スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

妙手⑲&一般性の低い共通概念

2012-04-06 18:36:03 | ポカと妙手etc
 第31期王位戦七番勝負第七局より。
                          
 後手が△8四桂と打ったのに対し,先手が6四にいた馬を7三に入ったところ。金か銀をただで取られてしまうのですが,そこで▲6一飛成と成り込む狙いです。
 しかしここで後手に妙手がありました。それが△9五飛と走る手。先手は▲6一飛成ですが,直前に入手した一歩が非常に大きく,後手は△4一歩が可能になりました。当然▲9五銀ですが△同香。▲8九玉に△7六桂。▲9五馬には△9七銀と縛り,▲7七銀に△5七角。▲9八歩も仕方ないところでしょうが△8八香と打ち込み,▲同銀△同銀成▲同金と清算。そこで△9七銀と打つのも妙着で,先手の投了となりました。
                          
 投了図で▲7八玉は△6八金から清算すれば,後手玉が鉄壁で先手の勝ち目はないでしょう。▲9七同歩でも詰みはないですが,こちらも必至が掛かりそう。光速流の面目躍如の一局であったと思います。

 なぜそのことが非常に重要であると僕が考えているのかといえば,このような場合にはXの観念もYの観念も,明らかに神の思惟の属性から,いい換えれば神の思惟する絶対的は力から発生するとはいえなくなると思うからです。これはつまり,この場合のXの観念の発生もYの観念の発生も,第一部定理二一の様式では説明することができないという意味です。
 このこと自体は,この様式で発生する観念が,無限でありまた永遠であるということから明らかです。すなわちたとえばXの観念が永遠であるなら,この場合にはAないしはBという人間が永遠であるのでなければなりません。しかしそれを主張するのが不条理であるということはそれ自体で明らかでしょう。
 よって,第二部定理三七により,共通概念というのは個物の観念ではないのですが,少なくとも現実的に存在する人間の精神のうちに必然的に発生するある種の共通概念,あるいはいくつかの共通概念に関しては,その発生は第二部定理九の様式と同一の様式で説明されなければならないであろうと僕は考えます。僕はドゥルーズと同様に,共通概念というのは一般性の高いものから低いものまで,数多くあるというように理解しています。そしてこのうち一般性が低い共通概念に関しては,第一部定理二一の様式でその発生を示すことは不可能であり,むしろ第二部定理九の様式,あるいはこの場合にはもっと一般的に第一部定理二八の様式といった方がいいのかもしれませんが,それと同類の様式によってその発生が説明されなければならないだろうと思うのです。
 なお,第二部定理三八の様式で共通概念が現実的に存在する人間の精神のうちに発生するということは必然的であるといえるが,第二部定理三九の様式で発生する共通概念に関しては必ずしもそうとはいえないと考える方がいらっしゃるかもしれません。ただ僕は第二部定理三九というのは,すべてのものには共通ではないけれどもいくつかのものには共通であるという何かが存在するということを暗に前提していると考えます。そうでなければ第二部定理三九は不要な定理だからです。つまりスピノザ自身はそのことを明らかに認めている筈なので,この種の共通概念も現実的に存在する人間の精神の一部を必然的に構成するといって問題ないだろうと考えます。
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