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拉致問題を「そんな事はありえない」と笑っていた左翼!

2023-08-29 00:00:00 | 外交と防衛
夜の路上で、いきなり頭から南京袋をかぶせられた 北朝鮮に連れ去られた曽我ひとみさん、帰国までの24年 「若い人にこそ知ってもらいたい拉致問題」(前編) 
8/25(金) 10:02配信 

日本から北朝鮮に拉致された人のうち、5人が帰国してから2022年で20年となった。この年、被害者の1人で新潟県佐渡市に住む曽我ひとみさんは、これまで以上に精力的な発信を行った。報道各社からの質問に1社ずつ対応して丁寧な返信をくれ、介護施設での仕事の傍ら、何度も講演台や街頭に立ち、全面解決を訴えた。 

ただ、共同通信を含めた報道各社の「帰国20年」の特集は、過去の記事との重複を避けるため、主にここ数年間の政府交渉の推移と被害者の状況に焦点が当てられる内容が多い。 

 曽我さんが何度も繰り返していた「拉致問題を知らない、若い人たちに伝える」という願いに、メディアは応えられているのだろうか。曽我さんの帰国当時、4歳だった私は疑問に思い、壮絶な経験を改めて取材。これまでの発言や手記から半生をたどった。(共同通信=湯山由佳) 

 ▽幼少期。貧しくとも笑顔だった母との思い出 

 佐渡市で生まれた曽我さん。楽な暮らしではなく、母ミヨシさんは一家を支えるため家事と工場勤め、夜の内職を両立していた。脳裏に浮かぶのは、余裕があったわけではない生活に愚痴の一つもこぼさず、いつも笑顔を絶やさない母の姿だ。 

 保育園の帰り道、迎えに来たミヨシさんが包んでくれた角巻き(外套)の温もり。自分の弁当のおかずは辛い漬物だけでも、遠足に出かける娘の弁当にはウインナーや卵焼きを入れてくれた。「母ちゃんの弁当はなんでこんなに少ないの。漬けものだけなの」とたずねると、ミヨシさんは「漬けものが辛いからごはんがいっぱい食べられるんだよ」と笑っていた。 

続き 
https://news.yahoo.co.jp/articles/0bf91da3c50bbac9f428f23801ca2d31deac13f3

「土井たか子『拉致などない!!』」と言っていたね!発言に責任など取らない左翼。マイナンバーの前身たるレインボーシステムも潰した社会党。納税者と住民番号とが紐付けされると困る方が相当いたからね。保険証が顔写真入りとなると困る方達と同様にね。
「実際に拉致られてたせいで社会党系は命運付きた」との書込みに座布団1枚。
「テレビで北朝鮮って言えない時代もあった」との書込みに座布団1枚。
「北朝鮮の拉致もそうだけど都合悪いほど右翼だ差別だの話にすり替えようと必死になるよねアイツラ」との書込みに座布団3枚。
「密入国なのに強制連行されたと言ってるからね」との書込みが秀逸。

昭和29年の朝日新聞の記事、この当時朝日新聞の立場は朝鮮半島の正式な国家は北朝鮮だけであり、韓国は米国の傀儡国家
約70年で、245人がどうやったら在日韓国人約55万人、帰化人約65万人と約120万人なるのか?人間では無理ではないか?考えられるのは不法入国しかないではないか!
「国会議員に背乗り疑惑のある奴等がいるってのがなぁ」との書込みに座布団3枚。
小学生の時の同級生が後援会にいない方ね。
 「今も左翼はブルーリボンつけてる人を攻撃してるじゃん。」との書込みに座布団1枚。
「北朝鮮は信じて日本は信じない」との書込みが秀逸。
「DHCの創業者が日本は在日韓国人に乗っ取られているみたいなことを言ったのを左翼は馬鹿にしていたけどこれも事実だったしな」との書込みに座布団3枚。
「国会に議席持ってたんだから恐ろしい」との書込みが秀逸。

故石原慎太郎氏が言っていたが、「米国と同じ様に、『選挙広報には立候補者のパーソナル・ヒストリーを3代遡って記載義務を課す』」との案が日本でも必要である。それで当選したのなら本人の努力の成果であり、出自を隠して当選しているのは有権者への裏切りだ。
70年代〜80年代、「日本海側とか夜の海岸あんまり行くなとか言われてたんだろ?当時 」との書込みに座布団1枚。この話題をすると「右翼」と非難されていた、当時の日本。




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