ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一

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妊婦が現地取材に奔走 気鋭の映画監督が見たフクシマ

2011年11月16日 | Weblog

 

 ドキュメンタリー映画監督の海南(かな)友子氏は8月27日、東京都練馬区内のちひろ美術館で報告会を開いた。

 海南氏は、1971年東京生まれ。NHK報道ディレクターを経て2000年に独立。04年には旧日本軍の遺棄兵器被害者の証言を集めた作品『にがい涙の大地から』で日本ジャーナリスト会議新人賞など受賞。10年には気候変動に揺れる3つの島(ツバル、ベネチア、シシマレフ島)を描いた映画『ビューティフル アイランズ 気候変動 沈む島の記憶』をつくり、日米韓でロードショー公開を果たした気鋭の映画監督。

 そんな海南氏の話を聞くため、会場には約80人分の予約席を埋める人が集まり、場外の通路にもイスを置く盛況ぶりだった。参加者は老若男女の幅広い層。

 海南氏は今年5月に妊娠とわかった。不妊治療の末の40歳の初産だった。そのため講演中は、「妊娠しているのでずっと立っていると話すのが苦しい」と語り、時節、息が切れて、しんどそうにしていた。

 冒頭、海南氏は取材の経緯を、こう振り返る。「実は私、すごく臆病で…。ジャーナリストの先輩の広河隆一さんや綿井健陽(たけはる)さんが3月11日から福島に入っているのをメールで見ながら、『自分は行くのは怖いなぁ』と正直、思っていたんです。 しかも、11日の菅直人の記者会見の、最初の一言が福島原発の話だったので、『これはおそらく何かあるな』と直感して、こういうこと言うのは恥ずかしいことかもしれないですが、自分の事務所のスタッフを含めて、12日には関西の方に逃げました」。

 しかし、海南氏は考え方を変えた。「私、誕生日が3月26日で今年40なのですが、福島第一原発1号機が、私と全く一緒の生年月日で動き出していたことを、ニュースで知ったんです。私はずっと東京で育ってたので、ある意味、福島原発のおかげでバブルの時も楽しい学生生活を過ごしましたし、卒業後もたくさんの電力を使って生きてきました。その実感が深まってきて、『福島で起きていることは自分自身の問題だ』と思い詰めて、『取材に行かなければ』と思うようになりました。放射能の現場に行くのはすごく怖かったですけど、『でも、逃げていてはいけない』と思い、4月1日に福島に入りました」。

 こうして現地で、様々な人々と出会ったという。「原発立地の大熊町出身の小山さん(40代、男性、運送業)は、奥さんと高校、中学の2人の息子、母方の両親の6人家族ですが、避難命令が出て、あちこちを転々としており、『まるで自分たちは難民ですよ』と言ってました。一時は東京の親戚の家にすみ、その後、会津にある避難所の旅館に行くことに決まりました。私とカメラマンは、部屋に入った瞬間、八畳一間に家族6人で暮らしているのを見て、思わず、「うわ、狭いですね」と言ってしまったんです。すると、家族全員が同じ反応で『いや、そんなことないですよ。家族だけの空間でプライバシーのある環境にいれるというのは久しぶりなんです』と言いました。それを聞き、普段の生活で持っている幸せの感覚が、被災者の場合は、低いレベルのところで満足せざるを得ない状況に、追い詰められている、と感じました」。

 また、大熊町在住で、事故後、いわき市に移住した岩本氏(60代、男性、半導体関連の中小企業社長)に取材した海南氏は、工場に同行した。その際、持っていた放射線測定機は、線量が多すぎて測定機のカウンターがぐるぐる回って役に立たない状態だった。「3月、4月の福島は特に濃度の高いものが出ていました」という。

 こうして現地取材を重ねるなかで突然、妊娠が発覚した。

 胎児への放射能の影響を考えると不安に違いない。しかし、海南氏は、気丈にも、こう語る。

 「『2011年がただの不幸な年ではなく、次の100年の新しいターニングポイントになったんだよ』と、大きな声で自分の子どもや孫に語れる、そんなおばあさんになるために、毎日、生きていきたいな、と思っています」。

 その後、会場参加者から意見を聞く場となり、活発な提案が飛び交った。例えばこんな声もあった。「これまで自分たちの電力がどこからきているのかも知らずに生きてきましたが、東京の電力は自分たちで受け持つべきと思う」(20代くらいの女性)。

 「もしこのまま原発政策を続けていくなら、東京や大阪、京都などを含めた全国の都道府県すべてに原発を設置すること。それができないなら国民全員で責任を負えないということなので、原発をやめなければいけないと思います」(50代くらいの女性)。

 気丈に振る舞う映画監督に触発されて出てきた提案。こうした声が現実のものになる日がくるかもしれない。

 
 

 2011年9月4日、auのニュースサイト EZニュースフラッシュ増刊号
 
「潜入! ウワサの現場」で記事
 
「妊婦が現地取材に奔走 気鋭の映画監督が見たフクシマ」
 
を企画、取材、執筆しました。 

 
 
  
写真は海南友子氏。


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