(昨日の続き)
あらためて調べてみると、「極冠作戦」も「HE-BEA計画」も初出は、1967年のSFマガジンに掲載された作品でした。両作品とも後にハヤカワSF文庫「本邦東西朝縁起覚書」として1974年に出版されています。この「本邦東西朝縁起覚書」に表題の「2010年8月15日」という短編が収録されていました(初出は1968年雑誌「話の特集」)。小松さんは1931年生まれで終戦時14歳、旧制第一神戸中学校に通っていましたが、戦争末期の勤労動員で神戸市内の軍需工場で働いていました。この時の体験が、小松さんの様々な作品、例えば最初期の短編「地には平和を」などに出てきます。「2010年8月15日」も同趣旨の短編でした。79歳で臨終を迎えようとしている、どうやら小松さん自身をモデルにしているらしい老人が65年前の終戦時を思い出していくという話(だったと思います。手元に現物がないのでうろおぼえです)でした。ですから昨年2010年の終戦記念日には、ああ小松さんは2010年まで生き抜いたのだなと感慨深く思いました。
あらためて調べてみると、「極冠作戦」も「HE-BEA計画」も初出は、1967年のSFマガジンに掲載された作品でした。両作品とも後にハヤカワSF文庫「本邦東西朝縁起覚書」として1974年に出版されています。この「本邦東西朝縁起覚書」に表題の「2010年8月15日」という短編が収録されていました(初出は1968年雑誌「話の特集」)。小松さんは1931年生まれで終戦時14歳、旧制第一神戸中学校に通っていましたが、戦争末期の勤労動員で神戸市内の軍需工場で働いていました。この時の体験が、小松さんの様々な作品、例えば最初期の短編「地には平和を」などに出てきます。「2010年8月15日」も同趣旨の短編でした。79歳で臨終を迎えようとしている、どうやら小松さん自身をモデルにしているらしい老人が65年前の終戦時を思い出していくという話(だったと思います。手元に現物がないのでうろおぼえです)でした。ですから昨年2010年の終戦記念日には、ああ小松さんは2010年まで生き抜いたのだなと感慨深く思いました。