スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

先生の優越感&全自然の本性

2013-06-28 18:47:29 | 歌・小説
 『こころ』の先生は,友人であるKについて,常に畏敬していたといっています。もちろんそれはそれで嘘ではないでしょう。そこには先生の謙遜も含まれているとみるべきかもしれませんが,先生はKは自分の倍は勉強したといっていますし,持って生まれた頭の性質も自分よりずっとよかったといっています。中学でも高等学校でも,同級の間は常にKは先生の上席を占めていて,何をしてもKには及ばないという気持ちがあったといっています。
                         
 これだけでは先生はKに対してある種のコンプレックスの塊であったかのようです。そしてもしもそれだけであったなら,先生とKとの間の友情は長くは続かなかったように思えます。先生がそんなKと上京後も仲良くすることができたのは,先生の精神のうちにも,自分の方がKよりも上回っていると思えるところがあったからだとしか思えません。
 先生がそのことを仄めかしているのは,次男の悲劇によって仕送りを断たれたKと同居することを決めた部分です。先生はこのときは自分の方がよく事理を弁えていると信じていたと語っています。先生からいわせればKの偉大さは,自分の成功を破壊するという意味においての偉大さであるにすぎず,しかもK自身はそのことをまったく理解できていませんでした。先生はそれを理解させるために,Kとの同居を決めたのです。つまりそこには,先生のKに対する密かな優越感があったといえると僕は思います。
 そしてこの優越感は,Kに先生との同居を納得させるときの方法において,より鮮明になっているように僕には思えます。先生はそのためにあえてKの前に跪くことをしたと,このときのことを譬えていますが,心のうちでは跪くどころかむしろ見下していたといっていいでしょう。
 先生は後に恋愛に関してKと争い,先生の表現では他流試合でもする人のようにKを観察し,自身の勝利を得ようとします。でもそのときと同じような態度を,すでにこの時点で先生はKに対してとっていたように僕には思えるのです。

 第二部自然学②補助定理七備考でスピノザが説明しているように延長の属性の間接無限様態としての全自然を理解するならば,これはres singularisであると理解しなければなりません。res singularisの定義である第二部定義七を無限に拡張していくことによって,これは現れてくるからです。そしてres singularisはres particularisであるということはすでに明らかになっています。よってこのように考える限り,間接無限様態はres particularisであるという結論になるでしょう。
 これは僕が間接無限様態の場合直接無限様態の場合と同様に,それはres particularisではあり得ないと結論したことと明らかに矛盾しています。ただし,僕はこれについては齟齬を来さずに説明することが可能であると考えています。
 まず,スピノザの哲学では,事物が十全に概念されるために必要なこととして,その概念される事物,すなわち観念対象ideatumの原因についての認識が不可欠です。これは第一部公理四から明らかです。間接無限様態は第一部定理二二の様式で生起しますから,延長の属性の間接無限様態の十全な観念は,延長の属性,ないしは延長の属性の直接無限様態である運動と静止の認識を含んでいなければなりません。逆にいえばその認識を原因とすることによって初めて,延長の属性の間接無限様態たる全自然の十全な認識が,知性のうちに,これはあくまでもあたかも自動機械であるかのようにですが,発生するということになります。
 しかるに第二部自然学②補助定理七備考で述べられている事柄のうちには,こうした概念は何も含まれていません。これは一読しただけで明らかな筈です。したがって,仮にこのように延長の属性の間接無限様態である全自然が認識されたとしても,それは延長の属性の間接無限様態の観念の十全性を保証しないということになります。別のいい方をすれば,このように認識される全自然の観念のうちには,全自然の本性の十全な認識が含まれているわけではないということになります。

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