しばらく前のことです。45歳の男性が胃痛を主訴に患者さんが来院されました。
来院時間は15時ころです。問診で話をうかがうと、数日前からおなかの調子が悪く、本日朝から胃痛が出現したため胃薬処方を希望して受診したとのこと。
「調子が悪い」という点について、もう少し詳しく質問すると、軽い吐き気はあるものの、実際に嘔吐はなく、下痢、便秘なども特にはないとのこと。食欲も普通で、「今日の朝は普通に朝食を食べました。ただ、9時30分頃から胃が痛くなり、良くならないので昼食はとっていないです。」との説明でした」
「食事がとれないほど痛いんですか?」
「そうですね。」
そうはおっしゃるものの、痛そうな表情などは特になく、ぱっと見た感じでは何の問題もないように見えます。ご自身としては、「胃が弱い」ということは特になく、あまりこのような経験はないとのお話でした。これまでに大きな病気はしたこともなく、健康診断でもひっかかったことはないとのこと。
来院時、看護師さんに測定してもらった血圧は112/70。健康診断でも、いつもその位だそうです。身長は170cmほどで、体重は約65kg。中肉中背でここ数ヶ月の間の体重に特に変化は見られないということでした。
お酒は機会飲酒程度。タバコは一日一箱程度。最近仕事のストレスで本数は少し増え気味とのこと。
「お仕事大変なんでしょうねぇ。でも、タバコは胃にもよろしくないですよ、、、」
「中間管理職ですとなかなか、、、」
なんて会話をしながらお腹の診察にうつりました。
腹部は平坦で、特に膨隆などなく、皮膚も正常。当然ながら手術痕などはありません。痛いところを指差していただくと、みぞおちのあたりを指差します。
「そこは最後に診察しましょうね。」
と言って周辺から診察を始めます。
下腹部には自発痛も圧痛もありません。側腹部にもとくに所見はなし。おへその周りは少し痛い感じで気持ち悪いようですが、痛みは漠然としているようで、明確に「ここ」という感じではありません。右上腹部も左上腹部も症状なし。
「みぞおち」のあたりの診察にうつります。診察してみると一番痛いのは指差したあたりよりもやや下、みぞおちとおへその間くらい。押されると痛みは増すものの、何もしなくても痛みを自覚しています。筋性防御、反跳痛などの所見はありません。
腸の動きを確認しようと、聴診器をあてました。
(、、、マジかよ。でも、自覚症状が軽すぎるんだけど、、、。)
聞こえてきたのは腸蠕動音ではなく、強い血管雑音でした。その瞬間までは、まったりとした午後の診療風景だったはずでした。風景は変わらないのですが、僕の頭の中には緊張が走っています。。
(さぁて、検査をどうやって了承していただこうか、、、)
何しろ、患者さんは胃薬をもらいに来たんです。でも今、僕は造影剤を使ってCT検査をやりたいんです。その前に血液検査も。 患者さんの耳に聴診器をつけてもらい、腹部の血管雑音をご自身に聞いてもらいました。普段こんなことやったことありません。いきなり聴診器を耳に装着された患者さんもビックリしたことでしょう。
でも患者さんの症状の軽さと診察所見の間のギャップは、そうしたいと思う位大きいのです。
「血管の中で、血液が乱流をおこしていないと、ふつうこんな音しないんですよ。血管が細くなってるとか、壁がはがれてるとか、、、。そんなことがあっては困るので、念のため造影剤を使ってCT撮らせて下さい。」
と、そんな感じで説明をして、了承をとり、緊急血液検査で腎機能をなどに問題ないことをチェックして、腹部の造影CT検査をさせていただきました。
はたして結果は上腸間膜動脈解離でした。大動脈から分岐して腸管にむかう血管の壁に亀裂が入り、裂けてしまっています。一部の血流は完全に途絶していましたが、幸いにして(恐らく胃十二指腸動脈を介しての)側副血行路から血流が供給されていたため、腸管の造影不領域は認められませんでした。(腸の壊死はなさそうだということです。)
患者さんはその場で絶対安静。即、入院加療が必要です。この病気は血管の病気なので、循環器内科に相談し、そちらに入院していただくこととなりました。
上腸間膜動脈解離は、頻度の高いものではありません。加えて、今回の場合は、患者さんが若かったこと、腹痛症状も弱かったことなどから、聴診するまで全く念頭にありませんでした。
改めて考えてみれば、胃痛の患者さんで、「今日の9時30分頃から」なんて訴え をする人はまれです。どちらかと言うと、血管系のイベントの方が想起しやすい症状のおこり方です。CTで見られた一部の血管の血流の途絶はこの時おこったのかもしれません。僕がもっと良いセンスを持ち合わせていれば、問診の時点で「普通と違う。ヤバいかも。」と思ったかもしれません。恥ずかしながら、スルーしてました。
また、「数日前からお腹の調子が悪かった」というのは、解離が数日かけて徐々におこっ てきたことを示唆しているのだろうと思います。病気が徐々におこった結果、周りの細い血管から血流の供給が可能だったため、腸管の壊死などは起こさずにすんだのでしょう。一方で、「お腹の調子が悪い」という程度の自覚症状となったため、症状からの診断が難しくなってしまったのだと思います。
重要な臨床情報は、患者さんのみならず、(僕のような凡庸な)医者も注意を向けないような会話の中にかくのごとく埋め込まれていたりします。だからこそ、様々な臨床情報に注意を張り巡らせることが必要ですし、それに加えて、定型的な診察を、日頃からはしょることなくやっていかなきゃいけないなぁと、改めて思った次第です。
ちなみに、この患者さんはその後緊急入院となり、絶対安静となりました。入院後、病変の増悪は特に認めないということで、少しずつ食事などが始まり、約一週間の入院加療を経て、無事退院されました。
(この記事は事実に基づきますが、患者さんが特定できないよう、主旨がかわらない範囲で臨床情報等を一部変更してあります。)
消化器・肝臓内科 松本 伸行(臨床研修センター 運営委員)