13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

6月7日

2011-06-07 | 日記

久しぶりに、息苦しいメッセージを聴いたのだ。

で、なんでそんなに息苦しかったのかと考えてみたら、

イエス様像がものすごく浪花節だったからではないかと・・・

「こんなに苦労して~、苦労して~~、愛するがために

耐えて~~、耐えて~~~・・・だから

私たちも『行け』と言われたら応答しましょう!

モーセのように」

と、微妙に私的にはモーセはとってつけた気分で・・・

いやはや、ひっさしぶりに、ブブ~な「頑張りなさい」を

講壇から聴いたさ。

そりゃあ、みんな「頑張れアレルギー」になるわいな・・・

尻をたたいて「私も頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」は

う~~~ん・・・福音書ってそういう世界観か???

私は、そういう世界じゃないから、クリスチャンがいい!って

いろいろな思想とか宗教書とか読んで思ったのは、

この、浪花節じゃない、きらっきらの自由、希望、生きるが

満載だったから。まあ、11歳の子供の目からみてだけどね。

でも、今でもそれは変わってないってか、

深みを増していると思うんだよね。この45歳のコドモ的には。

イエス様は確かに十字架を背負って歩かれた。

でも、単純に「は~い!」って言ったのか?

モーセは単純に「はい!いきま~す!!」って言ったか?

で、「えんやこ~ら」だったか???

そうかぁ~?とか思うわけ。

大事なエッセンスが抜けきってるんじゃないの?と。

関係(リレーションシップ)。

マコトさんが、「リレーしている船」だねって上手いことを言ってたけど、

そうなんだよね。

モーセも神様と格闘するし

イエス様もゲッセマネで神様と格闘する。

イスラエルって言う名前自体が「神と格闘する」っていう意味で

神の民になるとは、そこから逃げられないのかもしれないし

むしろ、格闘できる相手が居るって幸せじゃない?

小さいころ、お父さんとお相撲とったこと思い出しません?

負けても楽しい。だってお父さんってこんなに強いんだ~!って

それが嬉しかったりする。

それが確かめたくて又、相撲をしよう!って言いたくなる。

負ける相手だから、強いって知っているから、

それを確認しているから

だから、思いっきり信頼できるって違いますかねぇ・・・

一緒だから、「頑張れる」。だってこんなに凄い、強い存在が

一緒に居るって言ってるんだから。

それはそこに目をしっかりと向けて

しっかりとたっているから

だから耐え抜けるし、そこに本来の「喜び」を見出せる。

生きるって手ごたえが在ることだと思うんだよね。

自由は手ごたえがある。

喜びも同じ。

ふわふわ無重力だと、それが味わえないわけで。

クリスチャンはジャズ的人生を送っているわけで

浪花節じゃないぞ!!

豊かさを選ぶか、それとも、カツカツを選ぶか・・・

豊かさを選び取ることが出来る自由を持っているのが

本来の自由じゃないのか?

ふわふわの無重力から

しっかり重力によって、思いっきりジャンプできる

そんな重力を選び取る自由こそが本来の自由じゃないか?

型にはめるんじゃなくて、

型があるからフリースタイルが可能になる。

フリージャズだよ、人生は。