ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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京王バスいじめ自殺事件…東京地裁が労災認定

2015年05月05日 | Weblog

 平成二十七年三月八日付、auの「朝刊ピックアップ」で記事 

 「京王バスいじめ自殺事件…東京地裁が労災認定」

 を企画、取材、執筆しました。

 

  2月25日、東京地裁で京王バスの運転手の自殺を、労災認定する判決が下った。この事件を筆者は約1年半前に取材執筆した。事件の背景には、旧国鉄の日勤教育に似た京王バスの“いじめ体質”がある。

 裁判資料によると自殺したのは藤井桂司氏(自殺当時50代前半、仮名)。藤井氏は95年に京王電鉄のバス運転士として入社し、02年から京王電鉄バス(以下「京王バス」)に出向して、桜ヶ丘営業所(東京都日野市内)のバス運転士として業務に従事していた。

 08年6月28日(土)、藤井氏の人生が一変する事件が起きた。藤井氏はこの日、19時から出勤した。その際の「アルコールチェック」で微量のアルコール反応が検出されたのだ。

 「アルコールチェック」とは、バスやタクシー、トラックなどの運送事業者に対して国が義務付けている制度。各事業者の運転手は、出勤時と終業時にチェックを受けることになっている。検知での数値が、呼気1リットル中のアルコール濃度0.000ミリグラムよりわずかでも上回っていれば、違反となる。

 この制度に基づき、京王バスでは、出勤時、中休みの点呼時、終業点呼時にアルコールチェックをしており、厳しい罰則を設けている。

 「初回の違反」の場合、アルコール濃度に応じて、厳重注意から停職5日の処分。「2回目の違反」が、初回検出量0.070mg/リットル以上で初回から3年以内に発生した場合、解雇となる。さらに、こんな習俗がまかり通っている。

 京王バスでは、アルコールチェックにひっかかると、、翌日から「下車勤務」が始まる。これは運転手を乗務勤務から外して日勤に振り替えることを指す。期間は数か月にわたることが一般的だ。下車勤務の間、運転手は、会社が求める反省文や原因究明、再発防止、行動計画書、顛末書、始末書といった書類を提出しなければならない。これらの文書は、繰り返し、書き直しを命じられる。また、下車勤務中の運転手は、所長の眼の前で着席を命じられ、ほぼ一日中、そこに着席していなければならない。これはさらし者にされている心地がするという。

 さらに、運転手の自宅まで所長など上司が訪問し、自宅に上がり込んで冷蔵庫を開けて調べ、飲酒時に使用していたコップを調査して押収したり、部屋の写真を撮って、翌日、営業所に違反事例として社内に貼り出して、さらし者にする習わしになっている。

 これまでも下車勤務で事件が多発していた。(以下の各事例は、原告を支援する京王新労働組合のメンバーの陳述書より)

 08年2月27日、アルコールチェックに違反した桜ヶ丘営業所の運転手は、反省文を何度も書かされ、ボールペンの芯が二本なくなるまで書かされ、定時に出社すると「反省がない」と言われたので、定時前に出社して掃除までやった。それでも休憩時間に定時通り一時間休むと「反省がない」など、「反省がない」と言われ続けた。さらに「今度やったら辞めます」と書かされ、印鑑、割り印を押すようう強要された。

 小金井営業所では05年9月、アルコールチェックで下車勤務を命じられ、所長が「冷蔵庫のなかのつまみの残りや、酒の有無を調査したい」と言ってきたが、運転手は拒否。所長は「業務命令だ」と言って、無理矢理、運転手を車に乗せ、もう一人の上司と3人で、自宅に向かった。嫌がる運転手は、交差点の赤信号停止時に、車から飛び降り、110番通報をして、警察が駆けつける事態になった。

 05年にアルコールチェックで2回目の違反となった運転手は「1回目の時の下車勤務があると考えただけで、具合が悪くなる。もう辞めることにしたよ」といって、退職。

 多摩営業所でも05年にアルコールチェックで、犯罪者のような扱いを受け、現場長が家まできて冷蔵庫をあけて、批判して帰った。同居の両親は「ここまでやるか?」と驚いたという。

 藤井氏のケースと酷似した事例もある。八王子営業所では、06年に、運転手のS氏が、自宅でアルコール検査をしたところ、反応しなかった。だが、会社での検知器では0.050mg/リットルとなったその後、S氏は、反省文を1日2、3回提出されられ、レポート用紙3冊分書いた。アルコールの標語も100個作成するよう指示された。そして、「次に同じことをした場合は、職を辞します」と書かされ、「次はないよ」といわれた。

 その後、2回目のアルコール反応が出た。この時も、自宅ではゼロだった。その時、前回の「次やったら辞めます」という書類を突き付けられ、「前回このように書いてますよ。進退をどうしますか?」と問われ、その場で「辞めます」と答えざるを得ず、会社を追いやられた。

 このような不可解なアルコール反応、いじめ、退職強要を伴う下車勤務が横行する目的は、人件費の安い運転手を新たに雇い、会社全体の支出を抑えるためだった、と原告側は主張している。

 こうした会社の仕打ちを目の当たりにしてきた藤井氏は、アルコールチェックにひっかかった翌日08年6月29日(日)には、「もうだめかもしれない」「クビだと思う」「死んだら楽になる」「月曜日は9時半出勤だけど行きたくない」と知人に漏らしていたという。

 翌6月30日(月)、藤井氏は会社には行かず、家からナイフを持ち出し、自宅からいなくなった。不安を感じた夫人は警察に通報。結局、藤井氏は多摩川沿いを徘徊しているところを警察に保護された。そのことは会社にも連絡した。

 この異常事態のさなか、藤井氏の家に所長が訪れた。だが、藤井氏を心配しに来たわけではよかった。用件は、なんと家宅捜索だったのである。所長は、藤井氏の家族がいる前で、警察の実況見分のように家の中の写真を撮り、「いつも使っているグラスを持ってきて」といって押収して去って行った。

 同日、営業所内には藤井氏の私生活を含む前日から当日までの行動が「出勤時のアルコール検知事案の発生について」という文書で詳細に掲示された。

 この日から二日間、藤井氏は会社を休んだ。落ち込んだ状態が続き、ほとんど食事を摂らず、家族との会話もほとんどなくなった。

 2日後の7月3日(木)、藤井氏は、9時半に出勤し、別室に隔離されて顛末書、反省文などを書かされ、約9時間拘束された。営業主任からは「家にある酒を全部捨てろ」「酒をやめるか、京王電鉄を辞めるかだぞ」と言われたという。

 翌7月4日(金)、藤井氏は9時半に出勤すると、なんと、またもやアルコール反応が検知された。藤井氏は、アルコールは飲んでいない、と言い、冤罪を証明するため、「血糖中のアルコール濃度を調査してほしい」と申し出たが、会社は拒否したそして副所長が藤井氏を同行しながら、藤井宅までやって来た。家宅捜索である。副所長は、ずかずかと台所に上がり込み、冷蔵庫を開けて、料理酒を押収した。その様子を、藤井氏の子どもが目撃していた。

 その後、藤井氏に対する事情聴取が行われ、次は7月7日(月)に本社で事情聴取をすることに決まった。

 7月7日(月)午前5時51分、藤井氏は会社近くの11階建て、高さ29メートルのマンションから飛び降りて、倒れているのを発見された。

 遺書には、自宅には遺書が四通あった。三通は上司、一通は夫人に宛てたものだ。上司には「禁酒しておりますが、食事はやはり喉を通りません。会社に出勤して、アルコールチェッカーが鳴ったらと思うと、怖くてたまりません」とあり、夫人には「退職金・生命保険が入る迄、多少時間がかかります」「これから大変だと思いますが頑張って子どもたちの事をお願いします。最後にこれまでありがとう」などとしたためられていた。

 自殺から11か月後野09年6月、藤井氏の夫人が、夫の自殺は業務上のアルコールチェック、下車勤務により精神障害を発症したことに起因する、として八王子労働基準監督署に労災申請した。しかし、労基署は遺族の請求を棄却。その後、遺族は審査請求、再審査請求をしたがいずれも棄却。13年1月31日、東京地裁に提訴し、この度、労災認定の判決が下った。

 佐々木宗啓(むねひら)裁判長は「身に覚えのないアルコール反応で解雇されるかもしれないと強いストレスを受けたのが自殺の原因」(東京新聞電子版)、会社が血液検査を提案したり、男性の自宅から酒を持ち帰ったりした対応を「退職強要に等しいものだった」と批判(共同通信)、訴訟で会社側は、2回目の検知については誤作動だったと認め、「男性に説明した」と証言したが、判決では男性の遺書の内容などから「説明しなかったと推認できる」としたうえで、「退職せざるを得ないとの男性の誤解を強めさせたことは明らか。その意図があったのではないかとさえ疑われる」、(朝日新聞)、「運転手は近いうちにまた身に覚えのないアルコールが検知され解雇されると誤信し、強い心理的負荷を受けた」と自殺との因果関係を認めた(日本経済新聞)と指摘した。

 この判決により、下車勤務といういじめがなくなることを願いたい。(佐々木奎一)


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