スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&第四部定理四五

2018-02-22 19:10:34 | 将棋
 19日と20日に尼崎で指された第67期王将戦七番勝負第四局。
 豊島将之八段の先手で久保利明王将の向飛車に先手も向飛車に振っての相振飛車。後手が端から攻めて主導権を握る展開で,先手としてはつまらない将棋にしてしまったかもしれませんが,後手も端を食い破ったというわけではなく,終盤まで難解な一局になりました。
                                     
 後手が7三の銀を立って受けた局面。感想戦の内容からするとここで先手は諦め半分だったようですが,まだ難しかった模様。実戦の☗5四歩は最善の勝負手でした。そこから☖8九飛成☗4九歩と進展。
 先手はそこで☖2九銀。ここはできれば☖2九角と打ちたいのですが,それは無理で仕方がなかったとのこと。先手は☗4八玉と逃げましたが,後の手順から考えると☗3九玉と逃げるのは危ないようで有力だったかもしれません。以下は☖2八角☗4二馬☖1七香成で第2図。
                                     
 ここから☗6三銀成☖同王☗5三歩成と攻めていったので,後の☖4一飛が厳しい王手になり後手が勝ちました。第2図では☗5三歩成☖同金☗6一金☖7三王☗5三馬と攻める順があり,この手順なら銀を渡さずにすむのでまだ難しかったと思われ,先手はそちらを選ぶべきだったようです。もしそれで先手が勝つようなら,後手は☖2八角~☖1七香成と進めたのは危険で,どこかで☖5四歩と手を戻すべきだったということになるのでしょう。
 久保王将が勝って3勝1敗。第五局は来月6日と7日です。

 考察を本題に戻します。
 ある為政者Aがいて,BというジャーナリストがAを批判するとき,Aの支持者であるCが,Aが害悪を受けた,いい換えれば悲しみtristitiaを感じたと表象してBを憎むなら,これはCのBに対する憤慨indignatioです。これは第三部諸感情の定義二〇で示されていることに合致しているからです。
 このとき,Bが正当な理由からAの施策を批判したと認められるなら,CのBに対する憤慨はただCがAを支持しているということだけを理由とした不当な憤慨であり,逆にBが不当な理由から,たとえばAを貶めようという目的からAの施策を批判したと認められるなら,CがAの支持者であるか否かとは無関係に,CのBに対する憤慨は正当なものであるというように思われる方が多いのではないかと僕は推測します。憤慨という感情affectusはCの表象imaginatioから生じるので,どちらの場合もあり得るということは確実です。ところが,僕の考えでいうと,スピノザの哲学に則して憤慨という感情について評価を下す場合は,このような評価は危険なのです。ごくシンプルにいますが,憤慨という憎しみodiumには,正当も不当もないのです。
 僕は,排他的思想を産出しやすい感情として,憤慨のほかに不安metusをあげ,そちらについてはすでに見解を示し終えました。その考察の中でも示したことですが,スピノザは恐怖metusという感情については,第四部定理五四備考において,その感情の有用性についても語っています。いい換えれば不安については,全面的には否定していないのです。ところが憤慨に関していえば,スピノザはこの感情を概して否定的に記述し,肯定的な評価を与えません。したがって,ある人間が不当な理由から別の人間を貶めようとしているからといって,貶めようとしているその人間に対して憤慨していいというものでは必ずしもないのです。
 このようになっている理由はわりと明確で,それは憤慨が憎しみの一種であるというそのことから生じます。スピノザは憎しみに対しては一律に否定的なのです。その理由を知るため,第四部定理四五を検討します。
 「憎しみは決して善ではあり得ない」。
 善bonumであり得ないなら有用でもあり得ません。

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