スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

決断力&証言の対象

2017-02-27 18:59:42 | 将棋トピック
 久しぶりに将棋関係の書籍を紹介します。5冊目は羽生善治の『決断力』です。
                                     
 著者が羽生善治という本は数多く,僕にとっては玉石混淆なのですが,最も推奨できるのが現在のところではこの『決断力』です。
 帯を読むと正しい決定を下すための指南書のようになっているのですが,この本はそれを直接的に教えるものではありません。むしろ本の題名にあるように決断を下すことを人間の力と把握し,その力の源泉がどこにあるのかを多角的に検討した内容です。
 将棋は先行きが見通せなくても手番であれば何か指さなくてはならないルールになっています。先行きが見通せないのは人間の知性が有限であるからであり,また時間の制約があるからです。そういう場合でも次の一手を決定しなければならず,その決定こそが決断であって,それを下す力が決断力です。したがって,それを下せばどういう結果が出るか分かっているような決定は決断ではありません。いい換えれば決定を下すときに,それが正しい決定なのか正しくない決定であるかが判然としていない場合の決定が決断なのであり,決断力というのはそういう場合に決定を下す力のことです。
 ここから理解できるように,決断力というのは将棋の指し手を決定するときに限定して要請されるような力ではありません。僕たちの日常生活の中でも,その決定を下すことによってどういう結果が待ち受けているのかは判然としていないという場面は往々にして存在するからです。そしてそのときに,それを決定する力の源泉がどういったところにあるのかを多方面から検討することによって,よりよい決断,すなわちよい結果を得られやすい決断を下すことが,より多く可能になるでしょう。ですから,この本はどのようにすれば正しく決断できるのか,正確にいえば正しく決断する可能性を高めることができるのかということを,それ自体で直接的に指南するものではありませんが,間接的には有益であるといえると思います。

 スぺイクはおそらく日々の生活に追われ,スピノザの哲学的思想を詳しく知ろうとする欲求をもつ余裕がありませんでした。そしてスピノザは自身の哲学的見解を多くの人びとに伝えようとすることについて禁欲的であったと思われます。よっておそらくスピノザが自身の思想をスぺイクに対して詳しく語ることはしなかったと推定されます。そもそもスピノザはフェルトホイゼンLambert van Velthuysenに対する反論の中で,自分の生活態度をみれば無神論者でないことをフェルトホイゼンは理解するだろうといっています。スぺイクは実際にそれを見る立場にあったのですから,自分が無神論者ではないということをスぺイクは分かっているとスピノザは思っていたでしょう。そして実際にスぺイクはスピノザのことをそのように認識し,それによってスピノザを敬愛し尊敬もしたのだと僕は解します。要するに自分の思想が無神論に至るものではないということをスピノザはその思想を詳しく語らずとも,態度によってスぺイクに対して示すことができたのであり,スピノザにとってはそれで十分であったのだろうと僕は思います。
 したがって,スぺイクがスピノザを称えようとする場合に,それをスピノザの思想と絡めて説明することはできなかっただろうと僕は解します。なのでスぺイクはそれを,スピノザの日々の生活態度とだけ関連させて説明したのだと思います。そしてこのことはリュカスJean Maximilien Lucasの伝記の場合にも同様なのですが,リュカスがスピノザの生活態度がキリスト教の教えと相容れるものであったということについてはほとんど説明していないのに対して,スぺイクがそのような説明もしている理由は,取材者がコレルスJohannes Colerusであったということに起因しているのではないかと僕は思うのです。リュカスが自身の手による伝記の読者をどのような人と推定していたのかは分かりませんが,少なくともルター派の説教師であったコレルスのような,宗教色あるいはキリスト教色の強い人間だけを想定していなかったということだけは確かだと思えます。対してスぺイクは,自身で伝記を書いたのではなく,コレルスの取材に対して証言したのです。つまりスぺイクはコレルスだけを念頭に話しているのです。
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