スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

馬の国籍&位置との関係

2008-05-29 18:51:23 | 海外競馬
 公式記録等では,一般的に競走馬の国籍は,馬が産まれた国あるいは地域と,馬が調教されている国あるいは地域というふたつの観点から示されます。僕は基本的にこれに倣っています。そしてもしも僕が単に日本の馬というように示す場合には,これは日本で調教されている馬という意味を示します。
 そこでもしも今後,日本で調教師免許が外国人に開放され,外国人調教師が開業した場合には,僕はこれを日本馬とみなします。仮にそれがアメリカ人で,馬がアメリカ産で,またオーナーがアメリカ人であるというようなケースが生じたとしても,これは日本馬と表記します。
 逆に,たとえばシンガポールではすでに日本人調教師が開業していて,日本産で日本人がオーナーという競走馬が走っていますが,こうした馬に関してはこれを日本馬とはみなさずに,シンガポール馬と表記します。
 しかし,現実的には僕は馬の誕生国あるいは生産国と,調教国のみで示すこの方法は,少し不備があるとも感じているのです。
 たとえばタイキシャトル。この馬は上記の表記ですとアメリカ産の日本馬ということになりますが,アメリカ産といっても,生産された牧場のオーナーが日本人ならば,この馬の母,すなわち繁殖牝馬のオーナーも日本人です。したがってアメリカ産というのは,単にアメリカで産まれたということだけを意味しているにすぎません。
 ピーターパンステークスを勝ったカジノドライヴは,牧場も繁殖牝馬もオーナーはアメリカ人です。ところがタイキシャトルもカジノドライヴも同じようにアメリカ産の日本馬と表記されるわけで,ここのところに僕はどこか矛盾したものを感じるのです。日本人がアメリカで産んだ子どもが直ちにアメリカ人とみなされることはないでしょうし,逆にアメリカ産まれで両親がアメリカ人の人が日本で暮らしているからといって,直ちに日本人とはみなされないだろうからです。
 公式的な表記がこのようになっていますから僕もこのままのやり方でいきますが,部分的にはこのような不都合が生じているということはご理解ください。

 現実的に実在しない物体が運動するということについてはスピノザ自身も認めるわけはありません。そこでゼノンとスピノザとの間で「ある」という意味の問題が現実的に生じるのは,実在との関係ではなく,それが位置との関係として生じてくる場合であるということになります。一般的に考えれば,僕たちはある物体が現実的にあるということは,それは延長空間のどこかにあるという意味にこれを理解し,よってそれがどこにあるのかを示すことができると考えます。そしてこれは,物体が運動しているか静止しているかということに関係ありません。ゼノンの主張というのはこれにそぐうものとなってはいるのですが,このときに示されるような位置というのが,それ以上は分割することができない空間,すなわちアトムという空間になっているということが,問題になるのです。このことは,とくにスピノザの哲学に訴えないまでも,一般的観点から考えただけでそうであろうということがすでに明らかになっています。ただ,物体が静止している場合に限るならば,それがある位置にあるといい得ることについてはゼノンもスピノザも同じですから,この場合にはこの問題をそうもとりたてて考察する必要はないでしょう。
 それでは運動する物体が,単に現実的に実在するという意味ではなく,延長空間の中である位置にあるという意味であるといわれ得るなら,これはどういう事態を示すのでしょうか。やはり同様に一般的観点から考えるならば,たとえば物体がAで運動を開始し,Bで静止するならば,この物体が運動している間は,AとBの間にあるということは分かります。問題はさらにこれ以上これを分割することが可能であるかどうかということになるでしょう。
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