スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

不自然な離席と合理的説明&配慮の相違

2016-10-20 19:36:52 | 将棋トピック
 竜王戦の挑戦者変更の一件に関して,僕が何をどう判断し,また何を判断しないかについて明らかにしておきます。
 僕が判断材料にするのは三点だけです。第一に,三浦九段が対局中に不自然な離席をするという指摘が複数の棋士からあったということです。第二に,三浦九段は離席は身体を休める目的だったと説明していることです。第三に,聴取ではその弁明が非合理的と認定されたことです。
 僕は弁明が非合理的な離席についてはふたつのケースを想定します。ひとつはある手を指したら離席し,次の手を指したらまた離席するという行為が継続的に行われる場合です。身体を休めるなら一度に多くの時間を使用する方が合理的です。もうひとつは相手が指すまでは着席し,自分の手番になると離席するという行為が恒常的に行われる場合です。身体を休めるなら自分の持ち時間だけでなく相手の持ち時間も使用する方が合理的です。
 もしふたつのケースのどちらも行われていなかったなら,弁明が合理的ではないと僕は判断しません。その場合には処分したこと自体が不当であると判断します。
 逆にふたつのうちのどちらか,あるいは両方が行われたのだとすれば,僕はコンピュータによる援助の有無と無関係に三浦九段には非があると判断します。なのでこのケースでは処分することは正当であると判断します。ただしそれは棋士という職業に対する僕の職業観に由来します。援助がなければいつどのように離席してもよいというのはひとつの考え方として成立し得ると僕は認めます。また,正当な疑惑を抱かせたというだけでは内部的に処分するのも不当であるという考え方が成立することも認めます。しかしその相違は職業観の相違に由来しますので,その点については僕は争いませんし判断も変更しません。
 ただし,上述の処分することが正当であるというのは,年内の出場停止が妥当であるという意味ではありません。最も軽い,たとえば厳重注意のような処分は少なくともされるべきだという意味です。このケースでどのような処分が妥当かは僕は判断しません。同様に三浦九段が援助を受けていたか否かも判断しません。
 休場届の不提出が処分理由なら,その処分は不当だと僕は判断します。これは将棋界に限らず,休場届は提出されて初めて受理するべきものであるからです。いくら休場するという意志を表明していても,届けを提出する前に出場することに気持ちを変えたからといって,その変心を咎めるのは不当です。
 僕は三浦九段が休場の意志を表明したという点は判断材料とはしませんでした。それは聴取した側がそう受け止めただけで,三浦九段はそんな意志を表明したつもりはないというケースもあり得ると判断したからです。
 三浦九段が休場の意志を表明したというならなら,その場で休場届を提出させるべきであったというのが僕の判断です。なのでもしもその要求をしなかったなら,聴取した側に不手際があったと僕は判断します。
 実際に三浦九段に休場の意志があり,その場での休場届の提出要求もあり,三浦九段がその場での提出を拒んだ場合にのみこの判断は変わり得ます。翌日午後3時までの期限を設けて提出を求め,かつそれが提出されなければ処分するということを合わせて伝達したのなら,不提出による処分も正当であると判断できます。ただしそのすべての条件のうちどれかひとつでも欠けていたなら,これによる処分は不当であるという判断は変わりません。また,正当である場合でも,処分内容が妥当であるかを判断しないのは,離席のケースと同様です。

 プラドはアムステルダムのシナゴーグから慈善金を受け取っていました。これはプラドが経済的に困窮していたことの証といえます。一方,スピノザは,年によって金額の上下がありますが,税金を納めています。正確にいえばある時点まではスピノザの父親が納めていて,父親の死後は貿易商を継いだスピノザが支払うようになったというべきかもしれません。裕福であったとまでは確定できないまでも,暮らしていくために余裕がなかったということはあり得ないとみることができます。
 プラドは1655年にアムステルダムのシナゴーグの一員となりました。最初の破門宣告が1656年だったとすれば,ユダヤ人以外のオランダ人の知り合いはあまりいなかったであろうと推測できます。プラドは医師であったようなのですが,それまでの経歴からオランダ語が達者だったとは思えないので,オランダ語しか話せないであろうアムステルダム在住のオランダ人を治療することはままならなかったように思います。それはプラドの困窮の一因になっていたかもしれません。
 一方,スピノザはまだ父親が生きていた頃から貿易業に携わっていました。そのために非ユダヤ人とも知り合う契機が多かったろうと思えます。実際に,イエレスJarig Jellesとかシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesとは,スピノザが破門される以前から友人であったと思われます。また,これはオランダ人とはいえませんが,ファン・デン・エンデンFranciscus Affinius van den Endenとも同様です。そしてファン・ローンJoanis van Loonもまた,親しく交際していたとはいえないまでも,間違いなく知り合いでした。
 これらの事情を総合するなら,プラドはシナゴーグを離脱すればそれだけで生きていくのが難しいと考えられるのに対し,スピノザはたとえシナゴーグを離脱したとしても,生きていくことが可能であったと考えられるのです。よってシナゴーグの指導者たちが,プラドに対しては破門を宣告すること自体がシナゴーグからの離脱の防止に有益であっても,スピノザに対してはそうではないと判断する合理的な理由があったことになります。だからスピノザには別の手段,年金という賄賂が用いられても,プラドにはそういう配慮がなされなかったのだと僕は解します。
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文化
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