文庫 麦わら帽子

自作小説文庫

アンとサーシャ 『誕生日』 

2019-04-18 | 秘密の花園 別章
《中央》から届けられたものを、サシオンは開封しないままアンジェリカに渡した。

「ちょっと早いけれど、誕生日のプレゼント」

中から出てきた物を見て、アンジェリカは驚いたようにまばたきした。
真新しい白銀の剣だ。

「ちょうど自分の剣術試合で、木剣から真剣に代わる節目を迎えたんだ。
それをおまえに預けておく。好きにしていいよ。試合のある時だけ、渡してくれれば」
「何が云いたいの」

真新しい剣は、簡単に肉を裂いた。
アンジェリカは早速自分の指先に、傷をつけてしまった。

「殺したいほどイラつく時があるだろう」

彼女は自分の血を見つめている。

「…殺せばいいよ」

サシオンは優しい声で云った。「ご自由に」

ふいに顔を上げたアンジェリカは、突然かみついてきた。

「わたしが泣いて、そんなつもりじゃなかった、と云うと思ったわけ」

ものすごい剣幕だ。

「わたしは本気よ。本当に貴方なんか殺してやる。わたしの苦しみを、思い知るがいい」
「いつからそんな怨恨を抱いた」

最初はうまくいっていたのに。いつからこの娘はこんなに頑なに、
心を閉ざしてしまったのか。その時に、何故きづいてやれなかったのか。
シェフレラを抱いたからか?
でもそれは、庭の主と、それを護る剣士の義務なのだ。
《中央》には逆らえない。

「貴方はこの世界を何も理解していない。自分の身に起こることも、これから先のわたしに起こることも。
わたしを育てて、新しい箱庭に送りこんでそれで終わり? 職務怠慢だわ。
貴方は国のただの駒よ。頭が悪いってことは罪よね。周りの人間を不幸にする。
それとも本当は何もかも了承済でやっていること? だったら貴方は腰抜けよ。
SA-JANNUの風上にも置けない男だわ」

彼女が何かに怯えていることは、確かだった。
それは間違いなく十三の節目にやってくる。

「新しい庭を持ちたくないんだな」

サシオンは慎重に切り出した。「ずっとここにいたい?」

興奮のせいか、少女は微かに震えていた。

「ここにいても、未来が見えない」

ようやく云った。「何処に行っても、見えない。
わたしが欲しいのは、未来の光よ…」

突然、アンジェリカは床に座りこんだ。
軽度の睡眠発作に襲われたらしい。
サシオンが手を貸そうとすると、邪険に振り払った。

「わたしに触らないで。臆病者の血がうつるわ」

これはひどい。
彼女と話していると、自分の存在価値を見失いそうになる。
アンジェリカは、のろのろと立ち上がると自分の寝台に向かいながら云い放った。

「貴方に試合を申しこみます」
「はい?」
「わたしが勝ったら、この庭から…」

しばらく間があった。

「いいえ、この国から、わたしを解放して」

「こちらが勝ったら?」
「ご自由に」

挑みかけるような翠の眸に、サシオンの血が騒ぎだした。

「それではおまえは、自分の純潔を賭けるといい」

アンジェリカは、睡魔で混濁した意識の中で笑った。何がおかしいのだろう。

「手加減してもらえると思うなよ。そっちが本気なら、こちらも容赦はしない」

サシオンは剣を鞘に戻して、寝台の枕元にそっと置いた。
交渉が成立すると、少女は気が抜けた様子で倒れこみ、あっという間に寝入ってしまった。
本当にこの娘は、どうかしている。
唯一はっきりしていることは、この娘が本当に望んでいるものは、あらゆる意味を含む『自由』
この娘の霊力は、極限なく成長しようとしている。
彼女はすべての支配から解放されて、その力を使いたいのだ。
アンジェリカは、歌声のなかに霊力を解き放つ。
だから、《中央》は彼女の歌を制限した。
無理に歌えば、たちまち喉をつまらせる。
そういう暗示がかかっている。
そして女たちは、間近に迫った『丈比べ』に不安をつのらせる。
シェフレラは「男には判らない」と云って、不安の内容を語ろうとしない。
自分の箱庭を持つということは、この国で貴重なポストを手に入れるということだ。
一生の生活を保証される。
『丈比べ』に合格すれば、誰もが乙女に「おめでとう」と云うだろう。
それは祝福されるべき通過儀礼なのに。
サシオンはアンジェリカの寝顔に語りかけた。

「本当におまえは天使みたいだね」

天使は少し寝苦しそうに眼を閉じていた。

「勇ましい天使だよ」

こんなに愛しているのに…。



哀しくなったサシオンは、再び『薔薇の庭園』を訪れた。
庭先で遊んでいたヴィオラは、今回は逃げなかった。
しかし、警戒はといていないらしい。

「おまえの守人を呼んで来い」

命令されたことに気分を害したらしい少女は、一人前にガンを飛ばしてきた。
それでもサシオンの云ったとおり、少年を連れてきた。

「何か用? 今忙しいんだけど」

レイは少し機嫌が悪そうだ。サシオンは構わずに云った。

「もうすぐ、うちのアンが丈比べなんだ。シェフレラはなにも教えてくれないんだけど、
丈比べってなにをするんだろうね」
「知らない。そういうことはカルパントラに聞いてみたら」
レイは自分の両手を見つめながら云った。手にはべっとり何かがついている。

「でも《中央》のすることなら、ろくなことではないと思う」

ますます少年の機嫌は悪くなった。

「あんな場所へ乙女を連れてゆくの」
「規則だぞ」
「規則なんて、クソくらえだ」

珍しく攻撃的だ。それにしても最近、このチビは威勢がいい。
「ぼくは絶対に、ヴィオラを連れていかないぞ」
「そんなことが赦されると思っているのか」
「闘えばいいだろう」
少年は苛ついた。「どうしたんだよ、サーシャ。SA-JANNUの血を継ぐものが、
《中央》に対してはおよび腰? 案外、小心なんだね」

サシオンは怒る気にもなれなかった。
どちらかといえば、自分は強いし勇敢な方だと自負していたのに。

「それよりおまえは何をしていたんだ。その手はなに」
「クッキーの生地を練っていたところ。ローズにクッキーの作り方を習っている最中なんだよ」

それで機嫌が悪いわけか。

「邪魔して悪かったね」

この庭の者はのん気だ。
サシオンはうつろな声で呟いた。


『決闘』に続く。



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