☆・時流- 3 ( 日露戦争への流れ )
戦後60年 2005年
1902年 ( 明治35年 ) 日英同盟締結
1905年 ( 明治37年 )2月 日露戦争始まる
極東の小さな島国、日本。大国ロシアがジワジワと極東に勢力を拡大して来た。
1900年に中国で起きた義和団事件でロシアは満州に2万の兵を送り込み、そのまま居座っていた、その事が日本に取って気がかりであった、ロシアが状況を見て朝鮮半島まで南下の恐れがあったからである。
その当時、独立国が単独で国を守る難しさがあった、そこで日本は1902年に英国と同盟を結んだ。
※- 日露戦争 -※
1904年2月、日本は英米の支持を背景に、ロシアと戦争に成る。
1905年、日本陸軍は三国干渉で手放し、ロシア軍に寄って堅固に要塞化された遼東半島の突端にある旅順を、大きな犠牲を払いながら占領した、同様に、内陸部の奉天も占領する。
ロシア軍は、この劣勢を回復させるため、バルチック艦隊を日本へ派遣する事を決め、ヨーロッパから遠い日本へ 8ヶ月をかけて艦隊を送り込んで来た。
それを迎え撃つ日本海軍に、国家存亡がかかっていたと言える。
バルチック艦隊は40隻、迎え撃つ日本海軍は 108隻、日本海海戦が火ぶたを切った。(資料によって隻数が異なります)
日本の連合艦隊は旗艦・三笠を中心に戦い臨み、バルチック艦隊を全滅させた、この出来事は世界中に驚きを与えた。
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☆・ポーツマス条約
1905年9月、アメリカの仲介で、日本とロシア間で講和条約が結ばれる。
内容は、朝鮮の支配権を日本が持つ、中国の遼東半島の租借権を日本が取得、南満州にロシアが建設した鉄道の権益を譲りうける、南樺太の領有を確認した。
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日露戦争から10年後、1914年、第一次世界大戦が始まる つづく
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2005年 8月 5日 -景趣-