Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

3月30日(土)のつぶやき

2013-03-31 01:28:00 | Weblog

広瀬隆と山本太郎がドイツ自然エネのメッカを訪問 ? オルタナ: 「志」のソーシャル・ビジネス・マガジン「オルタナ」 alterna.co.jp/10781 @alterna_japanさんから

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 5 RT

@Hirabayashi76 ご丁寧にありがとうございます。平林さんのおっしゃることは最もだと思うのですが、私は連続性に興味があるので、そこにフォーカスを当てたリサーチをしたいと考えています。やりとりがあまりにも煩雑になってしまったので、一旦この辺りで小休止しませんか?


@Hirabayashi76 デュメジルの件もそうですが、彼が20年かけて考えたことに早急に解答を出すのではなく、私達も20年かけて解答を出せば良いと思うのです。私は少なくとも、ユーラシア論をやろうと思った時、20年かけてやろうと思いました。まだ二年目なので、多目に見て下さい。


一枚の白い紙を切って、そこから丸く切り取った際に、その一つの○く切り取られた紙が、一つとして認識できる。これは自己や自我と呼ばれるものと似ていて、自己や自我とは、自らの肉体を宇宙から切り話すことで成立している。

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これは数学において数字の1を公理体系に据えて、便宜的に使っているのと似ている。つまりユニークネスである統一体としての1を便宜的に固定することで、1+1という問いを可能にして、2という答えを導き出す方法である。(これはパルメニデスがプラトンのイデア批判をした点とも一致する)

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これは一般名詞としての「私」と、さらに主体としての「私」という言葉のゲシュタルト、もしくはエポケーと言い換えることができる。このエポケーが他者と共有された時、言語が始まるのだろう。

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私は小学校4年生の頃、母が言う「真也は今晩何が食べたい?」という質問が、今ここでものを考えている「私」と、母が指す「真也」が同一のものかどうか確かめる術を持たず、混乱してしまったことがある。この混乱は3ヶ月ほど続き、その時は学校の勉強に付いて行くことができず、大変苦しかった。

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子供の頃(私の場合は小学4年生の頃だった)に、他者に自分の名前を呼ばれた時、他者が指しているその名前と、ここで今考えている「わたし」が一致しなくなり、混乱した経験のある人はいますか?

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私がその症状に陥ってから一年後くらいに、あっぱれさんま大先生を見ていたら、きいちゃんという子供が、私と全く同じ状態になっていることをカミングアウトしていて、驚いた。しかし彼女の言葉が足りなかった為、さんまには笑われていたけれど、私にはそれがよく分かった。

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デヴィッド・ボームは1951年に出版した『量子論』の中で、粒子と波動の二重性を説明する際、インドの「群盲象を評す」の寓話を引いているそうだが、これは超ひも理論におけるM理論のルーツになっているのではないか?ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4…

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@goshisyo ありがとうございます。しっかりとした足取りで、真実に向かい、着実に歩み寄って行きたいと思います!


@curatorshinya ありますー。私も小学3年生くらいの時でした。親から「○○ちゃん」といつも通りの呼び方で呼ばれたのに、呼ばれた私は表面の私で、内面の私は「ちがう、私じゃない」と考えている、という乖離性の混乱でした。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 1 RT

@curatorshinya 鏡に映る自分と目をあわせていて、「この映っている自分は自分じゃない、と考えている自分は誰だ、と考えている自分は…」という無間地獄に陥ることも。いま思えばゲシュタルト崩壊の一種なのかな、と。…実は、いまでも時々その状態に陥りそうになります。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 2 RT

やはり似た様な体験をした方はいらっしゃる様ですね。おそらく自我が未発達だった故に起こったのだろうと思いますが、言語の機能などを考える上で重要なことの様に思います。 @narunosuke


@narunosuke @curatorshinya 自分も子供の頃、よくその問答をしていたのを思い出しました。数分集中して問答を繰り返していると、身体と精神の外側に居るような感覚に陥って、他人のような自分を作って遊んでいました。不思議な感覚でした。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 1 RT

@rebell312 @curatorshinya 内側と外側、ふたつに自分が分かれちゃったような感覚でした。ものすごく怖くて、今思えば「狂い」の入口に立っているような恐怖感で。あの頃は死を意識することよりも怖ろしかったのを覚えています。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | 1 RT

私の場合は、狂気というよりも、困った、という感覚が強かったです。その困った感じを大人と共有できないことが、辛かったと記憶しています。 @narunosuke @rebell312



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