信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

喜多院から河越城本丸へ

2019年07月27日 | 寺社徘徊



お早うございます、信です。
季節は文月 7月は大暑の初候、第三十四候 桐始結花(きり はじめて はなを むすぶ)です。

週末を迎えましたが、台風6号が東海に接近し、どんよりとした曇り空を迎えました。
信州も雨のようです。
アルプス一万尺の稜線も暴風雨になっていることでしょう。

でも今は 青空が広がりました


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このカメラで青空を撮るのは、いつ頃以来だろう・・


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こんな拙いブログ記事でも、昨日は沢山の方が訪れて下さいました。
本当に有難いことで、勇気をもらって綴ります。

7月20日の川越徘徊の続きです。

仙波東照宮で参拝して、そのまま北へ進むと喜多院(北院)に入ります。
慈眼堂 慈眼大師天海をまつる御堂です


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川越大師 喜多院
慶長4年(1599)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継ぎますが、慶長16年(1611)11月徳川家康公が川越を訪れたとき親しく接見しています。そして天海の意見により寺領4万8000坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代徳川家綱公のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるいました。

寛永15年(1638)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失しました。
そこで3代将軍徳川家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てました。家光誕生の間、春日局化粧の間があるのはそのためです。
その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されています。


本堂である慈恵堂です
慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇とのこと。


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苦ぬき地蔵 お地蔵様が入りませんでした


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大師堂でお参りします
額は潮音殿と書かれています。堂内で瞑目すると潮音が聞こえたのだそうです。


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水屋(手水場)の龍口


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多宝塔です。春は桜が綺麗な場所です。


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本当は客殿(将軍 家光誕生の間)や、書院(春日局化粧の間)を廻りたかったのですが
うちのクマさんが許してくれませんでした。
五百羅漢とともに、また秋にでも一人で廻ってみたいと思います。

喜多院を出ると成田山川越別院(川越不動)です


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本堂には寄らず、道端のお不動様を参拝です


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河越城に向かう途中の県立川越高校。今どき男子校です。
埼玉では三本の指に入る男子進学校だと、うちのクマさんが教えてくれました


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さて次にやって来たのが


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河越城本丸御殿です  


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流石に風格がありました


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広間の横に使番詰所


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家老詰所は、西に50m離れた場所にあったものを移設したようです


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番抜・老体詰所 私みたいな立場の人でしょうか
もっと偉い人か


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往時が偲ばれます
瓦にはいちいち葵の紋が入っています


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落ち着いた中庭でした


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ここも桜の名所のようです


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明日はこの本丸御殿のなかの「わらべうた」発祥の地から


 撮影日: 7月20日
 撮影場所:川越大師 喜多院・河越城本丸御殿


それでは皆様、ご機嫌よう。




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