スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

義兄弟タッグ&レインスブルフへの移住

2015-08-01 19:23:58 | NOAH
 ラッシャー・木村が馬場とのシングルマッチに敗れた後,マイクで馬場のことを兄貴と呼んでいいかと言ったのが1988年8月29日の日本武道館大会。この日から馬場と木村の関係は徐々に変化していきます。
 この後も木村は鶴見五郎と組み,馬場&○○との試合を続けましたが,10月26日の後楽園大会で,木村は馬場のことをもっと研究するためにと,馬場とタッグを組むことをマイクでアピール。おそらくそれが既定路線だったと思われ,28日の横浜大会でそれが実現しています。もともと木村は馬場のパートナーとして全日本に来たわけですが,思惑の一致で仲間割れすることが前提であった筈で,真の意味で馬場と木村がタッグを結成したのはこの日が初めてであったといっていいと思います。
 このチームは義兄弟タッグといわれるようになり,世界最強タッグ決定リーグに出場。翌年には世界タッグにも挑戦しています。後に百田を加えファミリー軍団へと発展。全日本プロレスの最良の時代の前半戦の定番カードが成立する契機となったのです。
 この義兄弟タッグの結成からファミリー軍団への流れの中で,当然ながら国際血盟軍は自然消滅しました。木村は馬場と組み始めた頃,やはりマイクを使ったパフォーマンスで,鶴見もこのチームに入れるように馬場にお願いするという主旨のことを何度か言っていたという記憶が僕にはあります。でもそれは実現することなく,やるべき仕事を失った鶴見は,全日本を去ることになりました。
 鶴見はインドの狂虎上田馬之助と組んでいた時代から馬場とは敵対していて,そういう選手と組むのは適切ではないと馬場が判断したためかもしれません。あるいは鶴見はヒールスタイルに自負心があり,それを発揮できなくなるので馬場と組むことをよしとしなかったのかもしれません。鶴見が馬場について悪く言っていないことから考えると,後者の可能性の方が高いようには思えます。

 ファン・ローンJoanis van Loonの記述だと,1660年に,事情があってライデンLeidenに滞在していたローンを,事前のアポイントメントなしにスピノザが急に訪問したとされています。こうしたことが可能であったのは,レインスブルフRijnsburgがライデンの近郊であったからに違いありません。たとえばアウデルケルクAwerkerkにスピノザが住んでいたら,こんなことが起こり得る筈がないのです。ですから,1660年,すなわちオルデンブルクHeinrich Ordenburgからスピノザに宛てた最初の書簡,『スピノザ往復書簡集Epistolae』書簡一が出される1年前に,スピノザがレインスブルフに住んでいたのは確実だと僕は考えます。
 1657年にケルクリングDick Kerkrinkがファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenの学校に入学したとき,スピノザはエンデンの生徒であり,おそらく助手として活動していました。ですからこの時点ではスピノザはアウデルケルクに居住しながらアムステルダムAmsterdamを活動拠点としていたと考えなければなりません。これがいつまで続いたのかは僕には判断できません。その後の3年間の間に,レインスブルフで暮らすようになったとしかいえません。
 スピノザがアウデルケルクないしはアムステルダムを去ることにした理由はすでに説明したように,スピノザを指導者と勝手に名乗る人物が現れたからでした。一方,新しく住む場所としてレインスブルフを選択したことに関しての直接的な契機も説明しています。
 スピノザはディルク・トゥルプDirk Tulpという人物を紹介され,アウデルケルクないしトゥルペンブルフTulpenburgに住むようになりました。スピノザはトゥルプの家で大勢のコレギアント派collegiantenの人びとに出会い,好きになったとローンに語ったそうです。
                         
 トゥルプは,アムステルダムの裁判官であったコンラート・ブルフの一族のだれかと結婚していました。『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では,このブルフという裁判官は,コレギアント派に同情的な人物であったとされています。こうしたことから,スピノザがトゥルプの家でコレギアント派の人びとに出会ったというのも,かなりの確度で史実としてよいと僕は判断します。コレギアント派はレインスブルフ派ともいわれます。レインスブルフがコレギアント派の拠点だったからです。

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