Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

私の「おじさん」 - 松岡洋右

2009-06-07 22:33:26 | Weblog
フロリダ在住の、ある友人からメッセージを頂いた。

彼女のご近所さんであり、そして友人である80過ぎの婦人が、つい先日お亡くなりになったと言う。このお婆さんは、病床にて、私の友人に「NHKの第二次世界大戦のドキュメンタリーを持ってきて見せてほしい」と依頼したそうだ。上映中スクリーンに松岡洋右が現れると、「I called him uncle」、と話したと言う。話を聞いてみると、このお婆さんの母親のいとこが松岡洋右だったと言う。

このお婆さんは満州で育ち、戦後、他の家族たちは自民党の極右の構成員になったと言う。彼女自身は、プレスビテリアンであった為、政治を拒否し、アメリカに忠誠を捧げ、GHQ側の弁護士と結婚したそうだ。彼女はドキュメンタリーを見ながら、私の友人に「逆コース」について語ったそうだが、彼女も、そして彼女の夫も、それを裏切り行為として認識していたそうだ。

癌を抱え、病床にてこんな話をしてくれたこのお婆さんは、自分自身の最後の時に、言い残したくなかった忌わしき過去の記憶を、乗り越えなくてはならないものとして、私の友人へと託したのかもしれない。その友人が、日本人ではなく、日系アメリカ人であった所に、私は言い様のない不安と共に、越えられない壁や、物理的な距離感を感じてしまった。

また、松岡洋右自身、渡米した際にメソジストとして洗礼を受けているが、松岡が渡米して洗礼された理由には、彼の親類がアメリカで成功をおさめていた、という経緯があった。こんな所で、彼の血縁者であるプレスビテリアンのそんなお話に触れることができるとは思わなかったので、正直驚きだ。(また、吉田茂が松岡洋右と友人関係にあったのは、単に国際派、というだけではなく、もしかしたらキリスト教徒、という同胞意識があったからかもしれない)

以前、アートフェアの仕事でNYからマイアミまでドライブして行った際、フロリダに「Exit:Yamato Road」という標識があり、何だろう、と思ったのだが、きっと日本からの移民たちが、19世紀末もしくは20世紀初頭に付けた名前なのだろう。もしかしたら、フロリダに移り住んだMatsuoka Familyも、その成立に絡んでいるのかもしれない。

アトミックサンシャイン展に関する英語記事を準備しているが、正直気乗りしない部分がある。アメリカ、日本本土、そして沖縄の距離や、温度差がありすぎる。このギャップを抱え込みながら、右往左往している私がいることに気づき、立ち止っている。

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1 コメント

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GAP (yasushi)
2009-06-09 01:28:51
松岡さんの話を興味深く感じました。
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また、アトミックサンシャインに関しての、「日・米・沖縄」間での距離や温度差も、とても興味深いところです。すごい収穫とも言えるのでないかとも思いました。

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