スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&個物の観念の原因

2021-04-10 19:02:17 | 将棋
 6日に鶴巻温泉で指された第14期マイナビ女子オープン五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女王が5勝,伊藤沙恵女流三段が1勝。
 振駒で先手となった西山女王の角道オープン三間飛車に対し,後手の伊藤三段が早々に角を交換。互いに角を打ち合い馬を作るという力将棋になりました。
 この将棋は後手がうまく先手の大駒を押さえ込み,先手が突破こそしたものの攻め駒が足りなかったという一局だったと総括していたのですが,局後のインタビューでは先手は一時的に流れが来たと語っていました。ただその言い分も分からないではありません。
                                        
 第1図から後手は☖6七歩成と成り捨て,☗同歩に☖7六銀と出ました。対して先手は☗4五銀☖5三馬としておいて☗6六香と打ちました。
                                        
 この香打ちはなかなか厳しい手ですが,生じたのは後手が歩を成り捨てたからです。つまり第1図では後手は単に☖7六銀と出るべきで,それで先手は困ると思っていたのではないでしょうか。それが実戦は第2図のように進展したので,流れが来たというように感じたのではないかと思います。
 第1図で後手がミスを犯したのは確かだと思いますが,しかしこの後で先手がはっきりとよくする順はなかったように思えます。つまりミスはしても大事には至っていなかったということでしょう。
 伊藤三段が先勝。第二局は21日に指される予定です。

 第二部定理九は,現実的に存在する個物res singularisの観念ideaだけに適用されなければなりません。このことに異議が出ることはないでしょう。僕はこの定理Propositioでいわれていることは,現実的に存在する個物の観念の対象ideatumである,現実的に存在する個物,思惟の様態cogitandi modiではない現実的に存在する個物にも適用できると考えていますが,こちらには異論が出る可能性があるかもしれません。また,僕は第一部定理二八に関しては,個物が現実的に存在する場合だけでなく,個物が神Deusの属性attributumに包容される限りで存在するといわれる場合にも適用されると考えています。スピノザは第二部定理九の論証Demonstratioで,第一部定理二八に訴求している部分がありますが,このことは別に僕の考え方を否定する事柄ではないと僕は考えます。というのは,第一部定理二八は,個物が神の属性に包容されて存在するといわれる限りでも成立しますが,同時に,個物が現実的に存在するといわれる場合にも成立するというのが僕の考えだからです。したがって,第二部定理九が現実的に存在する個物の観念,いい換えれば現実的に存在する思惟の属性Cogitationis attributumの個物にのみ適用される定理であるとしても,論証のために第一部定理二八を援用することが可能です。よって,援用されている第一部定理二八も,現実的に存在する個物にのみ適用されると考える必要はないでしょう。
 第二部定理九が,現実的に存在する個物の観念についてのみ適用されることは間違いありませんから,ここでは個物の観念について考えていきます。つまり,神の無限な観念が存在する限りにおいて存在するといわれる個物の観念のすべてが,現実的に存在するようになるか否かを考えていくことにします。
 第二部定理九がいっていることは,現実的に個物の観念が存在するとき,たとえばAという個物の観念が現実的に存在するとき,このAの観念の起成原因causa efficiensは神であるけれど,それはAの観念とは別の個物,たとえば個物Bの観念に変状した限りでの神であるということです。要するに,Aという個物の観念が現実的に存在するとき,その起成原因はA以外の個物たとえばBの観念であるということです。そしてこれと同じことがBの観念にも成立するのです。

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