SSSUUUの囲碁日記

広島県呉市のアマ三大棋戦広島県代表を夢見る碁打ちの日記(戯言)です

10年間を振り返って

2014年01月27日 21時42分51秒 | 碁歴
なんとなく書きたい気分なので、自分の碁歴を書こう。

2003年(18歳)...部活引退した後くらい...つまり、春か夏あたりにルールを覚える。ルールだけなら、割と簡単だということに気づいた。

碁を指導してくれた師匠格の方々は、その後たくさん出会えましたが、碁のルールを教えてくれた師匠はいないぜ。独学さ。
プレステのゲームで、適当に打ってたら、二眼の意味が理解できてしまって、全て(基本ルール)が一本につながったというわけさ。


2004年...自称二段格で、1月に初めて碁会所(呉支部)へ行く。大会出場のために。
そう、その大会こそが、10年後に優勝することになる、呉アマ本因坊戦さ。

そのときは、苦い思い出ばかり。
大会の出場者は、五段や六段ばかり。
予選リーグで当たった2人(当時は参加人数が多くて2日制だった)は、今にして思えばクジ運が良いのだけど、そのときはボコボコに負かされました。

その後、3月の中国本因坊戦に出場してもボコボコ。
それから、高校卒業後、呉支部に通い始める。

大会に出てた人が異常に強すぎるだけで、そのときの自分より弱い人たくさんいて、一安心(笑)。

しばらくして、4段では打てるようになり、代表クラスの方々と3子で打たせてもらえるようにはなる。勝つのは大変だけどね。

I城先生とも初対局。
5子で、全く歯が立たず。
県代表クラスと言われてる方々が、3子置いて指導を受けてるのには唖然だった。

2005年2008年...大学に通いながら、鍛え続ける日々。
5段で伸び悩んだ、苦しい時期だった。
ネット碁も始めて、KGS2~3dで停滞して、卒業する頃には4dで通用した。

2009年...幽玄で碁を打ち始める。

アマ大会では、代表者の辞退で、次点繰り上げですが、初めて県大会(朝日アマ)へ進出。
当時は、幽玄6~7段、KGS4~5dくらい。県大会では全く通用せず、完敗。

2010年...呉地方アマ本因坊戦で、当時学生県代表のI崎君と共に4強入り。
「老兵は消えゆくのみですよ」と言うベテランの言葉とは裏腹に、決勝進出の壁は厚かった。

そういえば、I崎君は今どうしてるんだろうな。
当時の呉地区期待の若手は、僕ではなくI崎君だった。たしか、7つ年下だったかな。
全然見なくなったな。

2011年...クラス別ではありますが、宝酒造杯岡山大会六段戦で優勝し、全国大会へ進出!
タダで六段免状もGETして、堂々の六段を名乗ることが出来る。

全国は1勝止まりでした。

2012年...地区で善戦止まりのシーズンでした。
ただし、強くなっている手応えはあり。
東洋囲碁8段に昇段。

転職して、以前からブログ等で知っていた囲碁アミーゴにも行き始める。

2013年...体調はぶっ壊すが、碁では良いシーズン。

アマ棋聖戦で優勝(全国等には繋がらない)。
アマ本因坊戦で、やっと自力で呉地区代表を獲得。

幽玄8段リーチで、小ヨセで1目損して半目負けする(自虐笑いが止まりませんでした)。
その後、8段になれず><

2014年...呉地方アマ本因坊戦で初優勝!

2015年...ようやく、幽玄8段に。

2016年...女流アマの強豪の方と組み、ペア碁で中国ブロック代表に。
世界大会楽しかった。一生の思い出。

2019年...人間を超えるAIの台頭で、ランクが厳しくなる中、野狐8段に。

そして、今に至ります。


つまらん記事だったと思いますが、僕自身もいつか自分の歴史を忘れそうな気がするので、記事にして記録しておこうかなと思います^^
コメント (2)
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