Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

11月26日(木)のつぶやき

2015-11-27 01:14:21 | Weblog

『NEWS23』でキャスター岸井成格の降板が決定の情報!「安保法制批判は放送法違反」の意見広告にTBSが屈服? lite-ra.com/2015/11/post-1… litera_webより

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哲学は倫理を扱うものかどうかと問われれば、私はYesと答える。この倫理は道徳というMust的なルールではなく、こうであって欲しいという、より内発的なshouldの原理だろう。この倫理的なものを扱えるかどうかが、哲学者たちに問われていると私は考える。

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倫理的なものが扱えない哲学者や批評家が増え過ぎて、訳が分からなくしまっているというのが現状ではないか。しかしオウム事件以降、宗教や倫理といったテーマを扱うことは、本当に難しくなってしまった様に思う。

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オウム事件を振り返った時に私の中に生まれてしまう問いは、これは天皇の人間宣言と関係しているのではないか?ということ。尊皇攘夷で近代化を遂げた日本は天皇制ファシズムに陥ったが、敗戦後、その制度を維持したまま天皇に人間宣言をさせた。つまり神が人間になってしまったのだ。


今まで天皇という神を信じていた日本人は、天皇の人間宣言で神を失ってしまった。三島由紀夫が『英霊の聲』の中で書いた「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」の世界である。すると今度は、我こそは神だと名乗る日本人が現れた。その一人が麻原彰晃だったのではないか?

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信心というのは、きっと救われたいという思いから生まれるのだろう。そして人に救われたいという思いは、そう思っている人が他者に救済された時に初めて実現するだろうから、救われたいと思っている信心深い人は、他者を救うことこそが回り回って自己の救済に向かうと考えれば良いと思う。

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昨日、席を立った時に帽子を落とした方がいたので、「帽子落ちましたよ」と声をかけると、ありがとうと喜んでくれた。その後私が電車の席に乗って立ち上がる際、隣の人が「手袋が落ちましたよ」と教えてくれて助かった。もしも私が帽子を落とした人に声をかけなかったら、私は声をかけられただろうか?

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田中宇さんの今回の記事も、素晴らしい分析だと思った。
「トルコの露軍機撃墜の背景」
2015年11月25日   田中 宇
tanakanews.com/151125turkey.h…

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韓国の光州で開催中の"Imaginning New Eurasia Project"から声がかかり、私も参加しています。ユーラシア大陸各地から送られて来たオブジェの人気投票をしている様なので、もしお時間のある方は覗いてみて下さい。
imaginingneweurasia.org/main/

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