビア人であることは犠牲者であることであった」というのである。
 1990年代のミロシェヴィッチ時代には旧共産主義体制に対する関心はほとんどなかった。その失脚後、21世紀になってようやく共産主義時代の抑圧的側面が注目されるようになった。しかしそれは、移行期正義の実現といった文脈において生じたことではない。共産主義時代をセルビア民族史の中の暗黒の(括弧の中に挿入された)時代とし、セルビアが本来的に展開してきたはずの栄光の時代との対比がその眼目であった。換言すればそれは、共産主義以前のセルビアと共産主義以後のセルビアの歴史の一貫性と連続性を回復しようとする試みであった。
 複数の忌まわしい過去の競合という観点から興味深いのは、こうしたセルビアの歴史像の中でのチェトニックの位置づけである。チェトニックとは、第二次世界大戦期に、枢軸国のユーゴスラヴィア攻撃に際し、王国軍の降伏を容認しなかったセルビア人将兵を中心とする王党派集団である。しかしこの集団は、ドイツやイタリアへのレジスタンス組織として発足しながら、王国軍の一派として既存秩序の頑迷な擁護者としての性格を維持し、勇敢な抵抗運動を展開することもなく、さらにクロアチアに対する偏見も強かった。結果としてこのチェトニックがセルビアにおける広範な維持基盤を有する組織となることはなかった。それどころか、枢軸国への抵抗組織とは逆にその協力者としての性格を次第に強め、共産主義パルチザンへの敵対姿勢を深めていったのである。実際、その指導者ミハイロヴィッチは戦後にナチズムとファシズムへの協力者として処刑されている。
 ミロシェヴィッチ時代に行われたのは、このチェトニックの復権である。チェトニックは、ナチズムやファシズムとの協力者ではなく、もっぱら枢軸国への抵抗組織として賛美された。したがってセルビア史における「過去の克服」とは、共産主義時代のセルビア人に対する暴力や抑圧をめぐるものであり、なかでも共産主義パルチザンがチェトニックに対して行った虐殺行為を対象とする、極めてセルビア民族色の濃厚なものであった。
 この結果として、第二次世界大戦期にチェトニックが行った犯罪が語られることはなくなった。すなわち、チェトニックがボスニアのムスリムやクロアチア人に行った殺戮行為はほとんど完全に忘却された。ナチズムとの協力も、国民を救うためのやむをえない必要な手段とみなされ、その犯罪的な性格が希釈化された。
 こうしたチェトニックの復権は法律においても確立される。2004年にセルビア議会は、パルチザンとチェトニックは同等の抵抗組織であることを法制化した。その目的は、共産主義時代に売国奴と誹謗されたチェトニックの復権である。また、ミハイロヴィッチ処刑の検証を行う委員会も2009年に発足し、セルビアにその彫像が建立されるなど、このチェトニック指導者の復権に向けた動きも活発化した。それは、犠牲者神話と一体の殉教者・英雄神話の形成でもあった。さらに1990年代以降、ベオグラードに限っても1500以上の通りや広場の改称が行われ、共産主義時代につけられた名称の代わりにセルビア愛国主義を想起させる新たな名称が付された。そして歴史教科書も、パルチザンとチェトニックは同じ「反ファシスト」であり、クロアチアのヤセノバツ強制収容所で殺害されたセルビア人は70万人に上るというあまりに過大な数字を教えた。このような犠牲者神話のプロパガンダによって、「大セルビア主義」という覇権主義の過去は忘却されたのであった。
 たしかに21世紀も10年をすぎた頃から、共産主義時代のユーゴスラヴィアの暴力や抑圧の実態を解明する動きも始まってはいる。しかしそれは本格的な段階には全くないうえに、現行体制が犠牲者神話と結合したナショナリズムを唱道し、「国民的和解」を強調する姿勢の下では、共産主義体制下のユーゴスラヴィアの戦争犯罪や暴力・抑圧行為は、ソ連から強いられたものとされ、その責任をソ連にのみ負わせるという態度が濃厚になってゆく。
 総じて、今日のセルビアにおいて旧共産主義体制の暴力や抑圧行為を明らかにするという試みは、移行期正義の追求とは正反対の、実質的にはチェトニック復権の試みにほとんど重なるのである。これも、ナショナリズム(同時に反共産主義)によるファシズムの過去の忘却にほかならない。

(Sabrina P. Ramet, “The Denial Syndrome and Its Consequences: Serbian Political Culture since 2000”, Communist and Post-Communist Studies 40 (2007), pp. 43-58; Jelena Subotić, “Stories States Tell: Identity, Narrative, and Human Rights in the Balkanns”, Slavic Review 72 (2013), pp. 306-326)
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