彼女、あるいは彼らにとって「本当に為になること」ってどういうことだろ
うか? と私は最近いつも考えている。彼女、彼らというのは、私の新しい
職場である障害者の地域作業所に来所してくるダウン症のKちゃんであり、
また私が毎土曜日にボランティアに行っているRというグループのメンバー
のことだ。そこには小学生から高校生まで居るが、みんな知的障害者である。
例えばKちゃんの場合、現在、会話をすることは出来ない。けれど排泄や
食事、歌うこと、折り紙を折ること、そしてリハビリを兼ねた各種の作業する
ことなど、いろいろなことが可能だ。もちろんそれには十分な時間をかけ、
Kちゃんのペースに合わせることが必要不可欠な条件であるのだが……。
今、Kちやんは29歳。お母さんは、彼女をさらに自立させようと思っている。
昼食のことも「一食ぐらい食べなくても、死にはしないから」とお母さんは言
い、自分から巾着袋を開けるまで、ほっておいてもかまわないと言う。でも実
際、お母さんはkちゃんを急がすし、私達も、つい、箸を持ちやすい場所に置
いてあげてしまったりする。所内には食事介助の必要な女の子がひとりいる。
その光景を羨ましそうに眺めているkちゃんに、すべて自力で……というの
は環境的にも困難そうだ。
また、ボランティア先のRでは、中学生以上の子供達の抱きつき禁止、と
いう決まりがある。自閉症の子供達が多いRだが、そこの子供達は明るく、
口も達者で活発な子供が大勢いる。ただ、前述のKちやんも彼らも、とても
甘えん坊だ。その甘えをどこまで受け止め、許容し、そしてどこで突き放す
か、ということは、とても難しい判断であると思う。
あるボランティアグループに5年近く在籍している23歳の女の子が言った。
「私、福祉とかって、よくわからないんだ。ただ子供が好きで、可愛いから
(ここに)来ている。だから抱っこもしちゃう」。やさしさの形は、たくさんある
よね……。
うか? と私は最近いつも考えている。彼女、彼らというのは、私の新しい
職場である障害者の地域作業所に来所してくるダウン症のKちゃんであり、
また私が毎土曜日にボランティアに行っているRというグループのメンバー
のことだ。そこには小学生から高校生まで居るが、みんな知的障害者である。
例えばKちゃんの場合、現在、会話をすることは出来ない。けれど排泄や
食事、歌うこと、折り紙を折ること、そしてリハビリを兼ねた各種の作業する
ことなど、いろいろなことが可能だ。もちろんそれには十分な時間をかけ、
Kちゃんのペースに合わせることが必要不可欠な条件であるのだが……。
今、Kちやんは29歳。お母さんは、彼女をさらに自立させようと思っている。
昼食のことも「一食ぐらい食べなくても、死にはしないから」とお母さんは言
い、自分から巾着袋を開けるまで、ほっておいてもかまわないと言う。でも実
際、お母さんはkちゃんを急がすし、私達も、つい、箸を持ちやすい場所に置
いてあげてしまったりする。所内には食事介助の必要な女の子がひとりいる。
その光景を羨ましそうに眺めているkちゃんに、すべて自力で……というの
は環境的にも困難そうだ。
また、ボランティア先のRでは、中学生以上の子供達の抱きつき禁止、と
いう決まりがある。自閉症の子供達が多いRだが、そこの子供達は明るく、
口も達者で活発な子供が大勢いる。ただ、前述のKちやんも彼らも、とても
甘えん坊だ。その甘えをどこまで受け止め、許容し、そしてどこで突き放す
か、ということは、とても難しい判断であると思う。
あるボランティアグループに5年近く在籍している23歳の女の子が言った。
「私、福祉とかって、よくわからないんだ。ただ子供が好きで、可愛いから
(ここに)来ている。だから抱っこもしちゃう」。やさしさの形は、たくさんある
よね……。
人として向かい合っているか?が問題なのかと思います。
自立をどう考えるか?
それによって、障害を否定してしまうことは避けなければならないと思います。
周りがどんな意識をもって関わっていくかが、大切なのでしょうね。