描いた文字や絵は、間違っても修正がきく。完成したのちに、気に入らない作品だと思えば、それを壊し発表しなければよい。しかし、音楽はそうはいかない。楽器や歌は、一音にしても、間違っても元に戻れない。聴衆者の耳にしっかりと刻まれた間違いの音は、「さっきのは失敗だから忘れてください」とは言えない。
やり直しのきかない音楽だからこそ、芸術性もひとしおというものだ。このような話をはさみながらの、昨夜のジャズ・ハープのコンサート。アメリカのカリフォルニア在住の古佐小さんのハーブは、エステのヴァンサンカンのホールに心地よく響き渡った。
一緒に行った母は、生まれて初めての生ハープだったそうだ。
やり直しのきかない音楽だからこそ、芸術性もひとしおというものだ。このような話をはさみながらの、昨夜のジャズ・ハープのコンサート。アメリカのカリフォルニア在住の古佐小さんのハーブは、エステのヴァンサンカンのホールに心地よく響き渡った。
一緒に行った母は、生まれて初めての生ハープだったそうだ。
逆に、聞きがたい雑音は、人を苦しめる事もあります。
音とは、人間にとって、心を和ませたり、嫌な気分にさせたりする威力を持っていると思います。
音は、ある意味、人間の感情をコントロール出来ると言っても過言ではないと思います。
例えば、大勢の中で、緊張した場面、一人の人が静かな中で大きな音のおならをしたとします。
多分、次の瞬間、大きな笑いが起こると思うのです。
それだけ、音とは大事なモノ、そして、いい音は、人の心を和ませる最高のものだと思うのです。
今日の東矢先生のブログから「心を和ませる」という言葉を連想しました。
この、音、単に音ですが、深く考えると本当に大事なものではないかと思います。
人は、目を閉じて、嗅覚である鼻をふさいでも口で息をすれば大丈夫ですが、耳をふたしてしまうと急に不安感に襲われます。
それだけ、音とは人を安心させるものなのですね。
そして、東矢先生の言うとおり、取り消すことのできないものなのだと思います。