オンマは辛いよ

~グチはゴミ箱へ、思い出は宝箱へ~

これもけろろです。(今日はシリアスです)

2009年07月04日 15時38分03秒 | オンマの話
※一部不適切な言葉が出ますが、ご容赦ください。



ここ数日のこの辺りの空梅雨は、私のせいです。

そう言いたくなる位、私はこの日1日、涙を流しました。




民族教育を受けたくせに、子供を日本学校へ入れた現在、在日のコミュニティとは全く無縁。

学生時代に刷り込まれた「民族的矜持・自負心」は今や、心の中の奥の奥、引出しをかき回さなければ出てこない。

隠している訳ではないけれど、宣伝することでもない。

でも、やっぱり親しくなった人に打ち明けるときは、身構えてしまいます。


「実は、私、在日やねん」


日本で3番目にコリアンが多い街に嫁いだおかげか、はたまた今の韓流ブームのおかげなのか、皆様の反応は

「あ、そうやったん」

と、緊張していた私がバカみたいにあっけらかん。


だからこそ、私は、麻痺してしまっていたのだ。




「チョッパリに負けたらあかん」と言われ育った時代

校章である「三ペン」マークが、金で売れた時代

映画「パッチギ!」を地で行く先輩達が「カッコよかった」時代


そして、
「チョッパリに負けたらあかん」という歪んだ「正義」のもと、心に癒えない傷を抱えた人がいるということも


まぎれもない真実なのだ。




麻痺した私が軽く打ち明けた告白に、衝撃的な体験の告白で返事をくれた友達。

「在日」「コリアン」という言葉に拒否反応を示す人は、今も確かに存在するのだ。


息子が時々私に問いかける
「何でオレを日本人に産んでくれへんかったん?」
私も全く同じ気持ちになった。

この日ほど自分の血を呪ったことはなかった。




でも、私の体の中には、確かにコリアンの血が流れている。

日本人にもなれない
かと言って、韓国人でもない

中途半端な「在日」だけど

これは、消せない事実なのだ。




「私と付き合うことによって、この人の傷は癒えないのかも知れない」

私は、別れを覚悟し、メッセージを送った。

ホームを何度も覗き、友達の数を確認した。

10時間にも、100時間にも、果てしなく長い時間待ったように感じた。

やっぱり、あかんかったか…


その時、返事が来た。




「何で?けろろはけろろやん」




よかった。
大切な私のお友達を失わずに済んだ。


私は、人目もはばからず、子供のように泣きじゃくった。





日本に生まれ育ち、日本の社会に混じって暮らす私。

でも、これもけろろです。

顔は見えなくても、私の大切なお友達の皆様


こんなけろろですが、これからもよろしくお願いいたします。