穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アルコール患者の療養施設

2019-05-13 09:17:34 | 妊娠五か月

 ようやくフランク・マクシェインの「チャンドラーの生涯」を読み終わった。めでたし、めでたし。卒業記念論文?を書こう。

 老 妻シシーの死後彼の飲酒癖が始まった(復活した)。それはいいのだが、毎年何回も(数えていないが毎月と思えるほど)療養所に収容されている。自分の意志か、周りの者の意志かで。これもこの伝記に書いていない。うかつの甚だしいものと言えよう。米国には全国各地に安直に金持ちが利用できるアルコール患者の療養所があるようである。

  日本ではアルコール依存症の治療施設が、ときたまテレビで興味本位に報道されるとことかある。長期に収容されて、幼稚園のホームルームみたいに収容者が車座に座って自己反省をしあうところらしいが、アメリカでは全然違うらしい。

  アメリカではいとも簡単にアルコール患者の療養所に出たり入ったり出来るものだろうか。また回数が異常に多いことからいずれの場合も短期のようである(このことについての記述も伝記にはないお粗末なものだ)。

  そういう施設は金持ちだけのもののようにも見える。金のない連中は街中で飲んだくれて反吐を吐いて警察の留置場で酔いを醒まさせられるということだろうか。

  不思議なのは治療施設から出てくるとチャンドラーはすぐに大酒を浴びるように飲む。そうしてすぐ自らの意志で療養所に行く。これを見ると療養所に入るのはアルコールを体から抜くために入るようだ。その目的はまたアルコールが飲めるようにするためらしい。

  短期でアルコールを体から抜くにはモルヒネ注射なんかがいいらしい。チャンドラーの長編では長いお別れまでの作品でもおなじみの登場人物である。夜に多数の注射針をカバンに詰めて走り回る医者である。

  チャンドラーはもともとアルコールには強かったという。どんなに飲んでも二日酔いには悩まされなかったという。朝の四時か五時には起きてタイプライターを打ち始めたそうだ。

 チャンドラーの作品でこういうタイプの酒飲みが生々しく描写されたのは、長いお別れの流行作家ウェイドが初めてである。おそらく彼の体験そのものであったろう。そしてその後の作品(といっても長編ではプレイバック、そしていくつかの短編しか書いていないが)では、アルコール患者の話は出てこない。もっぱらチャンドラーが実生活で演じていたから書く必要もなかったのだろう。

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。