いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

方丈記の受講

2007年07月24日 18時47分04秒 | 兎に角書きたいの!
 今日、7月24日を含めて5回、永田地区センターにおいて古典方丈記の講習が始まった。受講者は38名内男子6名である。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらじ。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 で講義が始まった。講師は、元中学校校長西尾 實氏で講義は聞かせる話をされこれからが楽しみである。
講義は全員で声を出して読む方式をとっており古典は、この方法が良いと先生輪言われる。三大随筆の一つ方丈記は400字詰め原稿用紙で24枚程度であり是非音読をお勧めしますと。
 午後からは神奈川婦人会館で「平家物語」の講習で眠気が誘う時間帯に苦労したが後半は先生の声が良く耳に入ってきた。
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万福寺の腰越状

2007年07月24日 08時03分13秒 | 兎に角書きたいの!
 先日、鎌倉市腰越にある「満福寺」を訪れた。義経ゆかりの寺として紹介されているここは、寺を上る階段の側を江ノ電は走っている。この満福寺は、義経の「腰越状」と「鎌倉彫」が有名である。
 腰越状は、頼朝の腹心大江広元にあてたのが世に言う腰越状である。その要旨

        この気持ち、頼朝公に伝えて
 わたしは鎌倉殿(頼朝)の代官のひとりに選ばれ、天皇の使いとなって戦い、平家に倒された父(義朝)の恥をそそぎました。鎌倉殿からは、褒美がいただけるに違いないと思っておりましたのに、逆に、あらぬ告げ口によってお叱りをうけ、血がにじむほどの、くやし涙をこの腰越の地で流しています。
 頼朝公の慈しみ深いお顔を拝することも長くかなわず、もはや兄弟とはいえないのも同じです。どうして、こんな不幸なことになったのでしょう。
 わたくしは平家を滅ぼすこと、父に安らかに眠っていただくこと以外、なんの野望もありませんでした。朝廷から武将としては最も高い位の五位ノ尉に任命されたのは、源氏の名誉でもあるはずです。なのに、こんなにお怒りになるとは。神仏に誓って偽りは申し上げませんとお手紙を差し上げても許してはいただけませんでした。
 あなたのお情けで、なんとかこの気持ちを頼朝公に伝えてはいただけないでしょうか。許された暁には、ご恩は生涯、忘れはしません。

 説明には、「義経は弘元に兄との仲介役を依頼したが、人選もまずかったのか、結局、願いかなわず……」とある。
 満福寺にある義経にかかわる鎌倉彫がまた素晴らしいもので、一度は見たいものである。
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