失くして分かるもの 2013-09-15 | 人生の気づき 人間は本当にいい加減なものだ。空気のようになくてはならないものほど、接しているときには、その存在価値を理解していない。その点、父の偉大さに気づかなかった私も間抜けである。写真は、亡き父が遺した趣味の作品。私には句を作れないし、絵も描けない。書も駄目である。 母が、季節が変わるたびに出してくる父の作品には、本物の人間力を感じる。
ネーミングの工夫 2013-09-14 | 経営の気づき 私は様々なセミナーを開いているが、その集客のポイントは「ネーミング」と「キャッチフレーズ」にある。面白い内容であればこそ、ネーミングも工夫できることからすれば、内容そのものが一番大切だが、しかし、人を引き付けるキャッチフレーズが無ければ、その案内を見向きもしない。 パーティーなどの遊び関係も一緒だ。12月に開催を予定しているあるパーティーの名前は「7つの智慧のサプライズ・パーティー」。何か面白そうでしょ。ネーミングに数字が入っていると、その数字が気になるのが人情。そういった細かなことを計算していくと、人を集められる確率が上がってくる。
脳を乗っ取られないように 2013-09-13 | 私流 あなたは、脳を誰かに乗っ取られていないだろうか。何も考えないで、ぼうーとテレビを見ていると、人の話をぼうーと聞いていると、脳を乗っ取られている確率は高い。テレビのニュースを見てもそのまま鵜呑みにしないで、時には反論を考え出さなければいけない。 日本人は権威に弱いので、役所の地位の高い人から聞いたことも、すぐに自分の考えとして同化してしまう。これではだめだ。いつも自分の頭で能動的に考え、納得した答えだけ受け入れないと、馬鹿になってしまう。その点、最近の下らないテレビ番組を毎日見ていると、脳の劣化はかなりのものになっていると予測される。 自分で考え、自分の意見を持ち、大衆や権威に迎合しない意見を持つためには、是非、脳を乗っ取られないようにして下さい。
オープンしました 2013-09-12 | 人生の気づき まつやま経営交流プラザが、9月10日にオープンした。運営管理を任されている側としては、事業開始に当たりその重要課題を集客力と捉えている。すでに様々な支援機関がある中で、後発組の我々が、経営支援ニーズのある方をどのようにして集めるか。 これについては、一つの案がある。それは、SNS特にFBの活用である。その理由は、現代の社会構造を分析すれば明らかだ。最近は、松山のような田舎でも近所同士の会話が減り、「個人化の時代」からさらに進化して、「無縁化社会」と呼ばれる危険な社会に変容した。 そのような社会の中で、「人と人との繫がり」をみた場合、それがいずれ枯渇するかというとそうでもない。ネット社会においては、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどといったもので「繫がり」を求める人が増殖している。確実に言えることは、人が人との繫がりを求める志向はなくならない、むしろ進化している。そういったところから、これからは「新しいカタチのコミュニティ」が登場する。 「誰とつながっているか」「誰とつながるか」が大きいキーワードだ。情報化社会が進めば、誰とでも、いつでもつながることが可能になるので、これまでみたいに「仕方なくつながる」必要はなくなる。したがって、このような社会状況だからこそ、創業とか経営活性化とか同じようなニーズを持っている人を集めたコミュニティーを形成させるために、FBを活用したい。
フェイスブックの絡み 2013-09-11 | 雑談 以前、フェイスブックに次の記事を載せたところ、色々と突込みが入ってきた。 今夜は久しぶりに徹夜です。 やれば出来るものですね。 BGMは雨音です。 すると、次の突込みが。 「BGMの曲はショパンですか」 私の返信は、 「いいえ、ショートパンツ」 すると、ある男性が、 「足の手入れをして、ショートパンツを履いてそちらに行きましょうか」ときた。 このように次々と絡んでくる人が現れ、深夜の仕事の休憩にはうってつけだった。 深夜族はまだまだ多いというのが実感。
言葉は薬 2013-09-10 | 人生の気づき 自分の言葉をどこまで届けるか。相手様の耳まででよいか。心まで届けるか。心まで届けるとなると、言葉を発する側もよほどの覚悟がいる。単なる表面的な言葉ではそこまで浸透しない。人の皮膚から入り込み、心まで到達するには、よほどの重みが必要だ。しかし、その言葉が届けば、心の病んでいる人にとっては薬となることもある。 一方、その方の心を切り刻むような残酷な言葉だと、薬とは言っても「毒薬」の薬になる。良薬になったり毒薬になったり、言葉の価値は無限大に大きい。 果たして、私は、良薬を何服、調剤しただろうか。あるいは毒薬は何服だろうか。言葉の価値に気づいた私は、ある日、このような勘定をしてみた。毒薬を調剤したときのことは特に覚えており、いまだに悔んでいる。特に家族に対しての出来事は、人生にとっての大きな汚点になっている。 いま思い出して、ふと涙しました。
喪中につき 2013-09-09 | 私流 喪中期間は、明治7年(1874)の太政官令において、「父母の死亡の場合は50日」「義父母、祖父母の場合は30日」「夫の場合は30日」「妻、嫡子の場合は20日」と厳密に決められていた。この取り決めは、戦前までは通例となっていたが、戦後の混乱期にまぎれて、喪が明けるのは1年経ってから、という俗説がまかり通るようになった。 したがって、東北大震災や福島原発事故において亡くなられた方々の喪中期間は完全に終了している。ましてや、東京オリンピックが決まったことに日本中が喜んでも問題はないのだが、私にとってはまだまだ解決していない大きな問題として、心情的に喪があけていない。うかれる前に、もっと大切なことに取り組むべきではなかろうか。 除染・避難している方々の生活の確保・温暖化対策の取り組みなどを考えれば、東京オリンピックどころではない。
偶然の集積が人生 2013-09-08 | 人生の気づき 人生は偶然の集積であり、毎日がハプニング。どこの学校に入って、自分の人生に影響を与えてくれる、偉大な先生に逢えるか。生涯のパートナーとしての良き伴侶に出逢えるか。自分を高めてくれるよき仕事に出逢えるか。生涯に憩いを与えてくれる、よき趣味に出逢えるか。言ってみれば、いずれも何らかの偶然によって生じる。 しかし、自分が導き出した偶然もあり、大きなはからいの中で計算されつくした偶然もある。そのハプニングの織り成す人生は、誠に楽しきものである。 人によって、悪い偶然の連続する人もいれば、良い偶然が連続する人もいる。それは、その人の持つ波長が呼び寄せた結果であるから、全ての原因はその人自身の中にある。偶然は他からもたらされるものではなく、自らが作り出すものであることを知るべきだ。
スターウォーズ 2013-09-07 | 初体験の気づき 時間調整のために入ろうとしたカフェが閉まっていた。そこで、別の店を探し、初めて入った店で驚きの発見。この店は色々と変わったものを置いている。そこでマスターに「これは特注ですか」と尋ねた。マスターは、「これはおもちゃ屋で売ってました。値段は軽自動車が買えるくらいです」と。 色々と質問をぶつけると、マスターはみるみる機嫌がよくなり、質問以上の答えが返ってくる。こういう類のものが相当に好きらしく、アメリカまで買い求めに行き、自分でさらに修理改良することもあるとか。趣味を仕事につなげている彼は、本当に楽しそうだ。そして、楽しく働いているマスターに出逢って、今日も楽しい私であった。
悲しい変化と嬉しい変化 2013-09-06 | 人生の気づき 長い年月生きていると、色々なことが起こる。そして、嬉しい変化と悲しい変化は、ほぼ同数あるのかもしれない。 嬉しい変化は、私自身が嫌だと感じていた性格を変えられたこと、人脈が広がったこと、ものの見方に深みが出てきたことだ。そして、悲しい変化は、体力機能が衰え体型が変わってきたことだ。しかし、これって、誰もに共通することですよね。 (写真は、この最近15年間のベルトを並べてみた)
嘘つけ 2013-09-05 | 雑談 嘘をついてる人に「うそつけ」と言うことがあるが、これは嘘をつくように命令してるのではなく「嘘ついてんじゃねぇよ」という意味。では、嘘つきには普通に「嘘ついてんじゃねぇよ」って言えばいいのに、何故本来の意味とは逆の意味の、「うそつけ」という言葉を使うのだろうか。 別の言葉で考えてみよう。親が子どもを叱りつける時に「勝手にしろ!」と言う時がある。もちろん心の中では「勝手にしてはいけない」と思っている。しかし、それが目に余ると感じた時には見捨てた表現として「勝手にしろ」と言う。この後には、「しかし、その後の面倒はみないからな」という脅しが入っている。 「嘘つけ」というのも、同じような語法である。話者は基本的には相手が「嘘をつく」ことを望んではいない。しかし、その態度が目に余る時、「であれば勝手に嘘をつくがいい。しかし、その後がどうなるかはわかっているんだろうな」という脅しの意味を含めている。 言葉とは本当に不思議なものである。受けた言葉をそのまま解釈する馬鹿とは、つき合いたくない。色々と奥深いものを感じ取ってほしい。その微妙なコミュニケーションが親しい関係を作る。
まつやま経営交流プラザ 2013-09-04 | 雑談 松山市の中央商店街に新しい支援機関が誕生する。名称は「まつやま経営交流プラザ」。松山市の事業をイヨテツケーターサービスと我々の(一社)愛媛県中小企業診断士協会が請け負って始まる事業である。中でも特徴的なのは、集客の工夫としてフェイスブックを活用する点。 行政の方たちは自分たちを守ることに力を入れるため、リスクを先に考えて、フェイスブックの利用にも二の足を踏むことが多い。しかし、民間人である私は、何も恐れるものが無く、全国的にも例のないくらいFBを利用しまくるつもりだ。是非、その結果にご注目下さい。
太る人 痩せる人 2013-09-03 | 雑談 何事も比べてみるとよく分かる。例えば、太った人と痩せた人を比べて、その違いを見てみよう。 太った人は、食べ物を口いっぱいにほおばる。しかも、噛む回数が少ない。一方、やせている人の食事は、一口で食べる量が少ないのが特徴。太っている人に比べ、噛む回数が多い。 太っている人は、高カロリーなものをまめに摂取している。一度の食事の量はそれほど多くなくても、太っている人は、間食が多い。食事の後でも何か食べることが多く、お腹が空いていなくても食べている。砂糖の入ったコーヒーや紅茶、ジュースなど甘い飲み物を一日に何杯も飲んでいる。 痩せている人は、空腹時以外は食べない。お腹がすいていないから食べないとか。でも、お腹がすいたら食べる。とにかくお腹がすかないと食べない。 利益を上げている会社と赤字の会社も比較するとよく分かる。赤字の会社は黒字の会社を見習うべきだが、先ほどの例と同じで、体質的にそのような行動が出来ないのだ。
友が帰ってくる 2013-09-02 | 雑談 高校時代の友人が、2年向こうに東京から帰ってくることになった。卒業後も8年に一度のペースで会っていたが、奥さんの故郷でもある松山に帰ってくることになった。これで、また飲み友達が増える。 彼とは色々なエピソードがある。高校時代は、隣の大学にかばんを放り込んで学校を脱走したり、お互いの懐を充てにして飲みに行ったりと、笑い話は尽きない。東京の大学に行っていた彼が松山に帰った時、二人で飲みに出かけたのだが、二次会の店に行くときは、互いの懐具合がさびしかった。しかし、お互いの懐を充てにして、堂々とスナックに乗り込んだ。 しかし、支払額が足りずに、私が時計を置いて帰る顛末となった。真の友だからこそ、こういうエピソードがいくつもあるのだろう。したがって、彼が帰ってくれば、また楽しい事件がいくつも誕生する。
営業妨害の店 2013-09-01 | 雑談 私が飲みに出るときは、二次会まで計算されているため、その二次会の店に出向くためにもご飯は食べない。ごはん類を食べると、次の店で飲めないからだ。しかし、先日は料理をたらふく出され、最後にご飯ものまで出てきた。普通なら遠慮するのだが、大将の自慢の品「松茸ご飯」だから食べないわけにいかない。そこで、ほんの少しよばれた。 腹が満腹にて出かけた二次会のバーでは、その様子を紹介したら、マスターは「我々の営業妨害」だと冗談を言っていた。果たして冗談なのか本気なのか真意は分からないが、確かに営業妨害をしている。自分の店に満足してもらえたらそれでいいという考え方は、夜の飲食店、特に二次会向きの店からすれば敵になる。 我々は、このように知らず知らずのうちに、商売の妨害をしたり不都合をしている。したがって、我々はいつも普段から不都合をしていることを自覚し、不都合をされた場合にも、決して怒らないようにしなければならない。・・・なんて、まだその不都合に出会っていない今だからこそ、こんなことが言える。笑