☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

セカンド・オピニオンの大切さ②

2023-12-19 20:03:00 | 日々つれづれ
①からの続きです。

2度めの流産は病院云々の問題ではなく、初診を受けた時からダメかもと言うのは分かっていたので、そのまま当時住んでいた所から程近い公立の大きい病院で処置を受けました。
その時キツかったのは、生まれたばかりの新生児を持つ方と同じ部屋だった事。
こっちは失くして辛いその横で、家族みんなが笑ってる。心の痛みと頬の痛み。
頬の痛みは麻酔が効きすぎてなかなか目が覚めなかったから、起こそうとかなりひっぱたいたみたいです。最後の方は若干記憶が残ってたもの。
話すことは出来なかったけど、心の中で
「痛いよこのー!そこまでひっぱたかなくても良いじゃないかよー!」ってね(-o-;)

もと旦那は帰ってしまって居ないし、看護師さんはもう会計が閉まってしまうからお金を払いに行けとうるさいし。
元旦那が貴重品を持っていたので当然持ち合わせもなく、フラフラしながらも会計へ。身内が持って帰ったと言っても聞き入れて貰えず。
それを見かねた売店のおばさまが見ず知らずの私にお金を貸してくれました。
捨てる神あれば拾う神あり。
あの時のおば様、本当に今でも感謝を忘れません。
勿論次の日直ぐにお金はお返しに行きました。
その病院へはもう二度と行くことは無かったな。

そう。近所のご主人がそこの病院入院して、肺に溜まった水を抜いたりなんやしていたのです。
その後退院してまた高熱が出たから病院へ行くも「風邪」と診断され薬を貰って家で安静を保っていたのですが、1週間もしないうちに急変して亡くなられてしまったのです。子供が生まれたばかりの47歳。
だから尚更そこはNG!

そして下の子(長男)が出来たと分かった時に近所の産婦人科Sへ。
次の診察日は実家へ戻っていて帰ることが出来なかったので、実家近所の産婦人科で診察を受けたのですが心拍がとれても良い週数なのに心拍は取れず。
そのまま2週間が過ぎ、S医院を受診。
実家近所の産婦人科で診察を受けたけど心拍が取れなかった事を話すと
「ええっ?なに?心拍が取れなかったんだったら何で出してこなかったんだよ!」と怒られ続けざまに「こういう子は残しても障害が残るからあんたが不幸になるだけなんだよ!」
医者としてこの発言どうなのよ?
あり得ん話だよね💢
それでも診察は受けた。
心拍は確認できました。その時に院長が放った言葉
「おー生きてる生きてる!動いてんじゃん笑じゃあ次は◯日後に来て」

「はい」と言いながらその足で違う総合病院へ行ったのは言うまでもない。
上の子が幼稚園に通う予定だったから近くにと思ってS医院にしたけど、ここはもうね。同じ過ちは繰り返したくないから電車に乗ってでも評判の良い所へ転院しました。
そこの総合病院の先生は
「あれ?S医院に通ってたみたいだけどどうして?」と。
私がゴニョゴニョモゴモゴしてたら、
「分かりましたよ。大丈夫です。ちゃんと診ますから安心して」と言われ一安心。
時間の都合や生活のリズムもあるだろうけど、やはり通える範囲なら評判を確かめて良いところに行った方が良いですね。

そこの総合病院は耳鼻咽喉科も評判が良かったので、扁桃腺を拗らせすぎて死にかけた時は迷わずその病院へ駆け込みました。
1月から5月の間に3回入院。3回目に扁桃腺の摘出手術を受けました。
今思えば自分が後に罹る2度のガンより質が悪かった!
扁桃腺を侮る無かれです。
後日談ですが、その時の主治医は付き添ってくれた私の母に
「あと1日。いや、半日遅かったら命は無かったですよ」
と言われ脚が震えたと話していました。

私の40代は病気まみれ。
40歳で大腸がんが見つかり、44歳で扁桃腺を拗らせすぎて死にかけ、46歳では乳ガンに。
呪われた40代って、今元気だから笑い飛ばしてしまう自分がいるけど、これもやはり信頼できる病院、医師有っての事。

大腸がんもセカンド・オピニオンをしました。

これまた長くなったのでその③に続きます。
この大腸がんの時も大きな大学病院だから大丈夫と行ってみたのが失敗だった!

そんなお話はまた次回。

シリーズ化してどないするねん😅

いや、次回完結であります(^^)



↑↑↑
これは昨年11月に起こった442年ぶりの皆既月食です。
近くに天王星も見えました🎵
寒かったけど最初から最後まで頑張って撮影した中の一枚です
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