いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

中野重治の詩「しらなみ」

2008年05月10日 20時19分31秒 | 兎に角書きたいの!
 「知識は能力となる時に貴い」情報は集めるだけでなく使いこなせて初めて力になるの意。小説家で詩人、評論家の中野重治の言葉である。今日ほど情報が溢れ情報に操られることはない。情報は、人の情けの元に収集するものと言われていたがいまはどうだろうか。
 中野重治の詩のなかで気になる歌がある。しらなみと題する詩である。

        しらなみ
 ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
 うねりは遥かな沖なかに湧いてい
 よりあいながら寄せてくる
 そしてここの渚に
 さびしい声をあげ
 秋の姿でたおれかかる
 そのひびきは奥ぶかく
 せまった山の根にかなしく反響する
 がんじような汽車さえもためらいがちに
 しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわつてくる
 ああ 越後のくに 親知らず市振(いちふり)の海岸
 ひるがえる白浪のひまに
 旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ

ここに詠まれてた「市振」にある市振駅は、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線駅の一つである。この駅は1912(大正元年)10月15日に開業されている。
 この駅の標識をみると「JR 市振 いちぶり Ichiburi」と表示されている。
 詩に歌われている「市振」はこの市振をさしているものと思われる。しかし、この詩の「市振」にはわざわざ『いちふり』とルビが付されている。市振駅近辺をさしているとすれば、いちぶりと濁点が付いているのに「いちふり」とされている。本来固有名詞は変更しないものと思うが、この「しらなみ」の詩では濁点が省かれている。何故だろうか?よくわからない。固有名詞のとおり「いちぶり」と表現しても全体に影響を与えることはないと思うが。ルビを振るくらいだから作者の何らかのこだわりがあるのだろう。それを私は知りたい。
 

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