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永遠の宙ぶらんと…

2011年07月31日 | 読書
 よく見ると、へんな題名である。

 『宙ぶらん』(伊集院静 集英社文庫)

 一般的には「宙ぶらりん」だろう。でも「宙ぶらん」という言葉もあるような気がしないでもない。
 短編集であり、その一つとして表題作があるが、その作品の中に「宙ぶらん」という文字はなくて、「宙ぶらりん」なら使われている。

 ちなみに辞書で引いてみる。
 「宙ぶらりん」はある。「宙ぶらん」はない。予想通りである。

 しかし見出し語として「ぶらりん」はないけれど、「ぶらん」はあった。
 ということは、「宙」と結び付けることによって「ぶらん」を強調させたということか。
 「宙ぶらりん」という一般的な言葉のイメージよりも、垂れ下がっているさまがより鮮明になるように…。

 この短編集は、いずれも「死」が取り上げられている。
 伊集院ワールドの中で重要な位置を占めている「死」。
 その描き方は様々であるが、そこにはありきたりの意味での祈りも悼みもないような気がする。

 何かを失くしながらも何かを抱えて生き永らえている人間の、いわば宙ぶらんな状態を、いろいろな角度から描いているような、そんな感じだろうか。

 思えば人は皆、何かにつかまりながらその日その日を暮らしているとも言えるだろう。
 自分の中にしっかりと芯があり、地に足をつけて歩む人も多いように見えるが、実は一歩先も危うい。

 ここはもう開き直って?自分が何につかまっているいるのか、はっきり見定めた方が、逆に強いか…そんな考えも浮かぶ。
 永遠の宙ぶらんと宣言してしまえ…
 
 ところで、昨日書いた「奔放さ」と言えば、この作家も似たようなイメージがある。
 直感を重ねて直観と書いた考えに、直截につながるこんなフレーズを短編の一つに見つけた。
 その種の人間がつぶやきそうな一言である。

 人が何かをするのに理由などあるものか。

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