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「本神」と使ってみたいホジナシ

2018年10月17日 | 雑記帳
 「アヤ―、ホジニャゴドォ」と昔は日常会話でよく耳にした。「ホジニャ」…『秋田のことば』の見出しには「ほじなえ」と出ている。「とりとめがない。非常識だ」という意味。非難する、馬鹿にする時に使う。この「ほじ」とは何か。子供の頃から幾度となく頭に浮かんできたことだ。


 私ばかりでなく思ったことがある人はいるだろう。「ホジ、オドスナヨ」などと言われたり、または言ったりした経験者は多いはずだ。『秋田のことば』では、それを「方図」という熟語で説明している。広辞苑には、方図とは「さだめ。かぎり。範囲。際限」という意味で載っている。



 慣用句として「方図がない」もあり「限りがない。際限がない。また、とんでもない」とある。しかし使ってきた感覚として「方図」では、どうもぴんと来ない。個人的に「ほじ」とは本気や正気など、その類と予想していた。発音としても「ズ」から「ジ」は変化しにくい気がする。


 『秋田ことば』(北条忠雄)には「ホズネァ」がある。方図を取り上げながらも「はっきり言えない」とし「法度(はっと)と解せばしっくり」と記している。あと、手元にある冊子では『東由利の方言』では「ホジナシ」を「まぬけ」と記すだけだ。ただ『秋田語の教科書』は違っていた。


 書く発端が「ほじ」とある本。著者の職業は鍼灸師。「ほじ」の本義を「本神(ほんじん)」と論じた。本神とは、東洋医学で語られる「精神」と「それを収める蔵(臓器)」の働きを基本とした考え方のようである。「健全」に置き換えて説明した箇所もいい。使ってみたいホジナシである。

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