博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

能登半島地震のボランティアに

2007年04月19日 | 身の回り
 3月29日から筆者が所属する大学においても能登半島地震被災地への教職員・学生による災害ボランティアの派遣が始まり、私は4月19日に現地へ派遣されました。
 本学では県庁からの要請があった日の朝6時にタクシーで志願者を金沢の石川県庁舎南側バス乗り場の集合地点に送ります。ここから県庁のバスで輪島市災害ボランティアセンター門前に向かいます。ここでボランティア登録と保険の手続きを行い、簡単なブリーフィングを受けます。その後センター内に待機し、市当局または市民からの要請が出次第出動となります。筆者の場合は、ブリーフィング終了とほぼ同時に出動要請がありました。同センターでは要請内容と規模に応じて直ちにチームを編成します。筆者と、筆者に同行した本学のI研究員は総員10名のチームに配置されました。筆者のチームは先ず同地区総合体育館に車両で移動しました。ここは国内外から寄せられた支援物資の集積拠点になっています。広い館内は物資で埋まっていました。本日の要請内容は、先ず緊急性の低下した物資の移動でした。本震が発生した3月下旬は当地ではまだ寒冷な季節でした。暖冬とはいえ4月に入っても雪が降った日もあります。そこで支援物資も長靴や暖房用灯油ポリタンク等々防寒装備が多数ありました。しかし4月も下旬を迎えつつあり、こうした物資は緊急性が低下しました。より必要性の高い物資のために場所を空けなければなりません。それらの物資を私達は体育館から約10キロ離れた仁岸中学校の廃校舎へ搬出しました。チームを2つに分割し5名が体育館に残り物資を車両に積載します。別の5名が仁岸中学校廃校舎へ向かい、先ず廃校舎を清掃し、到着した物資を搬入します。筆者は前者に、I研究員は後者に配属されました。この場面では軽トラックの機動力が最も力を発揮していました。午前11時になると炊き出し所の要請に応えて、集積された米袋を搬出します。佐賀県から寄贈された20キロの米袋の搬出が最も骨が折れました。時間はあっという間に経ってしまいます。午後3時半までには作業を終了し、時間絶対厳守でボランティアセンターに帰還しました。

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